第9話 運

 昔の僕は、小さい頃――カードパックを買うのが大好きだった。


 お小遣いをちまちま貯めて、店先で一袋選ぶ。

 小さなパックの中には、5枚か10枚分の夢が詰まっていた。

 アニメみたいに、この世に一枚しかない激レアのモンスターやキャラが出てくるんじゃないか――


 王の黒き従者、青い瞳のドラゴン、身体を切り裂かれ封印された幻神……などなど。


 そんな妄想をしながら、それが僕だけのエース、自分の魂になるって信じていた。


 だから、カードパックを開けるという行為は、僕にとって何より楽しくて、期待に満ちた瞬間だった。

 そのワクワクを、誰かに伝えたいと思っていた。


 ……けれど。


「あ、あはははっ……」


 全身で耐える。

 この空間に圧し掛かる、責めるような視線という名のプレッシャー。ついに僕は、乾いた笑い声を漏らした。


 目の前にいるのは、赤髪に緑の瞳、明らかに高貴な家柄のお嬢様。その傍らには、銀髪で姿勢の整った、完璧なメイド。きっと厳しい教育を受けてきたのだろう。

 

 今、そのメイドが、まるで殺意を帯びた氷点下の眼差しで僕を睨みつけている。


 その理由は、言うまでもなく――かのお嬢様の手元にあった。


 震える指先で、少女はカードパックを破る。

 そして中身を取り出し、広げた。


「……うっ」


 小さくうめくような声が漏れる。

 彼女の掌には、輝きのない、10枚のコモンカードが並んでいた。


「きらきら……してない……っ」


 ……まただ。


 メイドからの殺気がさらに濃くなったのを感じて、僕の頬には冷や汗が伝う。


 どうして、こうなった。


 今日は万全を期して、三箱分のカードパックを持ってきた。

 一箱三十パック入り、もちろん「天井」システムみたいなものも仕込んである。

 封入作業の際に、それぞれの箱にUR等級のカードを十枚以上入れたのは間違いない。


 ただし――封入は完全ランダム。

 僕自身も、どのパックにレアが入っているかはまったく把握していない。


 にもかかわらず。

 目の前のこのお嬢様は、既に一箱目をほぼ開け切ろうとしていた。 それなのに――肝心のURカードは、一枚たりとも出ていない。


 そりゃあ、メイドの視線も詐欺師を見るようなものになるよね。


 くっ、まさか封入作業でミスったのか……?


 不安と自己嫌悪が入り混じる中、ふいに僕の手の中に銀貨が一枚ねじ込まれた。反応する間もなく、赤髪のお嬢様はまた一パック、箱から引き抜いていた。


「……お嬢様。そろそろ、ここまでにしておきましょう」


 メイドが静かに、けれど強い語気で口を開く。


「この露店の者、最低保証とか言ってますが……どう見ても、話が違います。一箱に確定でカードが入っているはずが、まったく出てこない。すでに支払いは1000アーズを超えています。これは元々、色んな店に使う予定だった予算なのですよ」


「ハルシィ。まさか、あなた……このアンジェリーナに、運試しの勝負で負けを認めろとでも言うの?」


 赤髪の少女――アンジェリーナは、歯を噛みしめながら震える手で、もう一つパックを開封した。

 結果は、またしても……10枚すべてコモンカード。


 無表情のまま、機械のように財布に手を伸ばす。

 けれど、しばらく探ったあと、何も取り出せずに止まった。


「お小遣い、なくなっちゃった。お父様が初めてくれた、わたしのお金だったのに」


「っ……お嬢様っ」


 ハルシィと呼ばれたメイドが、今度は明確な敵意をこめた目で僕を睨みつけてくる。

 僕はもう、引きつった笑みを返すことしかできなかった。


 どうにか絞り出した言葉は――


「えっと、その……運がちょっと悪かっただけ……かな?」


「よくもっ」


 ハルシィは怒りを込めて、数枚の銀貨をテーブルに投げつけた。

 そして箱から残りのパックを奪い取ると、勢いよく開封した。


「最低保証だの、必ず入ってますだの、ほざいておいて……どうせ全部詐欺なんでしょう?お金は払うわ。だから、今ここで証明してあげる――あんたが、いかに信用ならないかを!」


 ……そう言いかけたところで、彼女の声が止まった。


「ハルシィ?」


「……」


「ねえ、ハルシィ? どうして急に黙っちゃったの……まさか」


「お、お嬢様。見ないでくださいっ!」


 慌ててカードを隠そうとするメイド。だが、それより早くアンジェリーナがメイドの背後に回り込み――


「じゅ、10枚全部……きらきらしてるっ」


「お、お嬢様! しっかりしてください! お嬢様ーっ!」


 赤髪の少女、アンジェリーナは、まるで貧血でも起こしたかのようにふらりと後ろに倒れ――

 慌てたメイドのハルシィが、崩れ落ちる主を必死に抱きとめた。


 その腕の中で、お嬢様は震える手を伸ばし……弱々しい笑みを浮かべた。


「……ハルシィ。どうやら……わたしの運命、ここまでだったみたい……」


「――お嬢様ぁぁぁっ!!」


 燃え尽きて灰になったかのように、静かに微笑みを浮かべたアンジェリーナを抱きしめながら、ハルシィは悲痛な叫びを上げた。


「いや、なんでやねん」


 そして、この茶番――いや、壮絶なドラマのすべての元凶である僕はというと。


 ただただ、立ち尽くし、ツッコミを入れるしかなかった。

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