30 もっと幸せになろうな

 朝、なんとなく気持ちが悪いまま目を覚ますと、部屋の前で待機していたメイドが水を持ってきた。

 とりあえず体を起こしてそれをコクコクと飲んで、もしそれぞれの実家が贈収賄することがなかったらこんな暮らしが当たり前だったのだな、とベッドの天蓋を見つめる。

 ガイウスの姿がない。どうしたのだろう、と思ったら、窓の外からガイウスとハイドランジア卿が剣術の稽古をする声が聞こえた。


「百人隊長。もっと鍛えないとダメですよ」


「うぬう、……はあ。はあ」


 明らかに息の上がっているハイドランジア卿にクスリとなり、厳しい稽古に余裕でついていくガイウスを頼もしく思い、自分は幸せだな、とズザナは思った。

 将来この大きな屋敷で暮らすことに、子供のころは疑問なんてなかったし、自分が貴族の家の飾り物になるほど美しいとも思っていなかったし、そのために親はほかの選択肢を見せなかったのだな、とズザナはため息をつく。

 自分の人としての価値を認めて、愛していると言ってくれるガイウスは、やはり素敵な男性だ。


 朝食が用意されたというので、着替えて食堂に向かう。

 用意されていたのは、色とりどりのフルーツを凍らせたものに、凝乳と白砂糖をたっぷりかけたものと、レモンのマーマレードが塗られたトーストだった。食べたいものがドンピシャで出てきた感じだ。


「帰りの馬車はどうするつもりなのだ?」


 ハイドランジア卿はそう尋ねてきた。


「普通に乗り合い馬車で帰りますけれど」


「ダメだ。あんな粗末な乗り物、腹の子に障るだろう。我が家の馬車を使え」


「ありがとう存じます、エヴァレット」


「ありがとうございます、百人隊長」


「ズザナ、お前は灰狗……ガイウスに心の底から好かれているんだぞ。ガイウスとずっと幸せであれよ。ガイウスも、絶対にズザナの手を離すな。それが私の願いだ」


「はっ!」


「分かりましたわ」


 その日の昼前に、ズザナとガイウスはハイドランジア卿の家の馬車で王都を出た。ハイドランジア卿の馬車はフカフカの椅子でスプリングが効いていて、ガタガタ揺れることもなければ「おいどが痛うおます」になることもなかった。

 それに道中、夜は必ず旅籠や宿屋に泊まれるようにハイドランジア卿が手配してくれた。


「ズザナは親に会わなくてよかったのか?」


「ええ。わざと私の選択肢を狭めた親ですから。いまさら会ってもなにもいいことはありませんわ」


「選択肢を狭めるって……ハイドランジア卿と結婚させられるってことか?」


「そんなところですわね。それに多感な14歳の女の子に、将来のためと言って春画を見せるよう家庭教師に言いつける親でしてよ?」


「それは確かに嫌な親だな」


「それにきっと、ハイドランジア卿の家の朝食に出てきた果物や凝乳や砂糖、白いパンやマーマレードは、わたしの親が扱っているものですわ。会ったようなものです」


「そうか。それならいいんだが」


 ◇◇◇◇


 テクゼ村に帰ってくるなり、ちょうど村の外に広がる畑で仕事をしていたカンナステラとリッキマルクが駆け寄ってきた。ガイウスがズザナの手を引いて馬車を降りる。


「おかえり。どうだった、王都は」


 リッキマルクが笑う。


「すごかったぞ! でかい建物がいっぱい建ってて、食い物がなんでもうまくて」


「ハイドランジア卿もやっと諦めがついたようでしたわ。既成事実の前には権力など無力ですわね」


「え、じゃあ鋼の民ってのは本当に、結婚して契ったってだけの話で略奪愛を諦めるもんなのかい?」


「もう一つ大事な事実があんだよ。な」


「ええ」


「ははーん……?」


「ほおーう……?」


「これ、王都のお土産のお菓子ですわ。どうぞお二人で召し上がって」


 ズザナは王都名物の焼き菓子をひと缶、カンナステラとリッキマルクに渡した。二人は嬉しそうに受け取ると、仕事を適当なところで終わらせて村に戻った。

 森や畑を世話してくれたダロンにもお礼を持っていった。ダロンはしっぽをぱたぱたさせながら菓子の缶を受け取った。


 菓子を受け取り、ダロンはなにかふと表情を変えて、少し匂いを嗅いでから、小さい声で「おめでとう」とズザナに言った。


「生まれたら抱かせておくれよ。それまでに雷オヤジはやめるから」


「ええ、もちろん」


 2人は珍しく笑顔のダロンに挨拶をして、ロビンの店に向かった。ロビンは結婚式のときに花冠をとった、ダロンの姪と話をしている。

 結婚したらどうかとは言ったもののずいぶん体格が違う。ダロンの姪は体が大きくてとてもゴツい。


「あ、お二人さん。おかえり。それからおめでとう」


「そんなにすぐバレるもんなのか?」


「コボルトの鼻をナメちゃいけない。ほんのちょっと匂いが変わるだけでもわかるんだから。とにかくおめでとう。ズザナさん、体に気をつけてね」


 お土産の菓子の缶を渡すと、ロビンは早速缶を開けた。中に入っている鳥の形の焼き菓子を、ダロンの姪とおいしそうにバリバリ食べ始めたので、これでいいか、とガイウスとズザナは家に戻った。


 久しぶりの家はとても落ち着くところだった。

 確かにハイドランジア卿の屋敷とは天と地の差ではある。でも、これくらいの、自分で全て把握できる家のほうがきっといい。


「ズザナは幸せか?」


「ええ。ガイウスと一緒にいられて、とっても幸せ」


「そうか。俺も幸せだよ。……きっと俺はこの世でいちばん幸せだ」


 二人はキスをした。


「さ、ここじゃ果物なんて望めないから……リンゴから作ったお酢でも買うか。ハチミツを入れて、水で割って飲むとおいしいんだ。よく夏にお袋が用意してくれたもんだよ」


「ありがとう、ガイウス」


「へへへ。もっと幸せになろうな」


「もちろんですわ」


 ◇◇◇◇


 若干気分のよくない日もありつつ、平和に過ごしていると、ドアが乱暴にノックされた。なにごとだろうとズザナが玄関に出ていくと、そこには激怒の形相をしたズザナの両親が立っていた。


「ズザナ! お前はなんという親不孝ものだ!」


 父親が顔を真っ赤にして怒鳴る。


「そうよ! 貧乏な木こりと結婚したんですって!? いますぐにでも人別帳を書き換えて、王都に戻りなさい! 子供はおろしなさい!」


「な、なにを急に? もうわたしはこの村で暮らすと決めたのですわ。それにガイウスは貧乏ではありません、ちゃんと稼ぎのある人です」


「屁理屈は聞きたくない!」


「ほら、来なさい!」


 ズザナが引っ張られているところにガイウスが戻ってきた。事態を一瞬で理解して、ガイウスはズザナの両親にズザナを放すよう言った。(つづく)

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