第52話「雷の限界」第二部
頭上──本来あるはずの空は、そこにはなかった。あるのは、息が詰まるような天蓋のみ。壊死した肉と圧縮された胞子の毛布が地平線から地平線へと広がり、真の世界を隠蔽している。そして、その生きたドームの天頂に埋め込まれた『核』が、不気味に脈動していた。
ドクン……ドクン……
それは病的なまでに弱々しい青白い光。今にも止まりそうな心臓が刻む、不整脈のリズム。
その忌まわしき光景の下、木製のプラットフォームが上昇を続けていた。分厚い花弁が湾曲し、防護球体を形成していく。外の世界は、湿った暴力的な音の混沌だった。腐った肉塊が、死体にたかるハエのように機体の周りを飛び回り、殻へと激突する。追跡者である『狩人(ハンター)』──あの獣が木にしがみつき、爪で表面を削り、突き刺していた。中の獲物を貪り食おうと、その顎が絶望的な音を立てる。
ガリッ!グチャッ!
だが、形成されつつある繭の内部で、探検隊は壁をひっかく怪物を無視していた。全員の意識は頭上に釘付けになり、あの病的な光に魅入られていた。
彼らが見ていたのは、爪や牙を持つ獣ではない。『真の狩人』──それは不定形の塊。世界の天井からぶら下がる、巨大な腫瘍のような生物学的突出物だった。半透明で粘着質な膜が幾重にも重なり、そこからドロドロとした体液が滴り落ちている。その中枢から、蜘蛛の糸──あるいは剥き出しの神経──のように細い何千ものフィラメントが何キロにもわたって伸び、この呪われた生態系のすべての菌類、すべての肉塊、すべての怪物と接続していた。それは、腐敗した蜂の巣(ハイヴ)の脳髄。
「コ・ニアタ」
『樹液の子』が震える声で囁いた。テセウキは眉をひそめ、その植物のクリーチャーを見下ろした。問いを口にする前に、答えは別の方向から来た。
「あれが……真の狩人」
ミッカは顔を上げたままだった。普段は快活なその瞳が、今は絶対的な真剣さを帯び、あの菌類の神の青白い輝きを映し出している。
テセウキは再びその忌まわしき存在を見上げた。
「なら、あれを倒せば……全部終わるんだな?」
「うん……」
ボルトが答えた。その言葉は短く、乾いていた。
ズガンッ!
新たな衝撃に、木の球体が激しく揺れた。小さな肉塊たちが支持枝に突撃し、樹皮を引き裂く。だが、『樹液の子ら』の絶え間ない歌の下、それは瞬時に再生していく。
その時、場の空気が変わった。
ビリ……ビリリッ……
球体の中の空気が重くなり、静電気を帯び始める。テセウキの腕の毛が逆立ち、銅貨を噛んだような金属の味が口の中に広がった。この感覚は知っている。だが、今回は何かが違った。
彼はボルトを見た。少女は拳を固く握りしめ、体の横に下ろしている。澄んだ青色だった瞳は今、白熱した黄金色に染まっていた。小さな火花、不安定なアーク放電が彼女の肌の周りで弾け、焚き火の乾燥した木のように音を立てている。
バチッ、パチッ……
(おかしい……)
テセウキの分析的な思考が走った。
(ミッカはいつも、瞬きする間に変身するはずだ。なのになぜ、エネルギーを『溜めて』いる?)
彼女の変身は常に瞬間的で、引き金を引くようなものだった。だが今は、まるでダムを決壊させようとしているかのように、そのプロセスは遅く、苦痛を伴っているように見えた。
歌うのをやめた二人の『樹液の子』──恐怖に縮こまる者と、沈黙の戦士──が彼女を凝視した。無表情な仮面に張り付いた恐怖は、触れられるほどに濃厚だった。
だが、騎士の眼差しで彼女を見つめていたのは、アルマだった。
「ミッカ、待て!」
サンダーが叫んだ。その声には切迫感が込められていた。だが、妹のように思っている少女はそれを無視した。
ドォォン!
外部の狩人の爪による最後の一撃が球体を揺らした瞬間、ボルトは臨界点に達した。肉体が純粋な発光体へと溶解する。彼女は一筋の黄金の閃光となり、上方へと射出された。
カッ!
