第2話 戦後80年に思うこと (その一)
<知識があれば良いってもんじゃない!>
フェイクニュースが問題になっている。真実か嘘かを見破るのは難しいものだ。
一年前の話になるが、都知事選の際のYouTubeを観て、気の付いたことがある。予めお断りしておくが、私は小池氏の支持者ではない。
小池氏の学歴詐称を匂わせる番組があった。話者の肩書きには、某大学教授、オリエンタル文化研究者とある。
画面は分割され、主画面には話者が、右上にはエジプトのジャーナリストから小池氏がインタビューを受ける動画が映っており、会話の音声も流れている。
大学教授の話者が小池氏のアラビア語を評して言う。「二歳半程度」、「半年も学習すれば話せる程度」の会話だと。
番組話者の意図は明確である。この程度のアラビア語でカイロ大学を卒業するのは無理であり、その嘘を隠すためにわざとらしくインタビューを受けていると言いたいのだ。
動画を観た人は、どう思うだろうか。なにしろ、番組提供の話者は大学教授、アラブ文化の専門家である。多くの人が、話者は嘘を言っていない、小池氏のカイロ大学卒は疑わしいと思っても仕方がない。
もう50年ほど前のことであるが、私は大学の語学研究所でロシア語とアラビア語を二年間学んだ経験がある。
なんとかロシア語は様になった。技術翻訳や通訳の経験もしている。ところが、アラビア語は全く身に付かなかった。
その形から思い違いをしている人が多いようだが、アラブ文字は簡単である。アルファベットと同じ原理だからだ。
問題は会話である。発音が日本語や英語とは全く違う。喉から絞り出すような発声は全く口に合わず、リズムも取れず、したがって耳にも馴染まないので記憶に残りにくい。二年ほどの学習では、習得など問題外なのである。よほどアラビア語漬けの生活をしなければ、格好付けすら出来ないであろう。
自分の経験から、私は「フェイク」を見破った。大学教授や専門家の肩書きなど糞食らえである。
さて話はここからだ。
インテリ、とりわけ学生は経験や体験を軽視しがちである。本から得た知識を記憶し、その知識を頼りに偉そうな顔をしている。しかし、そんな記憶だけの学習がいかに無駄なものか、危険であるかを、私は歴史問題から思い知らされることになる。
(「その二」に続く)
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