第9幕 非言語コミュニケーション中級・後編
累の目が見開かれて、ゆっくりと細められて、閉じる。ごくん、とまた大きく喉を鳴らす。
……そして累は、静かに自分の頬をばちんと叩いた。
「……累。なにやってるんだ」
「ツッコむなよ!俺ァいま、メチャクチャ、必死なんだから……ッ!」
思い詰めたような顔をした累は、ほとんど泣きそうになりながら僕を睨みつけた。乱雑に下着のゴムを掴んで、下ろす。そして、いつかの僕みたいに寝室のどこかへ下着を放り投げた。
「章……ッ」
ぐちゃぐちゃのうつくしい顔の下へ視線を動かす。目を細めてピントを合わせじっと見る。累自身の臍を殴るようにそそり立つ、僕がずっと放置させてしまった、ソレ。
「……成程?」
「なるほど、じゃねぇよ。人のチンコを笑うな」
「笑ってない」
そう、僕は笑っていない。累のそれはどこか生命の神秘すら感じてしまうシロモノだった。どこかの地方では御神体として祀られるやもしれん。いや、それはアルファのオスとしては標準装備なのかもしれないが、僕は何せ機能している男性器をまともに───まともな精神状態で、まじまじと見た事がないのだ。これは……すごい。なんというか、機能美を感じる。
「累」
「なんだよッ」
累はもう半泣きだった。すまない。つらい思いをさせた。
「おいで、大丈夫だ」
累は大きく舌打ちをして、僕から一度離れた。ベッドサイドの引き出しからコンドームをべろんと連なった状態で取り出し、ベッドに放り投げる。僕は何故か反射的にキャッチしてしまった。
「よこせ、章」
「……不要じゃないか?僕は長いこと発情期がないし、妊娠確率もほぼないと思うけれど。ほら、挿れる側は生のほうが気持ちがいいからそうしたがるって、本の性行為のリスクの項目にあって、あのときもそうだったし、ほら、累には気兼ねなくその、快楽を得る権利がある、絶対に。僕はずっとだって累がしたいのに、僕は、」
「うるせぇ、寄越せ」
渋々それを差し出すと、累は焦りが剥き出しの、でも慣れた手つきであっという間にそれを装着してしまった。薄い被膜に包まれた男性器はさっきよりだいぶ間抜けで、僕はおかしくって笑いたいような気持ちになった。昔のコンドームは魚の浮き袋だったと読んだ。人類ってこんな間抜けに、でも真剣に繁殖ではない安全なセックスを試みてきたのか。
「あ、章……」
「うん」
「いいのか、なぁ、大丈夫か?怖くないか?」
「不思議と今僕は静かだ。大丈夫。おいで」
なんで静かなんだろう。今から僕、喰われるのに。
累の手が僕の太腿を掴む。累の切っ先が僕に触れる。うん、熱い。薄膜越しにどくどくと、海綿体に血の流れる感じ。まあ、怖くは無い。たぶん。累の息がすごく荒い。奥歯がガチガチ言ってないか?累、お前こそ大丈夫か。不自然にぬるついた僕の穴はうまく受け入れない。まあそうか、経験も一度しかないものな。
累が潤滑剤を足す。なんとか、ずぬ、と先端の一部が、沈む。
うっ、と息を詰めた。なんかちょっと、だめになりそう。怖い、のだろうか。よく分からない。
「あきら、息、吐いて。ゆっくり」
言われるがままゆっくりと吐く。お前もそうしなさい。すごいことになってるぞ、呼吸。でも僕は黙ってシーツを握りしめて、ゆっくり息をした。全然リズムが合わない吐息だけが寝室に響いている。なんというか、すごいな。
ず、ず、と身体に累が侵入してくる。圧倒的な、質量。なんだろう、なんか思っていたのと違う。歯を食いしばって、綺麗な顔に汗をいっぱいかいて、泣きそうな顔で僕を抱こうと試みている累が良いのだろうか。それとも累のこのフェロモン臭が僕を落ち着かせているのか?わからないな。気がついたら半ばまでは呑み込んでいる気がする。僕のそこ、今どうなってるんだ。よく分からないけど、まだ大丈夫だ。僕ってまだ狂ってない、これはだいぶ進歩と考えていいだろうな。
累はなんかもう、めちゃくちゃだ。たまに汗に混じってぽろ、と涙が落ちて、僕の腹に落ちる。額に青筋を浮かべながら、必死に自分を律してできる限り僕への侵入を緩やかなものにしようとしている。なかなか愉快じゃないか。
「ぁ……あきら、だいじょぶか、」
「大丈夫。もっと……来い。ほら、つらいだろう」
「つ……つらい」
「そうか。ごめんね……痛い?」
「い、痛い。コーフン、しすぎて、ちんこ痛い」
「そういうこともあるんだね」
「うんッ……」
「快楽の方はどう?」
「め、めちゃくちゃきもちいい、めちゃくちゃきもちいい」
「ほう……それは、よかった」
「あきらはッ」
「僕は……ちょっと、苦しい?かも?」
「抜く、か」
「いや、抜かなくていい。続けて」
僕が目を瞑ってふう、と息を吐き、また吸った直後。累の唇が僕の唇に触れた。一回、二回、三回。累の濡れた長いまつ毛が僕の顔を掠めた。僕と唇を重ねる度、腹の中の累の獣がびくんと跳ねるのが分かった。あ、と思う。僕ってわりと今まで、男性器のことをあまりよく思っていなかったんだな。そしてそれが生えてる本体というか、本人とちゃんと接続できていなかった。今僕の中にあるのはちゃんと累だ。コレ含めて累、である。僕って今、累とちゃんと繋がっている。そして累は、僕と触れ合うのが、本当に、喜ばしいのだ。
