【03】紀藤宗也の独白(1)
神戸日日新聞社会部記者の
<廉井徳夫>のことは紛れもなく私自身の問題ですので、何もかも人任せにすることは出来ないと思ったからです。
私が中学に入学したのは平成12年の四月でした。
平成12年は西暦で言うと丁度2,000年に当たり、20世紀最後の年だったのです。
その年は9月にシドニーオリンピックが開催された年でしたので、今でもはっきりと憶えていますが、世の中全てが世紀末ブームと言ってよいくらい、
千年紀を意味する<ミレニアム>という言葉を、街のあちこちで見ることが出来ました。
私の通っていた神戸市立東中学は神戸市東灘区にあり、自宅から学校までは少し距離があったので、通学には自転車を使っていました。
その当時私には四人の友人がいて、いつも一緒に行動していた記憶があります。
一人は五十嵐さんに紹介した
残りの三人は名前を思い出せないのですが、その中の一人が<
いえ、間違いなく<廉井徳夫>だった筈なのです。
外山正志は顔も名前も明確に憶えていて、もし店を閉めていなければ、今でも阪神電車深江駅の近くで居酒屋を営んでいる筈です。
残りの三人も名前は思い出せないのですが、顔は割と明確に憶えています。
ところがここで、不思議な記憶の断絶があることに、私は気づきました。
私の中で<廉井徳夫>の名前が、何故か記憶にある友達三人の、どの顔ともリンクしないのです。
どうしてなのでしょうか?
<廉井徳夫>が三人のうちの一人であることは間違いないのに、どうしてもその名前と記憶の中にある顔が全くと言ってよい程リンクしないのです。
単なる私の記憶違いと言ってしまえばそれまでなのですが、絶対にそうは割り切れないのです。
考えれば考える程、三人の顔は私の中で明瞭になっていくのに、<廉井徳夫>の名前からは乖離していくのです。
その不調和感が、私を限りなく不安にさせました。
私はその不安を何とか解消しようとして、中学一年生当時の記憶を一つ一つ、更に綿密に掘り起こしていったのです。
その中には、私にとって悲しい記憶もありました。
それはあまり思い出したくないような、とても悲しい記憶でした。
私は外山達四人とは別々の小学校に通っていたのですが、中学に上がって同じクラスになり、それから仲良くなったのだと思います。
放課後や学校が休みの日には、いつも何人かで集まって遊んだり、他愛のない話に明け暮れたりしていたのを憶えています。
いえ、憶えているというよりも、思い出したという方が正確でしょう。
何しろ20年以上も前のことなのですから。
その年は確か、サザンオールスターズの<TSUNAMI>という曲が大ヒットした年だったと思います。
サザン好きだった外山正志が、よく
あの頃は楽しかったですね。
中学に通い出した途端、小学生の頃に比べて急に大人になったような気がしたのです。
今思い出すと気恥ずかしくなるくらい、背伸びをしていました。
私が通っていた神戸市立東中学には、近隣の六つの小学校から生徒が集まって来ていたため、他の市立中学に比べて生徒数がかなり多かったようでした。
従って中学になって初めて会う子がクラスの大半を占めていたので、当時の私は新しい出会いに、何となくうきうきした気分でいたのを憶えています。
私はかなり引っ込み思案な性格だったので、自分から積極的に友達を作ることが出来なかったのです。
同じ班には外山達四人と、もう一人の男子がいました。
女子生徒も三人いたと思います。
学校の活動は、その単位で行動することが決まっていましたので、一緒に行動するうちに、外山達と自然に仲良くなれたのでしょう。
しかしもう一人いた男子とは、何故か仲が良かった記憶がなく、顔も全く思い出せないのです。
もしかしたらその男子生徒が<廉井徳夫>ではなかったかという気もするのですが、何故か心の中でそれを否定する気持ちが強いのです。
兎に角当時の私の学校生活は、親しい友達も出来て、とても充実していたと思います。
小学生時代、友達の少なかった私に、中学生になって大勢の友達が出来たことを、私の父がとても喜んでいたような記憶があります。
あの頃父は、一人残った家族である私のことを、とても心配していたのです。
中学一年の一学期には校外学習で、<六高山牧場>に行きました。
確か五月のゴールデンウィーク明けだったと思います。
その時も班の九人で行動して、牧場内を見て回ったのですが、皆結構
中学生といっても、つい二か月前までは小学校に通っていたのですから、まだ子供っぽさが抜けていなかったのでしょう。
動物への餌やりや乗馬体験などもあって、一日があっという間に過ぎて行った記憶があります。
他にも一学期には美術の時間に、絵筆を使わずに手を使って、水彩画を描く授業がありました。
体育館の床に広げた大きな紙のキャンバスに、班単位で一枚の作品を描くのです。
