勇者なのに些細なトラブルで毎回足止めされるんだが
nireron
第1章
第1話 保存食の災難
夕陽がクリスタル山脈の向こうに沈んでいく。銀髪の少女は今日も一日歩き続け、ようやく野営地を確保できた。小さな川のそばで、風を遮る岩場もある。勇者にとっては完璧な場所だった。
銀髪のショートボブヘアに青い瞳、細身ながらも鍛えられた体つきの少女は、「勇者」という名前だった。そう、名前そのものが「勇者」なのだ。王都で任命された時、「勇者として相応しい名前だ」と言われたが、実は生まれた時からの名前だった。彼女はその名前に恥じぬよう、今日も旅を続けている。
勇者は魔王討伐の旅を続けている。といっても、まだ魔王の城には程遠い。ファルディア大陸は想像以上に広く、毎日歩いても歩いても、地図の上で進んだ距離はほんのわずかだった。
テントを張り、焚き火の準備をする。勇者は慣れた手つきで薪を集め、火打ち石で火を起こした。パチパチと音を立てて燃え上がる炎を見つめていると、なんだか心が落ち着くようだった。
今夜の夕食は、乾燥肉を戻したシチューの予定だ。村で買った野菜も残っている。明日の朝食用のパンも、昼食用の保存食も十分にある。食料に関しては完璧な準備ができている。
そう思いながら、勇者は安心して眠りについた。
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ガサガサ、バサバサ。
何かが荷物を漁る音で勇者の目が覚めた。寝ぼけ眼で時間を確認すると、まだ夜中の三時頃だった。きっと小動物が何かの匂いに誘われて来たのだろう。大した問題ではないと思った。
「しっしっ」
手をひらひらと振って追い払おうとしたが、音は止まらない。むしろ激しくなってきた。仕方なく起き上がって、魔法の光で周囲を照らすと——
なんと、勇者の荷物袋を破って、中身を散らかしている小型の動物がいるではないか。慌てて追い払ったが、時すでに遅し。
「あ、あああ……」
荷物袋はズタズタに破れ、中身が辺り一面に散乱していた。
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朝になって被害状況を詳しく調べてみると、事態の深刻さが明らかになった。
乾燥肉は全て持ち去られている。パンは半分以上が食べ散らかされて使い物にならない。野菜も土まみれになって、とても食べられる状態ではない。残っているのは、水と調味料だけだった。
「どうしよう……」
勇者はうなだれた。次の村まで二日はかかる。途中で食料を調達できる場所は一切ない。このままでは、確実に飢え死にしてしまう。
魔王と戦う前に、野営地で餓死する勇者なんて、史上初めてかもしれない。王様に報告できるはずがない。「勇者は立派に……動物に食料を盗まれて死にました」なんて。
勇者の顔が青くなってきた。これは、想像以上に深刻な問題だった。
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とりあえず、何か食べられるものを探してみることにした。
川には魚がいるかもしれない。早速、魔法で水の中を探ってみたが、残念ながら魚影は見当たらない。この時期、この川には魚がいないらしい。
次に、周辺の植物を調べてみた。毒のない山菜や木の実があるかもしれない。しかし、植物の知識が乏しい勇者には、どれが食べられるのか全く分からなかった。間違って毒のあるものを食べたら、それこそ本当に死んでしまう。
狩りはどうだろう。剣を使えば、小動物くらい捕まえられるかもしれない。だが、動物たちは勇者の気配を察すると、すぐに逃げてしまう。追いかけても追いかけても、全然捕まえられなかった。
魔法で動物を気絶させる方法もあるが、威力を間違えると粉々になってしまいそうで怖い。実際、練習で岩に向かって魔法を使ったら、跡形もなく吹き飛んでしまった。
昼過ぎになって、勇者は完全に途方に暮れていた。お腹が鳴り始めて、空腹感が増してくる。このままでは本当にまずいことになる。
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諦めかけたその時、勇者はふと気づいたことがあった。
昨夜の犯人である小動物が、まだ近くにいるのだ。岩の陰に隠れて、こちらの様子を窺っている。よく見ると、その動物の口の周りに、勇者の乾燥肉のカケラが付いていた。
「もしかして……」
勇者は恐る恐る、残っていた調味料を手に取った。塩、胡椒、香草のパウダー。これらを少量ずつ手のひらに乗せて、小動物の前に差し出してみた。
すると驚いたことに、その動物は興味深そうに近づいてきて、調味料の匂いを嗅ぎ始めた。そして、塩を少しだけ舐めると、満足そうな表情を見せた。
「塩が欲しかったの?」
どうやら、この動物は塩分を求めて勇者の荷物を漁ったらしい。乾燥肉には塩分が多く含まれているからだ。つまり、物々交換ができるかもしれない。
勇者は少量の塩を手のひらに乗せて、動物の前に置いた。そして、「これをあげるから、食べられるものを教えて」と話しかけてみた。
すると、その動物は塩を舐めた後、勇者の手を引っ張って歩き始めた。ついて行くと、川のそばに生えている特定の草の前で止まった。その草を少し食べて見せて、勇者にも勧めるような仕草をする。
恐る恐るその草を一口食べてみると、少し苦いが毒はなさそうだった。続いて、動物は別の場所に案内してくれて、食べられる木の実や根菜のような植物を次々と教えてくれた。
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結局、その日の夕食は草と木の実だけの質素なものになったが、とりあえず飢え死にすることは避けられた。勇者は小動物と、毎日少量の塩と引き換えに、食べ物の在り処を教えてもらう約束をした。
翌日も同じような食事が続いたが、次の村に着く頃には、むしろ体調が良くなっていることに気づいた。普段の保存食ばかりの食事より、新鮮な山菜の方が体に良いのかもしれない。
村に着いてから、宿屋の主人にこの話をしたところ、大笑いされた。
「勇者様、その動物はコショウネズミって言うんですよ。塩分が大好きで、旅人の荷物をよく荒らすんですけど、お礼にちゃんと食べ物の場所を教えてくれるから、地元の人間は『案内獣』と呼んでいます。小さくて生命力が強いから『小生鼠(コショウネズミ)』と名前がついたんですが、みんな胡椒のコショウだと勘違いしてます。」
なるほど、有名な話だったのか。もっと早く知っていれば、最初からパニックにならずに済んだのに。
でも、今回の経験で勇者が学んだことがある。困った時は、まず周囲をよく観察すること。そして、敵だと思っている相手も、実は助けてくれる存在かもしれないということ。
翌朝、村を出発する時、あのコショウネズミが見送りに来てくれた。勇者は少し多めの塩をプレゼントして、お礼を言った。
「ありがとう。君のおかげで、また一つ勉強になったよ」
魔王討伐の旅は、まだまだ続く。きっとこれからも、いろいろな小さなトラブルが待っているだろう。でも、今回のようにひとつずつ乗り越えていけば、いつかは必ず魔王の元にたどり着けるはずだ。
そう信じて、勇者は次の目的地に向かって歩き始めた。
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