第5話 電光雷火
「無駄だ。穢れは、完全に祓い清めねばな」
役禍角は、琴音の言葉を意に介さない。錫杖が小鬼に向け振り上げられる。
「くっ……!」
琴音は咄嗟に身を翻し、小鬼たちを抱えるように庇った。錫杖が、小鬼たちの寸前でホームのコンクリートを砕く。ガァン!と耳をつんざくような音が響き、破片が飛び散る。
スカートの小さなポケットに符は残り1枚。鬼に効果があった卦術を使用する。
「
琴音が叫び、手にした符が閃光を放つ。両手足に「噛み砕く」バフが付与される。
十秒の間、役禍角の眉間への一本拳、喉への手刀、胸部への正拳、頭部へのハイキックと位置を変えて打撃する。しかしすべて分厚いゴムに弾かれたかのように、手応えがない。
陽介はFUMのディスプレイに表示される役禍角の想子力場データを凝視していた。
「火雷噬盍」の放つ想子力場の波形パターンは役禍角の表面で威力を喪失していた。
絶対量ではなく、変動を統計処理し微分で可視化してみる。役禍角に到達する際に、体内で逆位相の波形パターンが発生し相殺されていることがわかる。
(なんてことだ、ノイズキャンセリングヘッドホンみたいに相殺してる。要するに、こいつには卦術による攻撃は無効だ。)
想子力場以外にも特定の箇所に脈動があることに気づく。気になったのは左ふくらはぎ、腓腹筋、腓骨周辺に血流の脈動がある。
(これって琴音の攻撃箇所か?)
変動のある箇所を赤でマークする。琴音のカーフキックを受けた箇所以外にも、役禍角の全身に脈動をみつける。おそらく腓骨にはヒビがはいり、腓腹筋は打撲を受けて腫れ上がっている。鬼の強烈な打撃を受け止めた箇所などにも、脈動のマークが入る。これは「破壊」を示す赤だ。
(ダメージを受けまくってる! こいつものすごいブラフかましてる。体力と根性で隠しているだけだ! 見かけほど無敵じゃない、むしろ限界に近い!)
陽介は瞬時に判断する。だが、できるなら無為な戦いは避けたい。琴音の感情的な行動を理性で止めようと、陽介は叫んだ。
「琴音! 小鬼たちはエネルギー順位が徐々に下がってる。喧嘩に勝とうが確実に滅する。抗えない!」
陽介の合理的で冷徹な声が届く。だが、琴音は首を横に振る。
「そんなの、知ってる、しってるよ! いろんなの、いっぱいみてきたもん、みんな消えちゃうの。でも嫌なの。」
琴音の目に、悔しさと悲しみが混じった涙がにじむ。
役禍角は、錫杖を振り上げ、琴音に襲いかかる。その一撃は、まるで巨大な柱が迫ってくるかのようだった。琴音は、かろうじて身を捻って錫杖の直撃を避けるが、横を薙ぎ払った風圧で体が浮き上がる。
「遅い、遅いぞ。モノノフ。その程度でわしに敵うと思うか?」
役禍角の嘲りが琴音の耳に響く。彼は琴音の動きを全て見切っているかのように、ゆったりとした動作で、しかし確実に追い詰めていく。
役禍角の拳による重い打撃が、身体の芯に響く。意識が途切れそうになる。鋼の念珠を使われていたらこの一撃で終わりだったろう。
錫杖が当たれば即死は免れない。
陽介はもう後戻りできないことを悟った。
「わかった。」
陽介は決断のままオペレーションする。役禍角に対し、想子力場での攻撃はほとんど無効になる。琴音を自身を強化して物理でいくしかない。
「FUM、卦術『
陽介の叫びと共に、FUMから微細な光の粒子が瞬き、琴音の身体を包み込んだ。それは肉体と精神の「最適化」に加えて、FUMからの映像情報を琴音の五感、特に視覚に直接シンクロさせる効果を持っていた。琴音の網膜には、役禍角の全身像がオーバーレイされ、その分厚い肉体の奥深くに、先刻見出した微分による赤い警告が幾つも示されている。
FUMによる「沢地萃」情報同期で、琴音の動きは研ぎ澄まされ、役禍角の挙動を事前察知、攻撃を受ける頻度が減った。
しかし、それでも役禍角との圧倒的な力量差は埋まらない。
その瞬間、琴音の脳裏に、懐かしくも力強い比丘尼師匠の声が響いた。
「迷うでない、琴音。汝の信じる道を往け。真の強さは、想いの中に宿る。」
それは幻聴にも似ていたが、琴音の心に確かな光を灯した。師匠の声が、自分を鼓舞しているように思えた。
琴音はFUMが視覚化する役禍角のデータに意識を向け、大声で聞く。
「赤はなに!?」
「ダメージ!」
役禍角が何の会話かと訝しがる。
先ほど琴音自身がカーフキックを打ち込んだ右のふくらはぎの赤。
(効いてたんだ!)
