第15話:勇者が振るう、伝説の剣。

冷たい風が、肌を切り裂くように吹き抜けていく。

俺たち、相川颯人(あいかわはやと)一行がたどり着いた『勇者の試練場』グレイピークは、その名の通り、生命の色が希薄な場所だった。


天を突くようにそびえ立つ、黒く、鋭い岩山。地面は硬い岩盤に覆われ、かろうじて、岩の裂け目にしがみつくように、背の低い、棘だらけの灌木が生えているだけ。ポルト・リーノの、あの陽光に満ちた賑わいが、まるで遠い世界の出来事のように感じられた。


「うへえ…なんつーか、陰気な場所だな…」

ダイキが、寒そうに腕をさすりながら呟く。

「魔王の領地より、よっぽど魔王の領地っぽいじゃないの…」

アヤカも、不安げに周囲を見渡している。


俺は、そんな仲間たちの声に構うことなく、荷物の中から、一本の剣を取り出した。

王都を発つ際に、国王陛下から直々に下賜された、光の聖剣『ソルブリンガー』。

鞘から抜き放つと、刀身が、この灰色の世界にあって、ひときわ清浄な光を放った。白銀の刀身には、竜を屠る古の英雄の姿が、緻密な彫刻で描かれている。何百年もの間、この世界を救ってきた歴代の勇者たちが、その手に握ってきたという、伝説の剣。


そのはずだった。

だが、今の俺の手の中にあるそれは、ただ、ひどく重く、そして、冷たい鉄の塊にしか感じられなかった。


「ハヤト、無理しないで。少し、休んだら…?」

美咲が、心配そうに声をかけてくる。

「いや、平気だ」

俺は、短くそう答えると、仲間たちから少し離れた、平らな岩場へと歩を進めた。


もっと、強くならなければ。

オークごときに、苦戦しているようでは駄目だ。

この剣に、この『ソルブリンガー』に、相応しい勇者にならなければ。


俺は、王城の書庫で読みふけった、古文書の記述を思い出す。

初代勇者が編み出したという、聖剣の「型」。天光を束ね、地を割り、あらゆる不浄を滅するという、伝説の剣技。


俺は、呼吸を整え、その型を、なぞるように剣を構えた。

だが。


「……っ、く…!」


体が、動かない。

いや、動くには動く。だが、その動きは、まるで、錆びついたブリキの人形のように、ぎこちなく、醜い。

剣が、重い。

物理的な重さではない。その歴史が、伝説が、人々の期待が、ずしりと、俺の腕に、肩に、心に、のしかかってくる。


(ダメだ…! もっと、神聖に…! もっと、英雄らしく…!)


焦れば焦るほど、体から力は抜け、剣筋は乱れる。

ただ剣を振るう、という単純な行為が、世界で最も難しいことのように感じられた。


(この剣は、何百年もの間、勇者たちに受け継がれてきたんだ。その重みを、俺は感じなければならない。その魂を、理解しなければ…)


俺は、一体、何と戦っているのだろう。

目の前に、敵はいない。いるのは、ただ、この伝説の剣と、あまりにも非力で、不甲斐ない、自分自身だけだ。


(俺なんかが、この剣を振るう資格があるのか…?)


一度浮かんだ疑念は、毒のように、心を蝕んでいく。


(いや、違う。資格がないんじゃない。これから、得るんだ。この剣に、認められるような、本物の勇者に、俺がなるんだ!)


俺は、自分を叱咤するように、再び剣を構え直した。

だが、その姿は、もはや、剣を「使っている」ようには見えなかっただろう。

むしろ、剣が持つ、巨大な「物語」という重力に、必死で耐えようともがいているようにしか、見えなかったに違いない。



「……ハヤトの奴、どうしちまったんだ? なんか、動きがめちゃくちゃぎこちねえぞ」

少し離れた場所で、ダイキが、困惑したように呟いた。

「見てられないわ…。あんなに思い詰めて…。まるで、自分をいじめてるみたいじゃない…」

アヤカも、痛ましげに顔を歪めている。


二人には、俺が、なぜあそこまで苦しんでいるのか、その理由が分からなかっただろう。

だが、美咲だけは。

浅倉美咲だけは、その本質を、静かに見抜いていた。


彼女は、ただ、じっと俺の姿を見つめていた。

その、賢者と呼ばれる少女の黒い瞳には、俺のぎこちない剣の動きではなく、その奥にある、心の形が、はっきりと映っていた。


(違う…)

美咲は、心の中で呟く。

(ハヤトは、剣を振っているんじゃない…)


風が、ヒュウ、と、彼女の黒髪を揺らす。


(剣に、振られているんだ…)


彼女には、見えていた。

俺が、聖剣ソルブリンガーそのものではなく、その剣にまつわる、目には見えないものばかりを見つめていることを。

剣の歴史、初代勇者の伝説、王や民衆の期待、そして、「かくあるべき」という、英雄の理想像…。


(ハヤトは、道具(どうぐ)を、偶像(ぐうぞう)にしてしまっている…)


道具は、使うものだ。

だが、偶像は、崇め、仕えるもの。

今の俺は、聖剣の主(あるじ)ではなく、聖剣の奴隷になり下がっていた。

その、目に見えない「重さ」に、心を、体を、完全に縛り付けられてしまっている。

美咲は、その構造に気づきながらも、何も言えなかった。

これは、俺自身の問題だ。俺自身が、その呪縛に気づき、断ち切らなければ、決して前に進めない。


「……うおおおおおおっ!」


その時、俺の、絶叫にも似た雄叫びが、荒野に響き渡った。

俺は、もてる限りの力を込めて、聖剣を、地面に突き立てた。


ガキン! と、硬い音が響き、剣先が、火花を散らしながら、浅く岩盤に突き刺さる。

俺は、ぜえ、ぜえ、と肩で息をしながら、その場に、膝から崩れ落ちた。


勝てない。

敵はいないのに、勝てない。

自分自身に、そして、この、聖剣が放つ、無言のプレッシャーに、完膚なきまでに、打ちのめされていた。


冷たい風が、汗で濡れた俺の体を、容赦なく冷やしていく。

灰色の空の下、試練の地に一人ひざまずく「勇者」の姿は、ひどく、ひどく、ちっぽけで、孤独に見えた。

美咲は、そんな俺の背中を、ただ、胸が張り裂けそうな想いで、見つめていることしかできなかった。

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