第33話 コレットへのお土産

 その日の夕方、リリス達はいつものようにコレットの部屋を訪れていた。


「そのようなことがあったのですね。それでお姉様から見てそのハシーム様はどうでしたか?」


 コレットはリリスの準備した食事を口にしながら、訊いてみた。


「人が食べているものを横取りするというのは、わたしは好きにはなれませんね。状況が状況なら何をされても文句は言えませんよ」


 貧乏なリリスの領地では生きるために略奪が横行していた時期があった。

 その場合、略奪を行った側も返り討ちに遭い、殺されてもいいという覚悟の元で行っていた。つまりはリリスからレモンメレンゲタルトを奪い取ったハシームは殺されても仕方ない。最低でも一発殴られても文句を言えない状況だとリリスは考えていた。しかし、ここは王都で相手は貴族のため、さすがのリリスもそこはわきまえていたのだった。


「お姉様は時々物騒になりますわよね。ふふふ」


 リリスの言葉を冗談と受け取ったのか、コレットは鈴の音のような笑い声を上げる。

 ついついコレットといると気が緩んで、かぶっている猫が剥がれてしまう。慌ててリリスは話題をそらすことにした。


「コレットちゃん用にもメレンゲタルトはあるから、後で食べてみてください」

「それは楽しみですわ。お話を聞いていて、気になっていたのです。良かった」


 コレットは花のような笑顔をリリスに向けると、リリスもうれしくなる。

 コレットの容態もかなり良くなり、痩せ細っていた体も少しずつ女性らしい丸みを取り戻してきて、本来の愛らしさが顔にもあふれていた。

 すでに王宮内を歩いたりして筋力や体力も徐々に取り戻しつつあった。もうしばらくすればすっかり、元通りになるだろう。

 食事を終えたコレットにリリスはレモンメレンゲタルトを準備する。


「まあ、これがそうなのですね。このクリームに焼き色が付いていますが、パイを焼いてからクリームを乗せるのではないのですか?」

「これは、卵白。つまり卵の白身を泡立てたものです。極端な言い方をすれば、卵の黄身を抜いて、砂糖を加えた甘い卵焼きですよ。ふわふわの」


 コレットはリリスの説明を感心して聞いているだけで、一向に手をつける様子がなかった。


「コレットちゃん、食べないのですか?」

「食べたいのですが……ハシーム様がうらやましくて……」


 今日話したハシームのどこにうらやましがる要素があったのだろうか? メレンゲタルトを食べたというのであれば、ハシームは一口、コレットには一人前は準備してある。焼き立てが食べたいと言うことだろうか? いや、昼の段階で十分、冷ましたもので、今となんら遜色はないはずだった。

 リリスが真剣に考え込んでいると、コレットは口を開けて、アーンをせがむ。

 もしかして、ハシームが自分のフォークから食べたことがうらやましいということだろうかとリリスは思い至った。甘えん坊の可愛い妹。確かにジルが溺愛するのもわかる気がする。リリスは微笑ましい気持ちで、メレンゲタルトをとり分けて、コレットの口に運ぶ。


「う~ん。おいしい。お姉様の作ってくださる料理はどれもおいしいですが、やっぱりお姉様に食べさせていただくお菓子が一番おいしいですわ」

「それはそんなにうまいのか?」


 いつも口出しをしてリリスに怒られるため、なるべく静かにしていたジルがたまらず口を挟む。


「とても、おいしいですわよ。お兄様」

「リリスよ。俺の分はないのか?」


 ジルはうらやましそうにリリスに問いかける。


「ジル様 (軍事)の分はありませんよ。以前に甘いものはお嫌いだとおっしゃっていましたわよね。そんな物を食べるのは軟弱者だともおっしゃっていましたよ」

「お兄様、そんなことをおっしゃっていたのですか?」


 甘いもの好きなコレットはジルを責めるような目で見る。


「い、いや、俺はそんなことを言っていないぞ。リリス、お前の思い違いだ」

「いいえ、学院の入学初日にわたしが皆さんに配るために持って来たクッキーを見て、はっきりとそうおっしゃいました。わたしはそのショックで三日は寝込んだのでよく覚えています」


 (三日も寝込んだなどと大嘘をつきおって、その日の夜にお菓子作りで発散して、次の日にはケロッとしておったじゃろう)とマリウスは思っていたが、リリスの攻撃ターンに水を差すような真似はしなかった。


「う……そ、そうだったか?」


 入学初日に勉強の場である学院にお菓子なんぞを持ち込んでいる奴がいたから怒った気がする。ジルはかすかに記憶がよみがえってきた。あれがこのリリスだったのか。昔の自分に忠告してやりたい気分だった。


「そうです。言った方は些細なことかもしれませんが、言われた方はいつまでもはっきりと覚えているものなのです」

「そうか、それは申し訳なかった。俺はそんなに食に興味は無いのだ。基本的には口にさえ入れば何だっていいんだ。特に甘い物など女子供か軟弱な男が食べる者だと思っていたからな。あの時はクッキーなんぞに群がる男どもに腹を立てたのかもしれない。あの言葉は撤回させてもらう。すまなかった」

「わかっていただければいいのです。わかっていただければ」


 リリスも長い間、心に引っかかっていたモヤモヤが晴れた気がした。しかし、話してみれば自分の悪いところを謝れるジル。良くも悪くも実直で素直なのかもしれない。裏表のない、思ったことをそのまま表に出してしまう性格なのだろう。そう分かっていればジルも可愛いところがあるものだと思ってしまうリリスだった。


「それで、俺の分は?」

「ありませんよ。コレットちゃんの分しか残していませんでしたから、ジル様 (軍事)の分はまた今度です」


 リリスははっきり、きっぱり宣言した。

 それを聞いたジルはしょんぼりとしてしまった。

 そんなジルとリリスのやりとりを見ていたコレットは笑い声を上げる。


「本当にお兄様はお姉様には敵いませんわね。いいですわ。わたくしの分をお分けしますわ」

「本当か! コレット。お前はいつも優しいな。俺はうれしいぞ」


 ジルの顔がパッと明るくなる。

 まあコレットそう言うのなら仕方ないと、リリスは手に持っていたお皿をジルに渡そうとするが、受け取ろうとする様子が見られなかった。


「早く受け取ってください」

「なんだ、ハシームにもコレットにも食べさせて、俺には食べさせてくれないのか?」


 何をこの人は言っているのだろうかと、リリスはあきれた。ハシームは奪い取られた。可愛いコレットだから、食べさせた。それなのに自分にも食べさせろと。まるで、子供のようだった。このまま、放っておくのが一番なのだが、どうせ一口食べるだけだ。さっさと終わらせてしまった方が時間はかからない。そう、リリスは判断した。


「はぁ~、わかりました。じゃあ、さっさと口を開けてください」

「本当にいいのか⁉」

「わたしの気が変わらないうちに、ほら、早く!」


 リリスはレモンメレンゲタルトを一口サイズにとり分けると、ジルは大きな口を開けて待っていた。そこにタルトを放り込むと、もぐもぐと食べ始めた。


「ああ、本当だ。甘い物が苦手な俺だが、これはいけるぞ。さすがリリスだ」


 どんな相手でも自分が作ったものをおいしいと言ってもらえればうれしかった。特にお世辞という文字が欠落しているようなジルが言うのならば、信頼をしてもいい。リリスは少しだけ、ジルのことを見直したのだった。

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