調書3 変化する夢
ある日を境に、兄の彼女が訪ねてくる事が無くなった。あの女とは別れたのだろうか?私としては願ったりだ。あんな下品な女は兄には似合わない。
兄にはもっと知的で上品な女性が似合う。
痛んだ金髪、ピアスだらけの両耳、露出度の高い服。一体、あんな女の何処が良かったのだろう・・・・・・
彼女が来なくなってから、兄の元気がない。別れを引きずっているのだろうか?私は心配になり、兄へと声を掛ける。
「最近、元気がないね?大丈夫?」
「あぁ・・・・・・心配かけて済まない。食欲が沸かないんだ」
「体は大事にしないと、心配だよ。しっかり食べてね」
「あぁ・・・・・・」
兄は目も合わせずに答える。顔はすっかりやつれてしまい、痛々しい姿だった。あの女が来なくなった事が理由だろうか?私は思い切って聞いて見ることにした。
「そういえば、よく訪ねてきたあの女性は?最近来ないね」
兄はこの質問を聞くと、私の顔を悲しそうな顔で見る。その顔を見た時に、聞いた事を後悔してしまった。
「彼女とは最近、連絡が取れないんだ・・・・・・何か事件に巻き込まれてないといいんだけど・・・・・・心配で、心配で」
心から心配しているようだった。あんな下品な女の為に体調を壊す必要なんてない。
きっとあの女は、他に好きな人でも出来たのだろう。兄をこんな姿にして、なんて憎たらしい女だ。
あの下品な女が来なくなってから、私の夢にある変化が起こる・・・・・・
薄暗く、狭い部屋、いつもの椅子の座り心地、また夢の世界だ。相変わらず椅子に縛り付けられたように動くことが出来ない。
それに右手の痺れも更に酷くなっている。
「まただ、もう何度目だろう。早く、目覚めないかな・・・・・・」
何度も見る夢に飽き飽きしていた私は、夢から覚めるよう願った。
目を閉じていると、窓の外から足音が聞こえてくる。その足音はどこか聞き覚えがあった。
私は視線を窓の方へと向けた・・・・・・
いつも人の気配を感じるが誰も居ない窓の外。しかし今日の夢は様子が違った。
窓の外には大きな人影が映る。何度も同じ夢を見ているがこんな事は初めてだった。
この人影が気配の正体なのだろうか・・・・・・人影は窓に少しずつ近づいてくる。
窓枠一杯に、人影が映ると無言で立っている。私は窓の方から確かに視線を感じていた。
誰かが私を見ている・・・・・・
「ねぇ!あなたは一体誰!?そこに立ってないで出てきなさいよ!」
私は人影に話しかける。しかし、私の問いに答える事はない。ただただ、無言で立っているだけだ。無言の人影は不気味な存在感を放っている。
「ねえ、貴方は一体誰なの!?私に何の用?」
人影は答えない・・・・・・ただ、不気味に立っているだけだ。
私は繰り返し、問い続けた・・・・・・
「ねぇ、何故、そこに立っているの?」
「目的は何?」
「気配の正体はあなただったの?」
「あなたは誰?」
何を聞いても無言の人影に苛立ちは募る・・・・・・
「・・・・・・もういい加減にして!」
私が声を張り上げると同時に夢から覚めた・・・・・・びっしょりと汗をかき、呼吸も激しい。初めて見る夢の展開に体が付いて行かないのか、激しい疲労感に襲われる。
起き上がり、窓のカーテンを開けると薄暗い朝方だった。もちろん、人影はいない。一体、あの夢はどのような意味があるのだろうか。
また次の日、夢を見る・・・・・・
暗い私の部屋、いつもの通りに椅子から動けない。いつもの悪夢だ。窓の方から視線を感じ、見てみるとやはり人影が立っていた。
あの、悪夢の続きだった・・・・・・
「ねえ、あなたは誰なの?いい加減にして、不気味なのよ」
人影は反応しない・・・・・・
「目的は何?私が何かした?動けないの!答えて!」
私は夢から覚める事を願いながら、何度も人影へ問いかけた。
どれ位、質問を繰り返しただろうか返事は唐突に返ってきた。
「覚えてないの?」
聞き覚えのある女性の声だった。昔から知っている声ではない、最近聞いたような馴染みの薄い声、クラスメートだろうか?
