若者だった時、他愛もないけれど怖いことがありました。
ライフステージを登っていくことと、趣味の読み書きを楽しむことは引き換えなのかもしれない、ということです。
趣味で同人誌を書く暇もないほど働かないと、仕事にはついていけないかもしれない、とか。
パートナーはコレクションに関心がなくて、勝手にメルカリに売っちゃうかもしれない、とか。
子供ができたら、もう作りもののお話の世界には自分は関心がなくなって、「ウンディーネ」の主人公みたいにお金と人間の噂話にしか興味のない中年になっちゃうんじゃないか、とか。
そうなれば自分は死ぬ。とても生きていけない。命は続いてもここにいる自分にはつながらない自分になってしまう。ああ若者は思い悩む。
そういうとき、世間でいう少し先輩の趣味人の日常エッセイは抜群の抗不安薬でした。そう、作者さんが疑問に感じていらっしゃる「なんで普通の日記にこんな需要といいねが?」の答えを私今書いています。
ライフステージを上がりながら、日常生活だけでは余ってしまうパッションを創作に注ぎ込みつつ、日常生活と折り合いをつけて空想の世界と行き来する。これぞ理想、我々の静かなロールモデル、永遠の憧れです。バンバンバン(興奮の余り机を叩く)