噛ませ犬貴族の成り上がり

月読 陸

第1話 悪役貴族に転生した日

「あーあ、期待を裏切らない小物ムーブだったな、シーク様は」


 深夜、コントローラーを放り出して背もたれに身体を預けた。画面の中では、俺が周回プレイするほど好きなRPG『グローバル・ファンタジア』の悪役貴族、シーク・フォン・アークライトが断末魔を上げている。


 金髪碧眼、公爵家の嫡男、そして作中屈指のチート才能。設定だけは完璧な彼が、ネットで『噛ませ犬の王』と嘲笑される理由は単純だ。最高の才能を持ちながら努力を怠り、しょうもない嫉妬から主人公に陰湿な嫌がらせを繰り返す。そして最後は禁断の力に手を出して自滅。そのあまりにもテンプレな転落劇は、様式美の域に達していた。


「最高の才能をドブに捨てる天才だよな、ホント」


 エンディングロールを眺めながら、攻略掲示板の書き込みに心の中で相槌を打つ。徹夜のせいか、猛烈な眠気が襲ってきた。「さて、次はどんな縛りプレイで…」そんなことを考えながらソファに身を沈めたのが、俺の最後の記憶だった。


 次に意識が浮上した時、視界に飛び込んできたのは、見慣れた安っぽいアパートの天井ではなかった。精緻な彫刻が施された、やたらと高い天井。ふわりと身体を包むのは、雲にでも乗っているかのように柔らかいシーツ。鼻腔をくすぐるのは、嗅いだことのない上品な花の香り。


「……ん?」


 掠れた声が出た。いや、声変わり前の、やけに高い子供の声だ。

 混乱しながら身体を起こす。絹のような寝間着に包まれた身体は、明らかに小さい。子供の、か細い手足。

 きょろきろと部屋を見渡す。無駄に広い部屋、アンティーク調の豪華な家具、窓の外に広がる美しい庭園。どう見ても、俺が住んでいた安アパートではない。


 待てよ、この展開……。やたら豪華な部屋、知らない天井、若返ったっぽい身体……。


「これって、ネット小説で死ぬほど読んだ『異世界転生』ってやつじゃないか!?」


 まさか、自分に。期待と困惑が入り混じった奇妙な高揚感に駆られ、俺はベッドから駆け下りた。自分の姿を確認しなくては。部屋の隅に置かれた大きな姿見の前に立ち、そして――凍り付いた。


 鏡に映っていたのは、陽の光を吸い込んだかのようなサラサラの金髪と、空の青を溶かし込んだような大きな碧眼を持つ少年。陶器のように白い肌に、人形のように整った顔立ち。

 ……その顔を、俺は嫌というほど知っていた。さっきまでモニター越しに、散々バカにして嘲笑っていた、あの顔だったからだ。


 血の気が、サーッと引いていく。脳が、目の前の現実を理解することを拒絶する。


「……うそ、だろ……?」


 さっきまでの奇妙な高揚感が嘘のように消え失せ、代わりにこみ上げてきたのは、純度百パーセントの絶望だった。


「ふざけるなあああああああああっ!!」


 俺の絶叫が、無駄に広い部屋に響き渡った。

 なんで! なんでよりにもよってコイツなんだよ! 主人公じゃなくてもいい、せめて名もなき村人Aとか、もっとマシなポジションがあっただろう!


 俺は怒りのまま近くにあったクッションを壁に投げつけようとして、その軽さに驚いた。子供の腕力では、クッションすらまともに飛ばない。その事実が、さらに俺を惨めにさせた。


 原作のシークは10歳で王立学園に入学し、主人公と出会う。鏡に映る姿から察するに、今の俺はせいぜい7つか8つ。まだ物語は始まっていない。だが、それがなんだと言うのだ。このまま成長すれば、俺はあの傲慢で小物なクズ貴族になり、主人公をいびり、最後は無様に殺される。そんな未来しか待っていない。


「冗談じゃない……!」


 俺が床にへたり込んで頭を抱えていると、コンコン、と控えめなノックの音がした。


「シーク坊ちゃま、お目覚めでいらっしゃいますか? 先ほど大きな物音がいたしましたが……」


 扉の向こうから、若い女性の声が聞こえる。まずい。今の俺は、中身がただの一般人だ。ボロが出れば、気味悪がられるかもしれない。

 俺は返事ができず、ただ息を殺した。沈黙を肯定と取ったのか、扉が静かに開く。入ってきたのは、年の頃20歳くらいの、亜麻色の髪をしたメイドだった。彼女は床にうずくまる俺を見て、驚いたように目を丸くした。


「坊ちゃま? いかがなさいましたか」


「……なんでもない」


 喉から絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。

 メイドは心配そうな顔をしながらも、深くは踏み込まずに告げた。


「旦那様より、本日から剣術の稽古を始めるよう、言いつかっております。お着替えの準備を」


 されるがままに立ち上がり、メイドに着替えさせられる。その間も、俺の頭は絶望で満たされていた。どうする? どうすれば破滅を回避できる? 原作知識が武器? だが、この無力な身体で何ができる?