雷撃は球体の木材を内側から貫通し、進路を塞ぐ肉塊の群れを焼き払い、天井に向かって空を引き裂いた。
核まではまだ距離がある。それは目が眩むような垂直の上昇であり、彼女がかつて費やしたことのないほどのマナを要求する道のりだった。騎士としての修練とドラゴンの鋭敏な感覚を持つアルマは、即座に異常に気づいた。
(あの子……遅い!)
常人にとっては認識不可能な速度だ。だが彼女には、その雷撃が魔力の密度が高い大気と格闘し、苦しみながら昇っていくのが見えた。
ボルトが包囲を突破した瞬間、ハイヴが反応した。浮遊するすべての肉塊が一斉に反転する。球体に取り付いていた狩人の腐った塊が崩れ落ち、液状化して再構築され、狂乱した追跡者となって空へと急上昇した。
(私が……終わらせる……これでもう、全部!)
ミッカの思考が、電気の轟音と混じり合い、脳内で絶叫する。黄金の雷撃は重力と消耗に抗いながら上昇した。凝縮されたプラズマと化したその拳は、すでに振り上げられている。
一メートル進むごとに霧は濃くなり、空気は呼吸可能なヘドロへと変わっていく。菌類の生物発光が視界を白く染める。首都ほどの大きさもある巨大なキノコの傘(キャノピー)が、視界のすべてを埋め尽くした。そして、『真の狩人』の輝きが増していく。眩い光で見えなくとも、彼女にはその悪意ある脈動が感じられた。
標的は、そこにある。
核は巨大だった。それが生み出す怪物たちと比較すれば原初の細胞そのものだが、下で襲ってきた獣の三倍はある。ゼラチン質の肉と集合精神の山。
魂だけで響く怒りの咆哮と共に、最後の推進力が爆発する。
****ゴオオオオオッ!****
逆落としの流星のごとく、黄金の復讐者が翔け上がる。そして──ボルトは、そのクリーチャーと激突した。
下のプラットフォームでは、全員が本能的に反応した。テセウキは耳を塞ぎ、『樹液の子ら』は身を縮める。音への予感が痛いほどだった。この距離であっても、その衝撃音は鼓膜を破り、空を割るはずだ。
カッッッ!!!
閃光が、世界を絶対的な白に染め上げた。
しかし……
沈黙は、絶対のままだった。
雷鳴は……響かなかった。
『竜魔法は、魂を触媒とする……』
その言葉は、冷酷な宣告のようにミッカの脳裏に響いた。サンダーの声だ。
竜魔法は環境のマナを燃料としないが、別の代償を求める。それは、燃やすための祭壇だ。『概念』が現実を形成し、『魂』が点火の引き金を引く。だが、火が燃え続けるには炉(ろ)が必要だ。お前の概念──それは、お前の肉体(にく)だ。
ボルトは息を吸おうとしたが、肺が苦悶の声を上げた。穴の空いたふいごのように、ヒューヒューと情けない音を立てる。この呪われた空間の猛毒の胞子が、すでに血流に侵入していた。肺胞を塞ぎ、細胞の一つ一つを犯している。
(雷(ちから)が……制御できないっ)
ましてや、自身の『雷鳴』など扱えるはずもなかった。重力が無慈悲に、そして不可避に彼女の所有権を主張する。ボルトは墜落した。青い瞳が見開かれ、腐った肉の空が目まぐるしく回転する。彼女は掲げた自分の拳を見つめた。あれほど信頼していたエネルギー、姉から受け継いだ神聖な遺産が、ただ霧散していくのが信じられなかった。
空は、彼女の敗北に『死』で応えた。
ズズズ……ッ!
周囲で不定形の肉塊が蠢く。壊死した肉が弾け、伸び、数十もの有機的な槍へと変貌した。骨と腐敗の鋭利な切っ先が、自由落下する『ドラゴの子』の心臓を狙う。
(ミッカ、逃げて!)
サンダーの声が精神で炸裂し、痛みの耳鳴りを塗りつぶした。姉の叫びが彼女を現実に引き戻す。ボルトは空中で身を捻り、慣性に抗った。槍が降ってくる。一瞬前まで彼女がいた場所の風を、シュパッ!と切り裂いていく。
肉体は変身の完了を拒絶していた。金色の光が明滅し、切れかけた電球のように瞬く。残された力は、あと一回の推進分だけ。
ボルトは虚空を蹴った。世界の天井を地面に見立て、逆さまになる。サンダルの底で残留電気が爆ぜた。乾いた静電気の音。脚部に雷を凝縮させる。制御された暴発。
ドォォン!
