第14話 自分に「自信」があるということ

 「自信」は文字どおり、自分を信じることで成り立っています。自信がないという人もいらっしゃいますが、それは自分を信じていないということになります。

 自分を信じていないのに、五感で受ける刺激はそのまま受け入れていたりします。

 本当に自分を信じていないのであれば、指先に木の破片が刺さって痛みを感じたとしても、それすら疑うのが、本当に信じていないということです。でも痛ければ、何が起こっているのか確認するでしょうし、木の破片を確認できれが抜くようにするはずです。

 つまり、自分の五感を信じているわけです。だとしたら、自信がないはずがありません。肉体を抱えて生きている以上、五感こそがすべてです。そのすべてを信じているのですから、それは自信があるということです。


 ぼくは自信があります。根拠も証拠も何もありません。あるのは、これまでの人生で体験してきたこととその記憶、「今・ここ」に生きていることについてだけです。

 「自信」というものはそもそも形のないものですから、有るとか無いとかという話にはなりません。自分が強気で出られるか弱気になってしまうかです。弱気であると言わないために「自信がない」という言葉に変換されているような気がします。

 なので、形としての「自信」はぼくも持っていません。それでも自信があります。

 結局、自分の得手不得手のお話か、それについての知識があるかどうかだけのお話ではないかと思います。

 しかし、不得手だから、知識がないから、と言って、人生がそれを避けてくれるわけではありませんし、そういったことにまったく出会わずに生きていけるということでもありません。出会うときは出会いますし、逃げきれない場面もあります。

 なのでぼくは、「人間は何も知らない」というスタンスを維持しています。

 何も知らないのですから、得手不得手もわかりませんし、知識は何も持っていないということになります。

 うかつに自分はできる人間であると誤解していたり、すこしかじった程度の知識でわかった気になっていると、どこかで息苦しくなったりつまづいたりします。それが自信のなさに繋がります。


 「自信」は他人に見せるものではありません。自分がわかっていれば充分です。

 生きていること、それがすべての自信の原点ですから、すべての人が自信を持っていてもおかしくないはずです。

 ポジティブな人生のエネルギー源、それはまず「自信」からです。

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