 メイドの手が腕に触れる。原作のシークなら「無礼者!」と怒鳴る場面だ。だが、今の俺にそんな気力はなかった。ただ、人形のようにされるがままだった。

 着替えが終わり、部屋を出る間際、メイドが心配そうに振り返った。


「坊ちゃま、本当に……顔色が優れませんが」


「……大丈夫だ」


 その言葉に、前世の癖でつい、と付け加えてしまった。


「……手間を、かけたな」


「え?」


 メイドは鳩が豆鉄砲を食らったように固まった。その反応に、俺は「しまった」と内心で舌打ちする。不自然すぎた。俺は気まずさから逃げるように部屋を飛び出し、執事の案内に従って訓練場へと向かった。


 ◇


 体育館ほどの広さがある訓練場で待っていたのは、厳つい顔つきの騎士団長と、俺の父親であるアークライト公爵その人だった。


「来たか、シーク」


 氷のように冷徹な声。原作でも、息子に一切の情を見せない厳格な父親として描かれていた。彼は俺を一瞥すると、すぐに興味を失ったかのように騎士団長に向き直る。


「アークライト家の者に、惰弱は許されん。モノになるか、見極めろ」


「はっ!」


 父親はそれだけ言うと、さっさと訓練場から出て行ってしまった。残された俺に、騎士団長が子供用の木剣を放り投げてよこした。


「坊ちゃま。まずは素振りからだ。私が振るのを見て、真似てみろ」


 騎士団長が手本を見せる。風を切る鋭い音。達人の動きだ。

 その一振りが、俺の目にスローモーションのように焼き付いた。軌道、角度、体重移動、その全てが完璧に理解できる。これか。これが、シークの「見ただけで剣技を覚える」というチート才能の正体か。


(やれる……!)


 絶望の中に、一筋の光が差した。これがあれば、未来を変えられるかもしれない。

 俺は木剣を両手で握りしめた。脳裏に焼き付いた完璧な軌道を、自分の身体でなぞる。


 しかし――。


「ぐっ……!」


 木剣は、7歳児の腕にはずっしりと重かった。持ち上げただけで腕がぷるぷると震える。騎士団長のように滑らかに振るどころか、身体がぐらついてよろけた。

 ヒュン、ではない。ブンッ、という鈍い音を立てて、木剣は無様に空を切った。


「……もう一度だ」


 騎士団長の声には何の感情もこもっていない。侮蔑すらない。ただ、事実として俺が「できていない」ことを認識しているだけだ。


 悔しかった。頭の中では完璧な動きが再生されているのに、身体が全くついてこない。このギャップが、もどかしくて仕方がない。


「くそっ!」


 俺は何度も、何度も木剣を振った。転び、腕が痺れ、手のひらの皮がめくれて血が滲む。だが、振れば振るほど、理想と現実の差を突きつけられた。

 原作のシークは、これを数回で飽きてサボった。気持ちはわかる。こんな惨めな思いをするくらいなら、逃げ出したくもなるだろう。

 だが、俺は逃げられない。逃げた先に待つのは、破滅だけだ。


「……本日はここまでだ」


 どれくらいの時間が経っただろうか。騎士団長が訓練の終わりを告げた時、俺は床に倒れたまま、指一本動かせなくなっていた。


「明日も同じ時間に始める。遅れるな」


 それだけ告げて去っていく騎士団長の背中を見ながら、俺は滲む視界で自分の手を見つめた。小さく、弱々しく、傷だらけの手。

 才能は、確かにあった。だが、それは万能の力ではなかった。エンジンは最高級でも、それを動かす車体がボロボロのオンボロなのだ。

 絶望が、再び胸を支配する。


(結局、俺に何ができる……?)


 破滅するだけの悪役で終わるしかないのか?


 部屋に戻ると、メイドが心配そうに駆け寄ってきた。俺のボロボロの姿を見て、息を呑んでいる。


「……大丈夫だ」


 俺はそう言って、彼女の助けを借りながらベッドに倒れ込んだ。全身が悲鳴を上げている。

 だが、痛みに満ちた身体の奥で、一つの感覚だけが鮮明に残っていた。

 脳裏に焼き付いて離れない、あの完璧な一振りの軌道。

 あれは、本物だ。


(……まずは、この身体をどうにかするところからだ)


 自然と、口元が歪んだ。それは傲慢な悪役貴族の笑みではなく、あまりにも高い壁を前にして、それでも登るしかないと覚悟を決めた、男の自嘲めいた笑みだった。

 破滅? 上等だ。

 お前の才能、俺が使えるようにしてやる。時間はかかるだろうが、俺はもう、逃げないと決めた。

 こうして、悪役貴族シーク・フォン・アークライトに転生した俺の、絶望的なまでに地道な戦いが幕を開けたのだった。

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