あれはとても楽しい授業だったと、今更ながら思い出しました。
絵のテーマは自由で何を描いても良かったのですが、返ってそれが難しかったのです。
女子の意見で花畑を描こうということになり、手に絵具をつけて一斉に書き始めたのですが、誰も指示する人間がいなかったため、惨憺たる作品になりました。
キャンバスの中心から端に向かって描き進めなければいけなかったのに、皆が一斉に端から中心に向かって書き始めたので、当然絵具の上を這って進むことになります。
そして皆が通った後には、惨憺たる結果が残されたのでした。
描き上がった作品のテーマが花畑だと聞いて、美術の先生が呆れていたのをはっきりと憶えています。
でも作品の出来は兎も角、皆で一枚の絵を描く過程はとても楽しかったのです。
九人全員が手は勿論のこと、顔も体操着も絵具だらけにして、お互いの酷い有様を笑い合っていました。
外山に至っては、もう一人の男子と、お互いの顔に絵具を塗り合って
今思い出すと、あの頃は毎日が楽しい日々でした。
特に小学生の頃、友達の少なかった私にとってはそうでした。
にも拘らず、どうして今まであの頃のことを忘れていたのでしょうか。
それは恐らく、忘れようとする意志が、心の中で強く働いていたからなのでしょう。
私がそんな気持ちになった理由は、ある日とても悲しい事件が、私の身の回りで起きたからなのだと思います。
その事件のことを思い出すまいとして、当時の記憶を意図的に心の隅に追いやっていたのでしょう。
その事件と言うのは、同じ班に所属していた
一年生の夏休みに、校内で花山さんの遺体が発見されたのです。
一学期のことを思い出すと、どうしても同じ班だった花山さんを思い浮かべてしまうので、私は無理に記憶を封印していたのかも知れません。
ああしかし、段々と記憶が鮮明になって来ました。
花山さんの遺体は教室の窓枠にロープを掛けて、首を吊った状態で発見されたのでした。
彼女を発見したのは、朝方に校内の見回りをしていた、当直の先生だったのです。
私は花山沙織さんの死を聞いて、とてもショックを受けました。
今思い出しても、とても悲しい気持ちが込み上げて来るくらいなので、当時の私が受けたショックは相当のものだった筈です。
私が花山さんの死にそれ程大きなショックを受けたのは、彼女が単に同級生だったという理由だけではありません。
当時の私は、恐らく花山さんに淡い思いを抱いていたのです。
その記憶が蘇って来て、胸が痛くなって来ました。
それ程花山沙織と言う女性は、私にとって大切な人だったのかも知れません。
私が彼女のことをそこまで好きになったのは、多分その面影が五歳の時に亡くなった母に似ていたからだと思います。
花山さんはおっとりとした性格の、とても優しい女の子でした。
その性格も、優しかった母を彷彿とさせたのだと思います。
花山さんは、発見された当初は自殺と思われたようです。
しかし自殺ではありませんでした。
彼女は誰かに殺されたのでした。
そのことが判ったのは、同級生の誰かが警察の取り調べを受けているという噂が流れたからです。
夏休み中のことでしたので、はっきりとしたことは分かりませんでしたが、確かそういう噂が同級生の間で広まったのでした。
しかしその噂が流れる以前から、私は彼女が自殺したということを、信じていなかったのです。
何故ならば花山沙織という女性は、自殺するような性格ではなかったからです。
彼女は明るく優しい性格の人でしたので、クラスの誰からも好かれていたのです。
勿論、何か別の理由があったかも知れません。
しかし当時の私が見る限り、花山さんが自殺するような様子は全くなかったのです。
そのことは鮮明に思い出すことが出来ます。
結局花山沙織さんの事件は、真相が明らかにされないままで終わったようでした。
彼女を殺害した犯人も、特定されなかったようです。
そしてここまで当時のことを思い出して、私の中である疑惑が持ち上がって来ました。
花山さんを殺した犯人が、<廉井徳夫>ではなかったのかと。
何故だか分からないのですが、そのことが私の心の中で確信に変わって来ています。
<廉井徳夫>が、私が大好きだった花山さんを殺した犯人だから、私は無意識のうちに彼の記憶を消し去ろうとしていたのではないかと。
そう思い至った今、私は抑えようのない焦燥感に駆られています。
<廉井徳夫>を早く見つけださなければ。
<廉井徳夫>を見つけて、何故花山さんを殺したのか、理由を訊かなければなりません。
そうしないと、湧き出てくるこの怒りを抑えられないのです。
まだそれほど時間が立っていないので、五十嵐さんからはまだ連絡が来ていません。
五十嵐さんは何をしているのだろう。
一刻も早く<廉井徳夫>を見つけて欲しいのに。
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