第六章 佐倉 結衣の物語
第一話 閉ざされた情報
佐倉結衣は、完璧な少女だった。
朝の登校時、校門に立つ姿は、
生徒会の制服を淀みなく着こなし、
背筋はピンと伸びている。
清々しい挨拶の声は、誰よりも大きく、
誰からも信頼されている。
生徒会長として、彼女の周りにはいつも、
規律と秩序が保たれていた。
学業成績は常にトップ。
テストでは常に満点を取る。
部活動でも、書道部の部長として全国レベルの実力を持つ。
彼女の書く文字は、墨の匂いと共に、
見る者の心を奪う力があった。
彼女の行動は、常に模範的で、
周りの生徒からも、先生方からも、
「佐倉さんなら安心だ」「非の打ち所がない」と、絶対的な信頼を寄せられていた。
彼女の笑顔は、いつも完璧だった。
どんな時でも、隙を見せない。
それが、佐倉結衣。
誰もが憧れる、理想の生徒会長。
その笑顔の裏に、本音を隠していることなど、
誰も知りようがなかった。
けれど、その完璧な笑顔の裏には、
誰にも言えない、秘密があった。
固く、鍵がかけられたように、
心の奥底に閉ざされた情報。
それは、誰かに話せるような、大それた秘密ではない。
もっと個人的で、些細なこと。
だが、結衣にとっては、
その「完璧な生徒会長」というイメージを、
一瞬で破壊しかねない「欠点」であり、
誰にも理解されない「隠れた情熱」だった。
例えば、彼女は、実は人には見せられないような「超オタク気質な一面」がある。
深夜、誰にも見られない部屋で、
二次元アイドルのライブ映像に合わせて、
熱狂的にペンライトを振る。
あるいは、極度の方向音痴で、
校舎の廊下でさえ、時々迷子になる。
地図を頭に入れても、なぜか逆方向へ進んでしまう。
その「完璧」とのギャップに、人知れず悩んでいる。
「もし、こんなことがバレたら……」
完璧でなければ、誰も私を認めないだろう。
そんな不安が、常に心の奥底にあった。
感情を表に出すことは、許されない。
弱い自分を見せることも、許されない。
それが、彼女に課せられた、見えないルールだった。
だから、結衣は、感情を殺し、
「完璧な私」という仮面を被り続けた。
心の中に広がるのは、白と黒だけの、モノクロの世界。
色褪せた日々が、ただ過ぎていく。
その完璧な世界で、息苦しさを感じていた。
まるで、空気の薄い場所にいるようだ。
そんな彼女にとって、
同じクラスの同級生、ハルキの存在は、唯一の救いだった。
ハルキは、いつも周りに流されず、
自分の意見をしっかりと持っている。
彼の、何気ない優しさ。
テストで困っている時に、さりげなくヒントをくれたこと。
真剣な眼差しで、授業に集中している横顔。
彼に触れるたび、胸の奥で、
どうしようもない「恋心」が膨らんでいく。
それは、他の誰にも言えない、結衣だけの秘密の感情だ。
完璧な自分とはかけ離れた、
隠れた欠点や情熱を抱えている私では、
ハルキに「好き」と伝える資格がない。
この秘密を抱えている自分では、
きっと彼は、私を軽蔑するだろう。
結衣は、そんな思いを一人で抱え込んでいた。
どうしようもない恋心。
胸が締め付けられるように苦しい。
この感情を、どこにもぶつけることができない。
まるで、鍵のかかった扉の向こうに、
その感情が閉じ込められているかのようだ。
放課後。
今日も、生徒会室で、提出書類のチェックをする。
整然と並べられたファイル。
規則正しく並ぶペン立て。
全てが完璧だ。
その完璧な空間で、結衣は一人、
スマートフォンを操作する。
完璧な生徒会長の仮面の下で、
胸の奥に抱える、ハルキへの恋心。
その恋心をどうにかしたいと、ぼんやり考えていた。
窓の外からは、運動部の掛け声が聞こえる。
その喧騒が、結衣の孤独を際立たせる。
完璧な笑顔の裏で、胸の奥は痛む。
誰にも言えない言葉が、メロディとなって溢れ出す、
ような気がした。
この感情を、どうにかしたい。
どこかに吐き出したい。
それが、結衣にとっての、ささやかな救いだった。
誰もいない生徒会室。
真新しい鍵のかかった引き出し。
その中に、結衣の本心が隠されているようだった。
結衣の秘めた感情は、まるで、
閉ざされた情報が記録された、埃っぽい古い音源ファイルのようだ。
ノイズが混じりつつも、確かにそこに、
結衣の心が息づいている。
しかし、それをどう形にすればいいのか、まだ分からない。
昼休み。
食堂で一人、栄養バランスの取れた定食を食べていると、
近くの席の女子生徒たちが、楽しそうに話しているのが聞こえた。
「ねえ、知ってる?最近、『ココロノオト』ってサイトが流行ってるんだって!」
一人の子が、興奮した声で言った。
「え、なにそれ?」
別の友達が、目を輝かせながら尋ねる。
「自分の気持ちを歌にして、匿名で投稿できるんだって!できた歌のページにはQRコードがついてて、それを印刷したら簡単に誰かに見せられるらしいよ」
「マジで!?なんか、ドラマみたい!私も試してみようかなぁ」
「それがさ、コメント機能で送り主だけ分かるようにできるらしいよ!特定の相手にだけ秘密のメッセージを送れるんだって」
「えー!それ、超ドキドキするじゃん!試してみよっかなー!」
結衣は、その会話に、ピクリと反応した。
ココロノオト。
自分の気持ちを歌にするサイト。
匿名で、誰にも知られずに。
その言葉が、結衣の心に、小さな波紋を広げた。
心臓が、微かに、けれど確かに跳ねる。
まるで、閉ざされた心の扉が、
わずかに開いたかのように。
誰にも言えない、自分の「欠点」や「隠れた情熱」。
そして、ハルキへのこの恋心。
それを、歌にして表現できるかもしれない。
誰かに届くかどうかは分からない。
でも、ただ、この感情を、どこかに形として残したい。
それが、新しい自分を見つける、小さな勇気になるかもしれない。
家に帰り、自室のベッドに飛び込む。
窓の外は、もう深く濃い闇に包まれている。
薄明の資料室の、重く閉ざされた扉。
その向こうに、結衣の心が閉じ込められている。
今日の出来事が、頭の中を駆け巡る。
完璧な生徒会長。
誰にも見せられない秘密。
ハルキへの恋心。
そして、初めて耳にした「ココロノオト」という言葉。
この孤独な心を、どうすればいいのだろうか。
もしかしたら、このサイトで歌を作れば、
誰か、この秘密を理解してくれる存在に、
出会えるかもしれない。
誰にも届かなくてもいい。
ただ、誰かに、私の「鍵」を見つけてほしい。
結衣は、漠然とした期待と、それでも拭いきれない不安の中で、
ただ、暗闇を見つめていた。
心の奥底で、小さな、でも確かな決意が芽生え始めていた。
この歌に、私の全てを込めて。
本当の自分を見つけるために。
鍵をかけた心の扉を、誰かに開いてもらいたい。
そんな切なる願いが、結衣の胸に響いていた。
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