第11章 監視者の目
間宮が去った後、寺嶋のバーの空気は、しばらくの間、奇妙な静けさに包まれていた。それは、嵐が過ぎ去った後の、すべてが洗い流されたかのような、がらんとした静寂だった。羽依里は、あの夜、自分が目撃したものの重さを、うまく処理できずにいた。
だが、戦争の始まりを知らない者たちは、相変わらず、無邪気な遊びに興じている。
停電の夜から二日後、城戸と璃子は、武蔵小杉の、高層マンションの谷間に忘れ去られた稲荷神社の前にいた。古びた鳥居の柱に、彼らは、三つ目となる「目」の印を見つけ、歓声を上げた。その印を、昨晩こっそり描きに来たのが城戸自身であるという事実は、このゲームを盛り上げるための、必要経費のようなものだった。真実かどうかは、もはや問題ではない。物語が、前に進むことの方が、ずっと重要だった。
「で、どうする? これで三つ目だけど、何か見えてきたわけ、名探偵?」
璃子は、神社の手水鉢の縁に座り、つまらなそうに足を揺らしている。記号探しにも、少し飽きてきたようだった。
「地図上で、この三点を結ぶ。そうすれば、ディーラーの拠点の、中心が見えてくるはずだ」
城戸は、もっともらしい理屈を並べた。だが、彼自身、その先に何もないことには、薄々気づき始めていた。このゲームは、行き詰まっている。
「はあ、つまんない。もっとこう、ドカンと一発、デカいのがないとさあ」璃子は言うと、ぱん、と手を打った。「そうだ! 人を探そうよ、人!」
「人?」
「そ。この街で、一番ヤバいプレイヤーを探し出すの。そういう伝説の仙人みたいなやつが、きっと、ディーラーの正体を知ってるって。絶対!」
璃子の、根拠のない、しかし妙に説得力のある提案に、城戸は惹きつけられた。行き詰まった物語に、新しいキャラクターを投入する。それは、ゲームの展開としては、王道だ。
「……心当たりがあるのか」
「噂でしか知らないけどね」璃子は、声をひそめ、楽しそうに目を細めた。「『調律師』って呼ばれてる男。幽霊と話ができるとか、場所の記憶を書き換えられるとか。ヤバい噂には、事欠かない人。たぶん、あんたなんかより、よっぽど、この世界の深くまで潜ってる」
篠竹正樹。その名前は、城戸も聞いたことがあった。この世界の、あまりに深い場所まで行ってしまった、孤高のプレイヤー。あるいは、狂人。彼ならば、この停滞したゲームを、次のステージに進めてくれるかもしれない。
「面白い」城戸の口元に、久しぶりに、本物の笑みが浮かんだ。「決まりだな。次のターゲットは、その『調律師』だ」
二人が、新しい目標を見つけ、意気揚々と神社を後にしようとした時。城戸は、ふと、あるものに気づいた。神社の入り口を、真上から見下ろす位置。隣の電柱に、真新しい、小さな監視カメラが設置されている。レンズが、黒い瞳のように、こちらをじっと見つめていた。
「うわ、見て見て! ディーラーの『目』、あんなとこにもあんじゃん! 私たちのこと、気に入ってくれたのかもね!」
璃子は、無邪気にはしゃいでいる。
だが、城戸は笑えなかった。あれは、ゲームの小道具ではない。冷たい、無機質な、現実の視線だ。あの跨線橋で彼らを睨みつけた、背広の男の目を、思い出した。自分たちは、想像上のディーラーに追われているのではない。もっと厄介な、現実そのものに、監視されている。
ぞわり、と背筋に悪寒が走った。
「……行くぞ」
城戸は、その不快な感覚を振り払うように、璃子を促した。
新しいゲームが始まる。その高揚感の裏側で、現実が、すぐそこまで迫ってきている気配が、彼の足に、まとわりついていた。
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