そして大鬼の打撃を受け止めていた腹部や腕の関節部。表面上は強固な役禍角の身体が、内部では激しく損壊しているのが「見える」
役禍角が脳筋美学で無理を重ねた、彼の「痩せ我慢」の痕跡。
(キッツいのは私だけじゃない。)
「そういうことーッ!?」
痛みに震える身体を叱咤し跳ね起きる。FUMから送られる情報が、彼女の次の行動を明確に示唆する。渾身の力を込めて駆け出した。今度はフェイントなし。右の足を軸に、体を回転させ、渾身の裏回し蹴りを繰り出す。狙うは、役禍角の右ふくらはぎ。
ゴリッ!
今度こそ、確かな手応えがあった。硬い岩のような感触は変わらないが、先ほどとは違う、「折れる」感覚が琴音の足の甲に伝わる。
「……ッ!」
役禍角の顔から、一瞬、余裕の笑みが消え、わずかに体勢を崩し、痛みに堪えるように眉根を寄せた。足元に、微かな土煙が上がる。
琴音は畳みかける。間髪入れずに、次の一点へ。鬼の打撃で酷く損傷している腹部目掛けて、床を蹴り、全身の筋肉を使用した渾身のボディブローを叩き込む。
「うぐっ……!」
役禍角は、琴音の攻撃で初めて明確な苦痛の表情を見せた。その苛立ちが、彼の顔をさらに歪ませる。「見せていない筈の傷」を突かれたことに、激しい怒りを覚えているようだった。
戦況が、わずかに、しかし確実に変わり始めた。
「小賢しいわ!」
役禍角は唸るようにそう言うと、猛然と琴音に突進してきた。その速度は、先ほどまでとは比べ物にならない。怒りに任せて、残りの力を振り絞っているかのようだ。
陽介はFUMのディスプレイに表示される役禍角のデータを凝視していた。身体内側の想子力場は一時的に上がっているが、同時に肉体内部の脈動も急速に上昇している、骨折や打撲箇所を無理に動かして、更に強く琴音に反撃している。
(……よく痛くねえな。)
琴音は「沢地萃」による情報共有で弱点を突いているものの、役禍角の猛攻をしのぎきるには、さらなる身体能力の向上が必要だった。
「くそっ……! まだこんな……!」
陽介は唇を噛み締めた。このままではジリ貧だ。彼の脳裏で、過去の膨大なデータと、琴音を「助けたい」という感情が交錯する。
「FUM、卦術『
陽介の叫びと同時に、FUMから放射される想子力場が、目に見えるほどの光の奔流となって琴音の全身に注ぎ込まれた。数百年妖怪に捕われ化石化した者すら復活させることのできる生命力のバフを強引に対象に与える卦である。
それは「沢地萃」のただの「最適化」とは次元が違う、肉体の限界を一歩超えるような、爆発的な強化だった。琴音の全身の筋肉が軋み、細胞一つ一つが活性化するような、熱い衝動に襲われる。
役禍角の巨大な拳が、猛スピードで琴音の顔面に迫る。しかし、認知ブーストを受けた琴音の目は、その拳の軌道をまるで停止したかのように鮮明に捉えていた。彼女の思考が、普段の何倍もの速度で回転する。身体が、意志とは別に、最適な回避行動を取っていた。
琴音は、紙一重で拳をかわすと、そのまま役禍角の腕を伝い、その巨体によじ登るように跳躍した。役禍角の常識では、こんなトリッキーな動きは想定外だ。
「なっ……!?」
役禍角が驚きに声を上げる。琴音は彼の肩から背中へと駆け上がり、そのまま頭部、鬼と戯れるように拳を交わしていた顎元へと狙いを定めた。FUMが、そこに大きなダメージが残っていることを示唆している。
「くらえ!」
琴音は全身の力を集中させ、鉄板入りの安全靴で、役禍角の顎を渾身の力で蹴り上げた。
ドゴォン!
