第8話「風の丘の信号待ち」

 春と夏の境目、制服の上着を脱ぐ日が増えてきたころ。

 僕は隣町の鉄道模型の展示会を訪れていた。


 会場は古びた市民会館の一室。体育館のような空間に、NゲージやHOゲージのジオラマがずらりと並んでいて、思わず目を奪われた。


 その中に、ひときわ目立つジオラマがあった。

 青空を模した背景に、草原を走る1両のディーゼルカー。遠くの山に囲まれた、のどかな無人駅の情景。


 僕が足を止めると、突然背後から声がした。


 「君のC62、すごく味があるね!」


 驚いて振り返ると、そこには長い栗色の髪を高い位置でポニーテールに結んだ、見知らぬ女の子がいた。

 パーカーにスカート、黒のスニーカー。カジュアルな服装だったけど、明るい目と動きのある髪が印象的で、風が吹いたらそのままどこかに飛んでいきそうな雰囲気だった。


 「え……あ、ありがとう……」


 「わたし、**神崎空(かんざき・そら)**っていうの! 鉄道好き?」


 「うん、Nゲージ……少しだけ」


 「わたしも! でもわたし、走ってる電車を見るほうが好き。駅でぼーっとするの、超たのしいよ?」


 空さんは、人懐っこい笑顔で、僕のことを全然知らないのに、どんどん話しかけてきた。


 彼女の髪が、話すたびにふわっと風にそよぐ。

 白いスカートも軽くひるがえって、会場のざわめきの中、彼女だけが自由に動いているように見えた。


 それから何度か、空さんとは鉄道写真サークルの集まりや、駅巡りで顔を合わせるようになった。


 「今日はね、風が南から吹いてるの。だから、あの線路の向こうが映えるよ!」


 まるで風のダイヤグラムを読んでるみたいだった。

 夕暮れの丘の上、カメラを構える彼女の髪が風を受けて踊るたび、僕の心はふわりと揺れた。


 ある日、帰りの電車を待つホームで、彼女がぽつんとつぶやいた。


 「ねえ、和也くんってさ、やさしいよね。風みたいに、やさしくて静か」


 「……空さんのほうが、風っぽいと思うけど」


 「ふふっ、うれしい。そう言ってもらえるの、なんか」


 その言葉だけで、もう、心がいっぱいになった。


 けれど、風は留まらない。


 ある日突然、彼女から「引っ越すことになった」と連絡があった。


 最後に会ったのは、駅前の歩道橋。

 彼女は、スカートのすそを風に揺らしながら、手を振った。


 「わたし、好きだったよ。和也くんのこと。でも、なんか……ちゃんと“好き”って感じじゃないの。ごめんね」


 「……ううん。空さんらしいや」


 「だよねー! じゃあね、またどこかの駅で!」


 そう言って、風みたいに笑って、空さんは改札へと消えていった。


 その夜、僕の模型棚に、新しい1両の車両が加わった。


 キハ40。

 のんびりとしたディーゼルカー。田舎の景色を抜け、無人駅で静かにドアを開けるような、旅情のある1両。


 「……八両目、連結完了」


 彼女のことを想うと、今でも風の音が聞こえる気がする。


 気まぐれで、自由で、でもやさしかった。

 そんな風に吹かれて、僕の列車はまた少しだけ先へ進む。

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