肢体に抱き締められて異世界へ
不意に体が離れ、美樹の肌から熱が冷めていくのを感じた。代わりに土の匂いのする生ぬるい風が絡みついてきたので混乱した。東京のど真ん中のオフィスビルの一画で、心地よい体に抱き締められたときとは、まったく違うところにいた。もちろんここがビルの中ではないことはわかるが、こんな映画のセットのようなところに案内されるとは予想もしていない。
「ここが現場よ」
「な、何ですか?現場……!?」
鎌のような二つの三日月の下、さきほどタブレットで見せられた城がたたずんでいた。相手の話していたことは嘘ではないが、いろいろなところで理解しがたいことが多すぎた。
後ろに誰か佇んでいた。
背は美樹より少し低いが、魅力的なアーモンドのような瞳が見つめていた。革の鎧の胸をはだけて、左手には剣のようなものを携えているのは、まさしく映画に出るような美人だ。
「彼女が日本人?」
ハスキーな声をしていた。鎧から見え隠れしている胸の肌は澄んでいて、触れてみたくなるほど魅力的だが、彼女も混乱を理解させてくれる存在ではない。むしろ逆だ。美術館の展示品でも観るかのように、左右から覗き込んで後ろに回ると、触れはしないまでも近づいてきた。
「この人が戦力になるの?」
「日本人の即戦力ね」
メガネの面接官は答えた。パンツルック姿そのまままの彼女の解いた黒髪を揺らし、まるでひと仕事終えたような雰囲気を出していた。
「復興するときに頼むわ」
美樹は彼女たちから距離を置こうとして柵に背を押し付けた。何を話していいかわからないときは口がパクパクするのは本当だ。鎖骨の間に手の平を置いて落ち着くように諭した。
ひとまず後ろを向くと、リクルートスーツのボタンを外して、深呼吸した。ボタンだけではなく、リボンタイも緩めて、夢であるようにと呟きながら、肩越しに粗い丸太で組まれた柵越しに月夜に浮かんだ城を見つめてみた。
「ここはどこなのよ」
一人呟いた。
「だから現場よ。わたしはフレンシア、彼女は妹のヴィン。どこから話そうかしら」
「ビルの中じゃないの?」
「お城よ。でも心配しないで。たいしたお城でもないわ。砦みたいなものよね」
「砦……」
美樹は見渡した。あちらこちらにモンゴルで見たようなテントがある。あれは美樹はゲルというはずだと思い浮かべて、この際名前などどうでもいいと打ち消した。柵越しの城は断崖を背にしていて、夜のせいで見えにくいが西欧風の尖塔が見えた。城壁には狙い撃ちできるタレットが施されていて、歩哨などが警備できるように回廊で塔から塔へと繋がっている。
「ここはあなたたちの世界の普通の人間が見ることができない世界ね」
「見えてらわだすけど」
「わたしの魔法で転移してきた。ここの地面を通じてね。あの装置でね」
少し離れたところに柵で囲まれた陣地のようなものが見えて、ビルの部屋で見たような小さな光の粒がふわふわと飛んでいた。
「この光は何?」
「魔法のときに現れるものよ。見える人もいれば見えない人もいる。あなたは見えるのね」
「み、見えないわよ。何か青い光なんてあるのかなあ。魔法使われて疲れてるのかも」
「連れてきて正解だわ」
「さすがフレ姉!」
丘の上から見える丘陵地の底には一筋の川が流れていて、川を越えると城まで都市のような影がお互いに肩を寄せ合うようにしていた。
「今わたしたちはこの世界のために戦わなければならない。なぜあなたをここに連れてきたかというと、あなたは言霊を持つ民族で、なおかつわたしが認めたからよ。面接で。美樹はわたしたちの世界と親和性がある。何か念じて」
「帰りたい」
「却下。どれくらいの数面接したか。もう落として落として落としまくるのは飽きた」
「飽きてからが仕事です」
「帰るためには、わたしと一つにならないといけない。さっきみたいに」
フレンシアに抱き締められるのはいいが、こんなところにいるのは嫌だ。城と兵士などと一緒にいたくない。月は二つもある。こんな世界でいれば、殺される可能性も否定できない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます