第12話 「あきらめる」という前進
日頃のあれやこれやに対して、覚悟をして生きているとたまに、本当にイヤな気分になったり、落ち込んでしまうような出来事や物事に出会うことがあります。
もちろん根っこにあるのは自分が蒔いたタネです。本当にイヤな気分になるような出来事を引き寄せるような思考が、自分の思考の中にあることを知るタイミングであり、学びの瞬間でもあります。
自分の思考の中から、ネガティブな思考を見つけて手放せば、未来において本当にイヤな気分になる出来事はもう起こりません。
しかし、今は目の前に、本当にイヤな気分になる出来事が立ちはだかっています。
そのとき、大切なのが「あきらめる」という心境です。
「あきらめる」とは本来、「あきらかに見極める」という意味だそうです。
イヤな気分になる出来事も、落ち込んでしまう体験も、起こってしまえばやり直しはありませんから、受け入れるしかなくなります。
一般的な意味で「あきらめる」ことで、前に進むことができます。自分に落ち度がないのであれば反省することもありませんし、もう考える必要はありません。
そして、自分にそういう思考があって、過去のどこかでそれが意図となり、「引き寄せの法則」によって自分の体験として現実化しているということを、「あきらかに見極める」ことによって、より素直に「あきらめる」ことができます。
「あきらめる」という考えは、一般的にはネガティブな意味に取られていますが、実は、前進するためにあきらめる、ということが本質です。
これまで頑張ってきたことであっても、身の丈に合わないのであればあきらめることも必要です。しかし、それは新たな可能性に出会うチャンスのタイミングでもあります。
そう考えれば、けっしてネガティブな意味だけではないことがわかります。
覚悟をして生きていれば、あきらめることに抵抗はあまり感じません。
覚悟とは、自分に都合のいい結果だけを求めるものではありません。都合のよくない結果であっても受け入れる、自分の蒔いたタネは自分にしか収穫できないという責任を果たすものです。たとえ自分に都合が良くなくても、その結果に対して、何かしらの結論を出さなければ前進することはできません。
そんなとき、「自分の手は届かなかった」とか「自分には見合ってなかった」と、あきらかに見極めることで、次のステージに進めるようになるわけです。
何が起こっても、自分の蒔いたタネ、自分の責任ですから、良くも悪くもあきらめることは、前を向くための最後のハードルだと考えています。
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