〝覚えてないの?〟
私には何の事だか分からない・・・・・・
「分からない・・・・・・一体あなたは誰なの?」
「覚えてないのね・・・・・・残念だわ」
「私はこの椅子から動けないの!ここまで来て私に顔を見せなさいよ!」
「あの時は、椅子から立ち上がってたじゃない・・・・・・」
「あの時?あの時って何のこと!?」
「本当に覚えてないのね・・・・・・また来るわ」
「駄目!行かないで!顔を見せなさい!」
一体、人影は何を言っているのだろうか。声との会話に夢中で気付かなかったが、部屋の中で激しく壁を叩くような音が聞こえた。
私は瞳をぐるぐる回して音の出所を探した。音の正体はどうやらクローゼットから
だった。クローゼットを内側から激しく叩くような音に包まれる。
音は少しずつ、大きくなっていく・・・・・・
私の頭の中にクローゼットを叩く音が大きくこだまする。
「もう、辞めて!」
自分の声で目を覚ました。繰り返すこの夢は、悪夢となって私を苦しめる。この頃から、学校の成績は落ちていき、体調不良も続いた。すべてはこの悪夢のせいだ。
「ねぇ、栗田さん、数学のこの問題なんだけど・・・・・・」
ある日、クラスメートが私に声を掛けてくる。いつものように勉強を教えて欲しいのだろう・・・・・・自分で考えれば良いのに、今の私にはそんな余裕はない。
「ねぇ、栗田さん、聞こえてる?」
「もう、うるさい!いつも私を頼ってばっかりでいい加減にしてよ!」
クラスメートは一瞬、驚いた表情を浮かべると、教室を出て行った。悪夢は完全に実生活へと影響していた。
体の疲労感は取れずにその日は学校から逃げるように早退した。その頃には悪夢の恐怖から眠る事が怖くなっていた。
しかし、眠気には勝てない・・・・・・部屋の椅子に座ると、気絶するように眠りに落ちてしまった。
――また、あの夢を見た・・・・・・
暗い部屋、クローゼットを激しく叩く音、動けない椅子、そして窓の人影・・・・・・私は夢の中でさえ、疲れ果てていた。
「まだ、思い出せないの?」
窓の外の人影は話し掛けてくる・・・・・・
「何も、思い出せない・・・・・・」
私は小さな声で答えた・・・・・・
「これを見ても、思い出せない?」
そう言うと、人影は窓から何かを投げ込んできた。座ったまま動けない私の前へ、きらきらと光る何かが転がってきた。
私は視線を落とし、それを確認するとそれは血が付いた果物ナイフであった。
「なんで・・・・・・」
このナイフは見覚えがあった、私の家のキッチンに置いてある果物ナイフだ・・・・・・一体、どうしてこんなに、血が付いているのだろう・・・・・・
「ねぇ、何か思い出した?」
人影は続けて話し掛けてくる。私は人影の声も、血の付いた果物ナイフの理由も、何も思い出せないでいた。
「思い出せない・・・・・・」
「思い出せない・・・・・・」
「思い出せない・・・・・・」
「思い出せない・・・・・・」
同じ言葉が繰り返される。まるで自分へ言い聞かすように・・・・・・
――気が付けば、自分の部屋の椅子に座っていた。目が覚めたのかと安堵していると外から足音が聞こえてくる。
足音は近づいてくる。私は無意識に窓の前に立っていた。足音の正体はあの下品な女だった・・・・・・
私は窓を開けて女に声を掛ける・・・・・・
「こんにちは、兄へ用事ですか?」
あの下品な女は立ち止まり振り返る。
「あっ、妹さんね、初めまして」
この声・・・・・・夢の中のあの人影の声だ。私を苦しめていた悪夢の正体はこの女だった。
私はポケットに何か、重みを感じた。右手で探ってみるとそれは果物ナイフであった。
私は衝動的にそのナイフを取り出すと、窓の外に立つ女の腹を刺した。行動をコントロール出来ない・・・・・・まるで夢のようだった。
女は突然の事で声を出すことが出来ずにいた。私は窓から庭へ降り、女を何度も何度も果物ナイフで刺した。果物ナイフは赤く染まる。
右手は酷く痺れている・・・・・・
女は恐怖に叫び声を上げたが、次第におとなしくなった。兄の部屋は離れたところにある・・・・・おそらく、声は聞こえてないだろう。
私は静かになった女を引きずり、部屋に入れると、雑にクローゼットへ押し込めた。
右手の痺れが止まらない・・・・・私はしばらく痺れる右手を見つめていた。
――ふと顔を上げると、部屋は暗くなっている・・・・・・また、いつもの悪夢だ。
私は夢の中で夢を見ていたのだ・・・・・・
「おはよう、良い夢は見れた?」
窓の人影が話しかける・・・・・・
「もう、思い出したでしょう?あんなに刺すことないじゃない・・・・・・・それにクローゼットに閉じ込めるなんて酷い・・・・・・早くここから出して・・・・・・ねぇ、思い出したでしょう?」
それ以降、人影は無言で立っているだけだった。部屋のクローゼットを激しく叩く音は止まらない・・・・・・
「思い出せない・・・・・・」
「思い出せない・・・・・・」
「思い出せない・・・・・・」
「思い出せない・・・・・・」
――変化する夢 考察――
「思い出せない・・・・・・」
栗田ちひろさんは、相談室の中で、そう何度も繰り返していた。震える右手を眺めながらぶつぶつと独り言を繰り返す姿は狂気すら感じた。
兄の彼女への過剰な憎しみ、夢に現れる彼女の人影、血の付いた果物ナイフ、それにクローゼット・・・・・・彼女の夢の話しを擦り合せてみても、確実に兄の彼女を手に掛けてしまっている。死体はクローゼットの中だろう。
カウンセリング後、私は彼女の両親へ連絡し、教師達と相談の上、警察へと連絡した。
「ちひろさん、大丈夫だからね」
彼女の肩へ手を置き、落ち着かせる。
「思い出せない・・・・・・」
「思い出せない・・・・・・」
「思い出せない・・・・・・」
「思い出せない・・・・・・」
彼女は何度もこの言葉を繰り返すだけだった・・・・・・
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