私の人生終業

南風はこぶ

第1話 はじめに

 私の父は76歳で死んだ。肺気腫であった。そして私は、今年75歳になる。つい二ヶ月前まで働いていたが、急に体の衰えを感じ始めているので、そろそろ私もかなと思っている。

 歳をとると何を思うのか、死に際になると何を思うのか、70歳を過ぎた頃から興味があった。現時点で思うことは、歴史や世界の出来事への興味、疑問、心配事、自分の経験やトラウマのことである。

 そもそもの始まりは、自らへの嘆きだった。時代遅れを感じたのだ。ニュースでは何の解説もなく「サフ燃料」、「ピーフォス」とアナウンサーが読み上げ、歴史番組では「人生のメンター」とさらっと語られる。IT用語となると更に深刻で、「ディバイス」とか「スレッドが立つ」と言われても、全く理解できない。もはや追いつこうにも絶望的で、世間から置いてきぼりにされた感がする。

 その反動なのか、時代遅れを嘆くのはやめにした。追いつきたくても時間はなく、それよりも、自分の抱えている疑問やトラウマを、このエッセイを書くことで総決算してみたいと思う。

 自慢するとか、教訓を残したいとは毛頭思わない。そんなことをすれば、それは皆さんを不快にさせるだけであろう。自慢話や見栄を張ってどんなに格好をつけても、もはやどうなるものではないことを私は知っている。

 しかし、筆力の不足、表現の未熟さ、思考の愚かさから、厭味を感じさせてしまうことはあると思う。その辺はお許し願いたい。こんな馬鹿な奴もいるんだなと思っていただければ、それで良しである。


 さあ、何から書き始めようか。

 目下の最大の関心事は、あの戦争で日本人は何を反省したのかということ。

 そんな疑問の発端は、昨年、戦後79周年のテレビ番組や新聞を見ていたら、戦争はいけない、恐ろしいといった報道ばかりなのに違和感を持ったからである。あの戦争の反省が、恐ろしいだけの感情論、二度としてはいけないという教訓だけで良いのか、もっと大切なことを忘れていないのかと不思議に感じたのだ。

 陸軍の研究所は日米の国力比が20対1であると報告しており、戦争物資の石油も70~80%をアメリカから輸入していたにもかかわらず、いくら満州が日本の生命線だと考えていたとしても、大学教授からマスコミまでが、こぞって勝てない戦争を煽ったのはなぜだろう。番組でインタビューを受けた老婦人が、「当時はみんな神風が吹くと信じていた」と語っていたのが気にかかっている。

 洗脳されていたのか? 主体性の問題なのか?

 しかし、そんな考えはもっともらしいだけで、私が納得するような回答にはなっていない。前者は言い訳がましく、後者はジャンケンの後出しのように感じるのだ。親の起こした戦争で、フィリピンの駐在員時代に厭な体験をした私としては、あの戦争への反省を大前提として、「いつまで俺をモヤモヤした気分にさせているんだ、ふざけるな!」と言いたい気分なのである。


    (以下、別の項に続く)

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