31 俺を信じてくれ
激怒するズザナの両親は、ガイウスが手を放すように言っても聞き入れず、ズザナを引っ張ろうとした。ズザナは大きな声で「やめて! 放して! お父様もお母様も!」と叫んだ。
「叫ぶんじゃない! 静かにしろ!」
「いや! わたしはガイウスとここで暮らすのです!」
「聞き分けのない子ね! こんな小屋より、ハイドランジア様のお屋敷のほうがずっといいでしょう!」
「いやです! 家にも帰りませんしハイドランジア卿の家にも行きません! エヴァレットは諦めてくれたのです!」
「貴族に諦めさせるとは身のほどをわきまえん娘だ! こい!」
「ま、待ってください。せめて無理に引っ張るのはやめてくださいませんか」
ガイウスが声をかける。
「……あんたがガイウスとやらか。ふん……みすぼらしいなりをして。なんでこんなのと結婚しようと思った、ズザナ」
「おおかたこの村には鋼の民がこの男しかいないのでしょ」
「結婚しようと思った、のではなく結婚したのですわ! わたしはガイウスと愛し合っています!」
「そんなものは気の迷いだ。王都に帰って、ハイドランジア様のお屋敷で暮らせばこんな暮らしごめんだとなる。来い!」
「嫌です! 放して!」
「……おい。ズザナは嫌がってるんだ。放せ。お腹の子になにかあったらズザナもただで済まないかもしれないんだぞ?」
「……」
ズザナの父親は、ズザナの腕を放した。
「あんたもだ。冷静に話をしよう」
ズザナの母親も、ズザナの腕を放す。
「ガイウス、なんの騒ぎだい?」
商店の仕事をサボっているらしいロビンが現れた。ガイウスはかくかくしかじか、とロビンに事情を説明する。
「それは……生木を裂くっていうものじゃないですか、ズザナさんのお父様お母様」
ロビンは鼻に寄った皺をさらに深くして、低い声で唸るようにそう言った。
「この縁談が叶わなかったらミューラー家の武器商人としての復活は叶わない。だからズザナを連れ帰って、ハイドランジア様に差し出さねばならない」
「ええっ、ズザナさんの実家ってあのミューラー家だったの!? ミューラー社の弾薬の箱は頑丈で、物入れに重宝しました」
「ふん。犬め」
あ、コボルトに言っちゃいけないことを言ったぞ。
ロビンの表情がみるみる険悪になる。そりゃそうだとズザナも思う。
「最低限の礼儀もわきまえない家族、きっとズザナさんはご苦労なさったのだろうね」
ロビンはそう言って牙をむいてみせた。
その表情が、あまりにも普段の座敷犬然とした顔と違うので、ああこれは本気で怒っているのだな、とズザナは理解した。
とはいえ小柄なロビンが怒ってもさして怖くない。座敷犬に噛まれてもけがをしないのと一緒だ。
ちらと森のほうを見ると、ダロンの立った茶色い耳が見えた。山菜採りをしていたらしい。ひょこっと顔を上げて、ダロンはノシノシとこちらに向かってくる。
王都の騎士団が飼っている警備犬にそっくりなダロンならいくらか説得力もあるのではなかろうか。ダロンは大股で、手をこぶしにして、どしどしと歩いてくる。
「ズザナさんとガイウスを引き離そうとしたうえに、我々コボルトを犬と罵ったか」
ダロンはグルルル……と喉を鳴らした。その恐ろしげな表情を見て、ズザナの両親は一瞬怯えたように見えたが、武器の商売の再開と貴族とのパイプがよほど惜しいのか、すぐ気を取り直してダロンに言い返した。
「だまれ犬畜生め。お前らのような貧しいものには、我々の気持ちなどわからんのだ!」
「い、犬畜生!? 発言を撤回してくださいまし! このヒトたちはわたしとガイウスにとてもよくしてくださっているのです!」
「犬に変わりはないでしょう。こっちの白黒ぶちなんか昔家で飼っていた犬にそっくりよ」
「貴様ら、喉を噛み裂かれるのを待っているようだな」
「よせダロン。この人たちは王都の、鋼の民しか見たことのない人なんだ」
いまにもズザナの両親に飛びかかろうとするダロンを、ガイウスが止めた。
「お父様、お母様、この通りガイウスはお父様お母様を守ろうとしています。これを誠意として受け取ってくださいませんか」
「そうですよ。このダロンというヒトは雷オヤジで有名で、怒ったら怖いんですから。というかげんに怒ってますから。ダロン、戦場帰りですよ。ガイウスも戦場帰りですよ。怒らせないほうがいいんじゃありませんか」
ロビンも加勢してくれたが、両親は本当にダロンが喉を裂きにくるとは思っていないようで、怯える気配すらない。
「戦場帰りというなら感謝することだな。我が社の銃弾は品質が随一! 魔族を捩じ伏せるのに必須!」
「そうよ。魔族との戦争に勝利したのは、我が社の弾薬が優れていたから!」
「殺されたいのかあああっ!!!!」
ダロンが怒鳴った。
さすがにこれにはズザナの両親も怯えた。
「自分は! 戦場というところで! 死ぬ思いをした! それはお前たち鋼の民が、無益な戦争を引き起こすからだ!」
「これはこれは申し訳ありませんでした、ダロン殿」
「謝れば許されると思っているのかあああっ!!!!」
「さすがにその態度の変え方は下品だと思いますよ」
ロビンが第三者目線で冷静に言う。
「いいか! ズザナさんとガイウスは! 村じゅうに認められて夫婦となった! それを引き裂くのは許さない! この村の全ての人族が許さないことだ!!」
「おお怖い怖い……」
「ああやだやだ……」
ズザナの両親は無礼な態度をひとかけらもくずそうとしなかった。ズザナはくやしかった。コボルトたちの優しさはよく知っている。それを犬と罵った両親はどうしても許せない。
ガイウスがダロンを羽交締めにして止めているので、ズザナもダロンに詫びた。
「ごめんなさい。わたしの両親がひどいことを申しました」
「グルルル……!」
ダロンは興奮して我を失っていた。ガイウスに手で制され、近寄ることはできなかった。
「ズザナ、大丈夫だから。俺を信じてくれ」
「もちろんですわ。ダロンさんはガイウスに任せます。ごめんなさいね、ダロンさん」
「ズザナ、なんで犬に詫びているのです」
「そうだぞズザナ。犬に詫びる必要なんてない」
「この方が犬に見えますか? この逞しいコボルトが? お父様もお母様も、やっぱりお金に毒されて目が悪くなっておりますのね。この方が本気を出したら、お父様もお母様も、あっという間に喉を裂かれて殺されますのよ。こちらの白黒ぶちの方だって、鋼の民の指くらい簡単にもぎ取りますのよ」
ズザナは強い口調でそう言った。流石に両親の表情に躊躇の色が浮かんだが、欲望はそれくらいの躊躇は吹き飛ばしてしまうようだった。(つづく)
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