役禍角は、初めて膝をついた。口元からは黒い血が滲み、その巨体は僅かに震えている。
「……ッ、なぜ見透かされる……!」
屈辱と激しい怒りが浮かんだ。隠蔽していたダメージを突かれ、手玉に取られた侮辱。役禍角は、唸るような声を上げると、両手で錫杖を握りしめ、地面を大きく踏みしめ立ち上がる。
ホームのコンクリートが、その足裏でミシリと音を立てる。彼の身体から、これまで以上の、禍々しい想子力場が立ち上った。
「来い……! お前のようなガキに、わしが敗れることなどありえん!」
最早、防御すら顧みない、純粋な破壊衝動に満ちた攻撃。なにもかもを捨てて、ただ正面から琴音を叩き潰そうとする。その猛攻は、FUMの最大最適化をもってしても受けきれない。
ドゴオォォォン!!
役禍角の錫杖が、ホームの床を砕き、アスファルトを抉る。琴音は紙一重でかわすものの、その風圧だけで体が吹き飛ばされる。何発か防いだ拳も、皮膚と筋肉を深く抉り、骨にまで響く。限界を超えた肉体の悲鳴が、琴音の意識を霞ませていく。
(……ダメ……このままじゃ……!)
琴音は、再び圧倒的な力の差に絶望しかけた。FUMから送られる情報が、役禍角の想子力場が一時的に天井知らずに上昇していることを告げている。これは、彼の脳筋による、理不尽なまでの「根性ブースト」だ。
陽介はFUMのディスプレイを睨みつけていた。役禍角の数値は危険領域を突破し、何故動けているのかもわからない。おそらく自滅を待てば終わる、しかし。
その時、戦域が陽介の近くに移動する。役禍角の視線が、陽介が操作しているFUMへと向けられた。やばい。
「なんだ、そのカラクリは……その顔。なんぞあるのか、なんでもええわい!」
野生のカンで、役禍角は、その巨大な錫杖を陽介めがけて振りかざした。
「陽介!」
琴音が叫ぶも、陽介は反応が遅れる。
ガシャァン!
凄まじい音が響き渡り、陽介の抱えるFUM本体は、錫杖の一撃で粉砕され吹き飛ばされた。
絶望の瞬間。
砕け散る破片が飛び散る。
FUMとの接続が断たれ、琴音にかかっていたブーストが消失する。一気に激痛と累積した疲労が琴音を襲い、その動きが止まる。
「ほう、妙な動きをしていたが、モノノフは傀儡であったか」
「琴音! 」
走り寄り、崩れ落ちそうになる身体を支え抱き止める。
「わたし、弱いな。」
琴音の顔が近い。かさかさの唇に目がいく。琴音を横たえ休ませる。
「琴音さんは、強いよ。」
散らばったFUMの残骸を眺める。絶望的状況下、現況を現実的に観察して、どんな方法でもいい。奴に小さな一撃を加える方法はないかと探る。
キャリーカートの中にある自動車流用のバッテリーに目を向ける。そして、視線を新幹線ホームの上部に走る架線へと向けた。絶望的な状況でアイディアが浮かぶ。
役禍角は、怪しげなカラクリを破壊し、琴音の動きを停めたことに満足し、再び邪悪な笑みを浮かべてゆっくりとした足取りで小鬼たちに歩み寄る。油断している。
役禍角の様子を観察しつつ、陽介は、転がりながら、カートに近づき、バッテリーからFUM本体に接続されていた、廃車のハーネスを流用した配線を、こっそり引きちぎる。大きめに露出した銅線に、急ぎ金属片を縛りつけ投擲の錘にし、小鬼たちが身を寄せている箇所直上の梁へと大きなモーションで静かに投げた。
配線は狙い通り金属片を下に向けてブラリとだらしなく垂れ下がる。すこし弄って絶妙の高さに調整する。
立ち上がると、配線の反対側も被覆を剥き、同様に金属片を結び付け、なにげないそぶりで新幹線のパンタグラフ上の架線に投げつけた。火花が飛ぶ。
原始的で、あまりにも単純な罠。
役禍角は獲物しか見ていない。そんな回りくどい仕掛けには気づかない。
錫杖を振り上げ、小鬼たちに最後のとどめを刺そうとした、その時──。
バチィッ!!
