第8話 贅沢の果てに、地獄の再来

 牢獄での生活は、もはや「快適」を通り越して「王族級の贅沢」へと変貌を遂げていた。誠一がパンツをスティールしなくても、姫アリアと王妃セレニアは毎日、自ら牢屋を訪れるようになったのだ。


 彼女たちは、王宮のシェフに作らせた豪華な食事を運び込み、三人で食卓を囲むのが日課になっていた。金色のカトラリーがきらめき、芳醇なワインの香りが牢屋に漂う。


 もはやここが地下牢だということを、誠一は完全に忘れ去っていた。


「あの、王様に怒られないですかね。これ……」


 ある日の夕食中、誠一はふと不安になり、口を開いた。


 テーブルにはローストチキンが丸ごと鎮座し、隣には山盛りのフォアグラが、まるで土石流のように盛り付けられている。王妃セレニアは優雅にワイングラスを傾け、涼しい顔で答えた。


「ご心配には及びませんわ。あの人は新しい愛人に夢中で、ずっと城を空けていますから」


「あ、そうですか……」


(なるほど。家庭内別居ならぬ王国内別居か――既婚者は色々と大変だな)


 それ以上は聞いてはいけない気がして、誠一は慌てて話題を変える。

 ローストチキンを頬張りながら、彼は意を決して王妃に言った。


「私は王妃様のおっぱいに夢中なのですがね!」


 手ひどいツッコミが来ることを覚悟しての渾身のボケだった。

 しかし、王妃は微かに頬を赤らめただけで、怒ることはなかった。


 むしろ、ほんの少しだけ得意げな表情に見える。

 隣で姫アリアが無言でジト目を向けてくるのが痛かったが、誠一はなぜか満足げにうなずいた。


 そんな贅沢な日々を過ごすうちに、誠一の体は再びたるみきったものへと逆戻りしていた。以前は毎日欠かさなかった筋トレも、いつの間にかサボり癖がついていたのだ。


 彼は継続することが苦手だった。


 そして、筋トレをしないということは、近頃、女騎士シルヴィアを召喚していないということでもある。


 

 ***


 その日の午後。


 牢屋の鉄格子がガチャン! と耳障りな音を立てて開いたかと思うと、そこに立っていたのは、全身を銀色の鎧で包んだ女騎士シルヴィアだった。


 彼女は召喚されたのではなく、自らの足で誠一のもとへやってきたのだ。


 その顔には、怒りがにじみ出ている。


「……なぜ貴様は、この私を呼ばないのだ?」


 シルヴィアの声は、地獄の底から響いてくるように低い。

 誠一は思わず背筋を伸ばした。


「えっ? パンツを取られたかったんですか? 教官……そんな趣味が……」


 誠一が恐る恐る尋ねると、シルヴィアの顔がさらに険しくなる。

 鎧の隙間から見える眼光が、レーザービームのように誠一を射抜く。


「そんなわけがないだろう! それに何だ貴様の、そのだらしない身体は! また元に戻っているではないか!」


 シルヴィアの視線が、誠一の見事なたるみ具合に突き刺さる。


「リバウンドは、ダイエットの宿命ですので、大人しく受け入れておりました」


 誠一は、潔いのだか見苦しいのだか、よくわからない言い訳をする。

 もちろん、それで誤魔化されるシルヴィアではない。


「たわけが! そこに座れ!!」


 シルヴィアの怒号に、誠一は床に正座させられた。

 膝が、キンキンに冷えた大理石の床に当たる。


「あの、そろそろ許してはいただけないでしょうか? 正座は結構きつくてですね……」


 誠一が泣き言を言い出した、その時だった。


 部屋に眩い光が生まれ、まばゆい光と共に女神アクア・ディアーナが降臨した。

 彼女はいつも通りの呆れた顔で、誠一とシルヴィアを見ている。


「あの、呼んでないんですけど」


 誠一は眉をひそめた。


「何やら面白そうなことになっているので、見物に来ました」


 女神は涼しい顔で答える。

 その瞳には、隠しきれない好奇心が宿っている。


「見物していないで助けてください! 体罰を受けているんです!」


 誠一は女神に縋りつく。

 その顔は、まるで悪辣な教師にいじめられている生徒のようだ。


「め、女神様!?」


 シルヴィアが驚きの声を上げる。

 まさか、神がこんな場所に来るとは思わなかったのだろう。だが、女神はそれを気にも留めずに、誠一のしびれた足を指でつついた。


「そうですか。では、えいっ」


「ぐっ、ぐおおお!?」


 悶絶する誠一。

 足のしびれが、電撃のように全身に走る。彼の顔は、まるでレモンを丸かじりしたかのように歪んだ。


「それ、それ~~!」


 女神は楽しそうに、誠一の足をツンツンと突き続ける。

 誠一の悶絶する姿は、彼女にとって最高のエンターテイメントらしい。


「ふぐぉおおお!! お許しを女神様、何でもしますから! もう一度、女神さまの尻の穴にキスをしますから!」


 誠一の悲鳴にも似た叫びに、シルヴィアの顔は真っ赤になった。

 彼女は信じられないものを見る目で女神を見つめる。その目は、「この男に、一体何をさせているんだ!?」と訴えかけているようだ。


「この男の戯言を、信じてはいけませんよ」


 女神は慌てず、スンとした顔でシルヴィアに弁明した。


「は、はい、そうですよね。女神さまがこのような男に、その、キスさせるなんてありえないですよね……」


 シルヴィアは顔を赤らめたまま、ぎこちなく頷いた。しかし、その顔は少し引きつっている。


 その瞳は、まだ少し疑っているようにも見える。

 彼女の脳裏には、誠一の言葉がぐるぐると反芻されていた。



 こうして、女神と女騎士の監視の下で、誠一は地獄の筋トレを再開させられることとなる。


「おい、もっと腰を落とせ! 腹筋に力を入れろ! なぜそんなにだらしないんだ!」


 シルヴィアの怒号が牢屋に響き渡った。

 その傍らで、女神が誠一の体勢を魔法で固定し、逃げられないようにしている。


「もう、無理です、お許しを!」


 誠一は涙目で叫んだ。

 彼の腹筋は、まるで雑巾を絞るかのように悲鳴を上げている。


「ダメだ、貴様のひん曲がった性根を叩きなおしてやる!」


 シルヴィアが誠一のたるんだ腹を、容赦なく蹴り上げる。


「そうです。くだらない妄言の代償は、百倍にして払ってもらいますからね!」


 女神もまた、誠一の尻を鞭で叩いて、容赦なく追い打ちをかける。

 彼はまるで、まな板の上の鯉のようだ。


 誠一を鍛え直しながら、いつの間にか女神とシルヴィアは意気投合していた。


「この男の怠惰ぶりは、本当に目に余ります!」


「ええ、まったくです。私の手を煩わせるだけでなく、品位まで貶めようとするとは――」


 二人は誠一の悪行リストを共有し、彼をどう矯正するかで盛り上がっていた。

 その姿は、まるで昔からの親友のようだ。


 誠一は、そんな彼女たちの楽しそうな会話を背中で聞きながら、地獄の筋トレを続けるのだった。


 汗が目に入り、視界が滲む。


(くそっ……こんなはずじゃなかったのに! 俺の素晴らしきヒモ生活が……!)


 彼の快適なヒモ生活は、たまに地獄になることもある。

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