彼女は暴力的な勢いで『下』へと射出された。串刺しにしようとする爪から逃れるための、運動エネルギーの砲弾。だが落下しながら、ボルトの幽体は霧散し、その下の脆弱な人間の姿を露わにした。雷は蒸発した。
衝撃は残酷だった。
ドサッ!!
英雄の華麗な着地などない。ボルト──いや、ミッカは、消耗しきった死に体(てい)の重量でプラットフォームの木材に激突した。残った雷が、悲しげな火花となって散る。彼女は転がり、起き上がろうとして、膝から崩れ落ちた。上半身を支えようとする手が激しく震える。
視界の端が黒く染まり、中心は脈動する赤い染みに支配されていた。呼吸は湿った、絶望的な喘鳴(ぜんめい)に変わっている。
「ミッカ!!」
テセウキの叫びが、音の混沌を切り裂いた。彼は湿った木の上を滑るようにして駆け寄る。彼女の元に辿り着いた時、恐怖が彼の喉を凍りつかせた。どす黒く粘ついた血が、少女の目から、鼻から、耳から流れ出ている。
そして、彼は彼女の腕を見た。右腕の白い肌の下で、血管が破裂し、膨張していた。鮮血と紫が描く苦悶の地図。それは危険なリズムで脈打っている。
『雷鳴は呼びかけに応えた。だが、その答えの重みに耐えきれず、砕けたのは彼女の肉体だった。
倒れた妹の傍らに、『天騎士団』の幽体の鎧を纏ったサンダー──アルマの姿が実体化した。普段は冷静なその顔が、純粋な悲痛に歪んでいる。
「ミッカ、呼吸を!呼吸を整えるのだ!」
テセウキはミッカを見つめたまま、その手を行き場もなく彷徨わせていた。木材に滴り落ちる血。痛みの痙攣に跳ねる彼女の体。パニックが内臓を凍らせる。俺は職人だ。学者だ。だが、代償を徴収する大自然の暴力の前では、俺は何者でもない。
(魔法さえ……魔法さえ使えれば!!)
毒々しい空気のように、フラストレーションが脳を焼く。誰も救えない知識に何の意味がある?!
「ミッカ!!」
サンダーが再び叫ぶ。それは霊的次元にのみ存在する音、彼女の魂に直接届くはずの振動。だが、ミッカの瞳はガラスのように虚ろで、意識と昏睡の狭間を彷徨っていた。彼女に声は届いているのか?
物理世界が、その嘆きを中断させた。
メリメリメリッ!!
木が粉砕される音と共に、球体全体が震え上がった。プラットフォームが激しく揺れ、テセウキは転倒しかける。彼は弾かれたように球体の壁を見た。その顔が絶望の仮面へと変わる。
巨大な爪の先端が防御壁を貫通し、木片と樹液を撒き散らしていた。『狩人』が戻ってきたのだ。そして今度は、中に入ってくる。
****ガアアアアッ!****
外の世界は破壊の不協和音だった。敵の連携攻撃が倍加した暴力で再開され、木製の球体の湾曲した壁が圧力に悲鳴を上げる。外からの衝撃が骨に響く。この守りが一時的なものに過ぎないことを告げる、絶え間ない警鐘。
テセウキは、煤と汗に汚れた自分の手を見た。歯車、接合部、物の流れを視覚化することに慣れた職人の思考が、無力感の渦の中で空回りする。
壊れた機械なら直せる。革を縫い、金属を打ち、木を組むことはできる。だが、目の前のこれは……崩壊していく人間の肉体、潰れた肺、妹とも思う少女の死は……俺には修理できないメカニズムだ。
(どうする……俺はどうすればいい?!)
パニックに染まった思考が反響する。
タッタッタッ……
不規則な足音が、彼のトランスを破った。歌に参加していなかった二人の『樹液の子』──沈黙の戦士と、小さな臆病者が、彼らの前に現れた。
論理的な絶望の淵から、一つのアイデアがテセウキの脳内で火花を散らした。問題なのは空気だ。この充満する猛毒だ。
「仮面だ!あの仮面を、もう一度ミッカにつけろ!」
テセウキは叫んだ。怪物たちを睨みつけるその声は、焦燥で裏返っていた。
爆発音のたびに震えていた一番小さな個体が、水竜の鱗と爪で作った即席の鎧の下で身じろぎした。不器用で、怯えた動作で、そいつはその物体を取り出した。
バッ!