錫杖の先端が、陽介が仕掛けた金属片と接触した。新幹線に供給される高圧電流が、錫杖を通じて役禍角の身体へと一気に流れ込む。
「ぐ、ぐぅううううううううっ!!」
役禍角の巨大な体が、
「琴音! 逃げるぞ!」
陽介はリュックに残ったFUM残骸を背負い、琴音を叱咤する、一人づつ小鬼たちを抱きかかえ二人で駆け出した。駅員たちのざわめきを背に、彼らはJR篠原口改札を抜けた。外に出ると、陽介は駅舎の裏手から、ホテル街を抜け、横浜線の下をくぐり、ひたすらに北へと走る。やがて、彼らの視界に川が見えてきた。
サッカースタジアムの見える夜の河川敷の公園、人影のない静かな芝生に、彼らは倒れ込むようにして座り込んだ。息を切らし、全身の痛みに耐えながら、琴音は抱きしめていた小鬼を見つめる。二匹の小鬼は、安心したように、琴音の腕の中にいた。しかし、その安堵も束の間だった。
小鬼たちの身体から、微弱な光の粒子が、まるで蛍のようにゆっくりと立ち上り始める。それは、親鬼の消失以降、彼らの存在を支えていた想子力場が、完全に尽きようとしている証だった。「親鬼が死ねば、小鬼も消える」という現実が、今、目の前で起きていた。
怯える小鬼たちを優しく抱きしめて手を握る。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。怖くないよ……お父さんが待ってるからね。」
河川敷に電力会社の高圧線鉄塔が立っている。
暗闇に、一筋の月光が差し込む。
月明かりに照らされたのは、陽介と琴音を高くから見下ろす、鉄塔に立つ人影。
黒き妖艶な着物に身を包んだ、夜織だった。
彼女は、静かな眼差しで、琴音の腕の中で消えゆく小鬼たちを見つめている。
その瞳の奥には、どこか遠い過去を懐かしむような、あるいは、諦めにも似た、微かな光が宿っていた。
「……忌むべき妖にまでも。ひとは、かくも
夜織の口から、微かに、しかし確かな声が漏れた。
その声は、陽介と琴音には届かない。
彼女は、ただ静かに、その光景を見守っていた。
消えゆく小鬼は言葉がわからずとも、彼女の優しさに触れて、少し微笑んだように見えた。
腕の中で、小鬼たちの身体は、砂のようにサラサラと崩れていく。
そして、夜空に舞い上がった光の粒は、静かに、安らかに、闇の中へと溶けていった。
琴音は、涙をためて、空を見上げた。
河川敷の空に、小鬼たちの光が消えた数時間後。深夜。
駅の医務室。消毒液の匂いが鼻をくすぐるベッドで、役禍角はゆっくりと目を開いた。
全身に走る鈍い痛みは、先ほどの電撃によるものだろう。視界がぼやけ、天井の蛍光灯が眩しく目に突き刺さる。
「……なんじゃわし、生きとるんか?」
隣に目をやると、ベッドサイドの椅子に座り、腕を組んでこちらを睨む駅長と目が合った。駅長は、役禍角が目を覚ましたことに気づくと、深々と息を吐いた。
「意識が戻ったか。特殊事例対策専門家…役禍角さん」
「助けてくれたのか、放っておいてくれてもよかったんだが」
「そういうわけにもいかん。全国駅長会の極秘共有事項で、過去の怪異対処の功績から、優先待遇での支援指示が出てるのでな」
役禍角は、少し考えふっと自嘲するように笑った。あの小生意気なモノノフ、そしてあやしげなカラクリを操る小僧。まさか、あのような稚拙な即興の、しかし確実な手段で出し抜かれるとは。完全に裏をかかれたのだ。
「フ……フハハハハハハハハハハハハッ!!」
役禍角は、腹を抱えて大爆笑を始めた。医務室に響き渡る、野太い笑い声。駅長は呆れた顔で役禍角を見つめて言った。
「お前らの喧嘩には戸惑った。どちらにも肩入れできん、駅員で抑えられるはずもない。」
笑いすぎて涙が滲む目元を拭いながら、役禍角は言った。
「くっくっく……すまんかった。そうだな、ガキの喧嘩を買った。いやはや、参った。まさか、あんな貧弱な小僧に『電撃の計』を食らうとはな!」
怒りよりも、むしろ綺麗に策略に嵌められたことへの愉悦が勝っているかのようだった。駅長は眉間にシワを寄せたまま、混乱した表情で彼を見つめる。
「……策されて、腹が立たんのか……」
役禍角は、それでも笑いを止めない。
「いや、それが良い! 勝利を確信し油断したのはわしの甘さだ! 奴は、わしの勝利の美酒を、逆手に取ったわけだ! あっぱれ! あっぱれよ!」
満身創痍の体で、役禍角は子供のように破顔した。その顔には、悔しさよりも、油断を突かれ、してやられ完敗したことへの清々しさと、次なる戦いへの期待が漲っているかのようだった。
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