一瞬全身の毛が逆立った気がした。僕はとんでもない事に気付いてしまった。その混乱を処理しきれないままに、累のそれがずぶ、と僕のさらに奥深くへ沈んでいく。累が動きを完全に止め、その先端が奥の肉壁に辿り着いたその時────僕はやや吐き気を催していた。
「章、大丈夫か?」
「だ……だいじょ……うぶ……」
「正直に言え」
「……ちょっときもちわるい」
「分かった。もうやめよう」
「ち、違う。そういうんじゃない。累、一回止まって聞いて欲しい」
「わかった」
「シンプルに……言うと、だ。累のが大きくて、僕の内臓をやや押し上げている。動くな、まだ動くな」
「そ……そっか、なんか、ごめん。分かった」
しょぼくれた犬みたいだ。ちゃんと僕の言うことを聞いてくれてありがたい。
「どうしてだと思う?」
「え?」
「ちょっと気を紛らわせたいから話してくれ。累はどうしてだと思う?だって僕の体格をご覧。痩せぎすではあるが、その、長さ的には充分あると思う。累が普段抱いている女の子の膣より僕の直腸のほうがゆとりがあるはずなんだ、そう思わないか?なんで今ちょっと僕、なんか、微妙な、感じなんだ」
「わ、わかんねぇ……そんなに真剣に女抱いたことねぇもん……たまに痛いって言われたかも、しんない……わかんねぇよ……」
「女性の膣の伸縮性のほうが上なのか」
「そうなのか?」
「いや僕も知らないが……伸縮するって、読んだ……オメガ男性も同じはずだけど、僕はそうじゃないのか……?どうだ……?うん、累、ちょっと揺すってみてくれ」
「え?!嫌だけど!?」
「僕はゲロが出ても構わない」
「俺がゲロ出さすのはイヤだ!」
暫し見つめあったまま無言になる。僕の中の肉槍は相変わらずずっとすこぶる硬く大きいままで、僕の内臓もそろそろ慣れというか諦めを知ったような気がする。大きく息を吸って、口を開いた。
「まあそう言わないでくれ。僕なんか今、ちょっといい感じになってきたぞ。うん、落ち着いてきた。いけ、ちょっと揺すってみて」
「や、やだ……」
「まあ、累。頼む。頼むよ」
「……」
累はみっともなく怯えた少年の顔をして、ほんの僅かに腰を揺らした。ぐじゅ、と思ったより卑猥な音が出てお互いの身体がびくんと跳ねる。
「ど……どう?」
「……なんか分かった。累、なんていうかこう……突き刺す?感じじゃなくて、擦る感じで、やってみてくれ。奥の方はなんか気持ち悪いが、摩擦自体は……そこまで不快じゃない気がする」
「お、俺は分かんねぇよ。分かんねぇ、し、多分、ちょっとヤバい。ワンチャンもう出る」
「出せばいい。ただ僕が精液じゃなくてゲロ出すとこ見たくないなら、ちょっとそういう感じで頼む。激しくしてもいいよ。それだけ」
「……しゃあねぇなぁ、もう、はあ、ちょっと、ごめん、もう無理だ、俺、」
「うん、いいよ、ごめんね、累……僕も少し無神経だった」
「うるせぇッ。いーよ別に、いいんだよ、もう……」
累がほぼやけっぱちで押し付けてきた唇は、涙と汗で塩味のキスになっていた。
ぐじゅっ、にじゅっ、くちゅっ。
やっと本格的なピストン運動というものが始まってきた気がする。累は僕の言うことを慎重に守りながらも、徐々に射精欲が高まっているのが手に取るように分かる。
一方僕はよく分からない感覚に襲われていた。腰を引かれて、それが抜ける。喪失。気遣うように腰を前に出されて、それが押し込まれる。満ちる。肉襞が擦れる。累のものが脈打っている。性的快楽、というものは、正直得られていない気がする。でも身体がぽかぽかしている。累と一緒に揺れるのは気持ちがいい。累が泣きそうな顔で僕を求めてくれてるのが気持ちいい。累の漏れ出る吐息が僕は結構気に入った。
なんだ。合意の上で安全に行うセックスってこんなものか。なんだ。思っていたよりいいものじゃないか。
「はぁっ、章、ごめん、もう、ほんと、無理かも、出、出そう、ごめん」
「何もッ……謝ること、ない。いいよ、射精して。僕で射精するとこ、みせて」
「っ、あ゛、あきら、う゛ッ…………」
すこし驚いた。思い切り乱暴に抱きしめられたまさにその時、累のモノが今まさに射精せんとしたその時、それはずぐん、と膨れ上がり、どくん、と脈打ったからだ。ここまでペニスは生物的なのか。それを僕は、冷静に知覚できるほどの場所。まで辿り着いたのか。
どくん、どくん、どくん、とポンプのように動くそれと、累の泣きそうな呼吸。バクバク跳ねる累の心音、大きく上下する美しいからだ、それに抱きしめられ、精を薄膜越しに注がれている、僕。息をする度に累のフェロモンが身体中に行き渡り、肺までも侵されていく。温かい温度に。
胸がきゅう、と苦しくなって、そして身体がささやかにびく、と跳ねた。なんか、変な感じが一瞬通り過ぎた、ような。
「あきら……」
僕は静かに、累を震える腕で抱きしめ返した。
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