テセウキは怪物の木の枝のような手から仮面をひったくった。彫刻された木製のそれは、最後の頼みの綱のようにずっしりと重い。彼はデリカシーなどかなぐり捨て、少女の青白く汗ばんだ顔にそれを押し当てた。
ググッ!
反応は即座に、そして暴力的に訪れた。
「がっ……!?」
意識が飛びかけていたミッカが背中を反らせる。拒絶反応のスパズムが体を駆け抜けた。彼女は横向きに転がり、喉を引き裂くような勢いで咳き込んだ。
ゴボォッ!!
黒く、ドロドロとした粘液が口から噴出し、木の床を汚した。その嘔吐物は、死んだ胞子と凝固した血の混合物。物理的な汚染が、強制的に排泄されていく。
「ミッカ、呼吸を。息を吸うのです」
サンダーが囁いた。その幽体の手が妹の背中をさすろうとするが、光の指は熱を帯びた肉体をすり抜けるだけだ。物理的な慰めを与えることはできない。
ヒュー……ッ、ヒュー……ッ
ミッカが空気を吸い込む。それは鋭く、痛みを伴う喘鳴(ぜんめい)だった。肺はまだ、生きた炭火のように焼けている。
「私……がんば……って……る……」
「焦るな、ミッカ……ゆっくりだ」
テセウキは彼女の肩を掴み、その小さな体を走る震えを直に感じていた。
その時──音の世界が一変した。
フッ……
球体を維持していた調和の一部が消失した。広間の一角で、詠唱が唐突に途絶えたのだ。続いたのは、森で木が倒れるような、乾いた衝突音だけ。
カラン……コトン……
テセウキはぎょっとして顔を上げた。陣形の中心にいた『樹液の子ら』──輝く樹液を放ち、踊る葉を纏っていた者たちが、動きを止めていた。彼らは外の戦闘を無視し、床で苦悶する『ドラゴの子』に全神経を集中させながら近づいてくる。
三体だ。彼らは厳粛な沈黙の中でミッカを取り囲んだ。
(何をするつもりだ……?)
テセウキは本能的に後ずさった。混乱と恐怖が混ざり合う。
怪物たちは細い腕を彼女へと伸ばした。木製の掌の上には、深く、濃い緑色の球体が鎮座している。それらは重く、ゆっくりとした鼓動を刻み、周囲の空間を歪ませていた。
ドクン……ドクン……
それは、『母なる樹』の血。
「カト・カラ」
彼らの一人が発音した。その声は深く、地底の洞窟を吹き抜ける風のように響いた。
彼が液体の球体を掲げる。物体は重力を無視して浮遊し、ミッカの胸の上で静止した。あとは、魔法的な引力が仕事をした。
スゥッ……
深緑の液体が降下し、傷一つ残さずに少女の皮膚へと浸透していく。それは瞬時に吸収され、あらゆる毛穴から飲み込まれ、彼女の本質と融合した。
それは単なるマナではない。純粋な生命力(バイタリティ)だ。
(熱が……消える)
ミッカは肺の火災が鎮火し、バルサムの清涼感に置き換わるのを感じた。血管が破裂した右腕の激痛が引き、心地よい痺れだけが残る。空気が容易に入り込み、胸を満たす。思考がクリアになり、苦痛の赤い霧が晴れていく。
まだ呆然とはしていたが、安堵と共にボルトは顔を上げた。彼女の青い瞳は、奇跡をくれたその生物に感謝を伝えようと動いた。
「ありがと……」
言葉は、唇の上で死んだ。
血を与えた『樹液の子』が、床に倒れていた。
ピクリとも動かない。以前は木製の体の葉脈を走っていた緑の光は、完全に消滅していた。葉は茶色く変色し、カサカサに乾いている。それは、眠っているようにも、気絶しているようにも見えなかった。
それはただの『物体』に見えた。中身のない、命のない、デッキに打ち捨てられた木製の人形。
──死んでいた。
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