8 僕には何も見えていなかった
蛹石が放つ光が収束し、ぼんやりとした燐光に転ずる。魂を
先ほど耳にした言葉たちが、まるで実感を伴わない。
綾埜が口にしたことは本当なのだろうか。暁潤に
(魂蝶寮は、蛹石の間引きを行っていた? 生前の身分によらず、全ての蛹石は敬意と共に扱われるべき先人たちの魂だ。にもかかわらず貴賤によって分類されて、十分に羽化を試みる間もなく
そのような道徳に反する行為を父が認めていたなど、考えたくもないことだ。だが、これが真実だとすれば、辻褄が合う事柄も多くある。
友潤が
しかし、羽化師の負担が減るということは、羽化師らが蛹石へ接する時間が減少するということである。その裏にどのような代償が隠されているかということくらい、少し想像すればわかったはずなのに。
(僕は愚かだ。父上の近くにいたはずなのに、何にも疑問を抱かなかった)
父は決して冷徹な人間ではない。ならば葛藤を抱えていただろう。
また、羽化師の職に誇りを持つ真っ直ぐな性格の綾埜にとって、魂蝶寮の真実は受け入れ難く、かなりの心理的衝撃を覚えたはずだ。
そして、二年前に友の蛹石を盗み出して魂蝶寮を除籍になった異母兄の
そもそも、ただの雑色の子に過ぎず、父なし子として育った行颯が守影の家に迎えられるなど、まさに晴天の霹靂だった。
父には自分よりも年長の子がいたなどと知らされて、多感な年頃であった暁潤の心は当時、大いに荒んだものである。家司や親族の中からも、行颯を迎えることに疑問の声が上がっていた。それら全てを退けて、友潤は行颯を引き取ったのだ。
そんな大恩に報いることもなく、行颯は友潤の顔に泥を塗る形で魂蝶寮を追放になった。別れの朝に異母兄と交わした言葉は、今でも鮮明に思い出せる。
――父上の温情も忘れ、愚かなことを。君には恩を感じる心というものがないのか?
――確かに、何不自由ない暮らしをさせてもらったことは感謝しているさ。でもな、もし俺に羽化師の才がなかったら、父上は下女の産んだ子になど見向きもしなかったはずだ。俺と父上はただ、利用し合っただけってことだ。
――父上の身分を考えれば当然のことだろう。他家の目もあるのだし。
――それがお貴族様の常識なら、否定はしない。まあ、それと今回の除籍騒動は全く別物だ。俺はただ、羽化師として正しいと思うことをしただけさ。
窃盗のどこに正当性があるというのか、当時は全くもって意味がわからなかった。しかし全てを耳にした後ともなれば、行颯には行颯なりの信念があったのだと、ほんの少しだけ理解ができる。
そしてその心根には、綾埜の直向きさと通じるものがあるのだということも、はっきりとわかった。
(だから彼女は行颯と心を交わしたのだ)
暁潤は、母親を亡くしてもなお気丈に振る舞おうとする幼い綾埜と出会ってから今日まで、彼女を特別に愛おしく感じ、全ての悪意から守ってやりたいと願ってきた。そんな大切な綾埜の心を、ぽっと現れた行颯が攫ってしまったということが、この上なく悔しい。父の長子という立場を奪った男が思い人をすらも……というのが正直な思いだ。
しかし彼らの事情を解きほぐしていけば、二人の間に生まれた絆に割り込む隙などないのだと腹落ちする。
(結局僕には何も見えていなかった。魂蝶寮の闇どころか、綾埜や行颯、父上の心すらも、ずっと……)
不意に、小さなうめき声が上がる。額の辺りで渦巻くようだった思考がぷつりと途切れる。
目を向ければ、魂蝶を蝶夢の中に飛ばして深い眠りに落ちている綾埜が、眉間に皺を寄せて苦しげな息を漏らしていた。その隣では、友潤が額に汗を浮かべている。
「これは、まずいんじゃないか?」
羽化に失敗しかけているのだろう。それだけではなく、二人の魂蝶が危険な状態を迎えつつあるのかもしれない。
単身踏み込もうか、という短絡的な思考が過り、かぶりを振る。ただでさえ崩れかけている蛹石に、何の策もなく飛び込めば、三人とも帰らぬ魂蝶となるだろう。
だが、柏正則の蛹石の出所を思えば、事情を知らない羽化師に助けを求めることはできない。秘密を受け入れてくれて、力もある羽化師となれば。
――颯は、不当に光を奪われた蛹石を救おうとしていただけなのです。
右京の廃屋敷で捕らえられた後、梅殿の一室で詰問した際に綾埜が叫んだ声が、脳裏にこだまする。
光を失いかけた蛹石を羽化させるのは、たとえ熟練者であっても困難だ。行颯は昔から、そうしたぎりぎりの蛹石に対処することが得意であった。風の噂に聞いたところによると、彼は蝶夢の中で刃物を振り回すらしく、一度でも異母兄弟として過ごしたことのある身としては、あまりに優美さに欠けた行いに赤面したことすらあったのだが。
(不本意だが、あいつしかいない。だが、どうやって……)
行颯は今、禁獄されている。訴えたのは魂蝶寮。ならば。
「くそっ、何が悲しくて僕がこんなことを」
悪態を吐きつつも暁潤は、迷いのない足取りで廂に出て父の書斎に忍び込んだ。
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