第5話 マグナス

町中を抜け、森の中に入ると空気が変わった。茂った木々の葉が陽光をやわらげ、差し込む光もどこか穏やかだった。鳥のさえずりさえ、町中とは異なる静けさをまとっている。


神父の話では、森を深く進めば小屋が見えてくるという。


サイラスは立ち止まり、道を確認していると——



「誰じゃ?」



すぐ真後ろで、低くしわがれた声がした。


その瞬間、周囲の鳥たちが一斉に羽ばたき、森の静寂が破られた。


ハッとした。


背筋がぞわりと粟立つ。サイラスは、小国とはいえ、跡継ぎとしてひと通りの鍛錬を積んでいる。誰かが背後に迫るまで気づかないなど、本来あってはならない。もしこれが戦ともなれば、今この瞬間、切られていてもおかしくないのだ。


呼吸を整えて、後ろを振り返った。


「誰じゃ?」


老人は同じ言葉を繰り返した。


小柄な老人だったが、その立ち姿にはまるで隙がない。サイラスをじっと見つめ、呟いた。



「そなた……共鳴士じゃな?」



全身に緊張が走った。



「共鳴士」——その存在を知っているのは、アヌシー王国の中でも、ごく限られた一部の者だけだ。ましてや、王国から遠く離れたこのような森の中の老人が、知っているはずがない。


サイラスは、後ろに飛び退いて聞いた。


「あなたは……何者です……?」

「わしが、マグナスじゃ。教会から聞いてきたのであろう? 安心せい、何もせん」


そう言うと、マグナスと名乗る老人は、フッと肩の力を抜いた。


「……そなたの名は?」

「サイラスです。高台の教会で、マグナス殿のお名前を伺いました。 私は『王家の書』と呼ばれる書を探し求め、旅をしている者です。何か……『王家の書』について、ご存知ではないでしょうか?」



マグナスは目を細め、小さく呟いた。


「そうか……ついに『王家の書』を……探し求めるか」

「ご存知なのですね! どうか、教えてください。それは、一体、どのような書物なのです?」


マグナスはその問いには答えず、サイラスについてくるように言い、さらに森の奥へ進んだ。しばらく行くと、蔦に覆われた古い小屋が姿を現した。どうやら、ここが住処らしい。

 

中へ案内されたサイラスは、差し出された温かいお茶に手を伸ばしかけ、ふと動きを止めた。


「まずは、飲むがよい。毒など入っておらん」

 

手をつけないサイラスに、マグナスは微笑んだ。


カップをそっと持ち上げ、温かいお茶を飲み干す。ほんのりとレモンの香りがする。心を和らげる効能でもあるのだろうか、緊張がじんわりとほどけた。


「マグナス殿……あなたは、なぜ、共鳴士のことを? それに、『王家の書』とは何なのです?」


マグナスはその問いを聞き流し、静かに語り始めた。



「共鳴士とは、そなたも知っているように、アヌシーの血にのみ宿る特別な力じゃ。それは、単なる術ではない。世界のあらゆる存在が放つ”波動”、つまり、目に見えぬ生命のうねりと共鳴する力じゃ。


しかし、共鳴できるものの性質は、人によって異なる。水に寄り添う者もいれば、風と一体となる者もおる。地に根ざす者もいれば、火と呼吸を合わせる者もいる。


アヌシー王国に現れる共鳴士は、水を読む者が多い。時として、手に負えぬウール川を律する必要があったからであろうな」


サイラスを見つめて、続けた。


「共鳴士にとって重要なのは、力が強いかどうかではない。その力を制御できるかどうか、その一点にかかっている」


慰めるように、優しく言う。



「そなたは、弱い」



的をついた言葉に、サイラスの呼吸が乱れた。


(そうだ、私は弱い。私自身が、一番よくわかっている)



「そうです。私の……力は……歴代の共鳴士に到底及ばない」


「そうではないはずじゃ。そなた自身が、”弱さ”を選んでおる」



その瞬間、足元がぐらりと揺らいだ気がした。耳の奥で、忘れようとした記憶がざわめき始める。




あの日——暴走した自分の波動。守るべき者を、愛する者を、取り返しがつかないほど傷つけてしまった、自分自身の手。



その罪が、力を封じさせた。いや、自らが封じた。使ってはならないと。



「あなたは何者……なのか」と言いかけたその時、扉が開き、小さな影が飛び込んできた。


サイラスは、入ってきた子どもを見て驚いた。


「あの時の…子ども……!」


日焼けした肌に、癖っ毛の茶色い髪の毛。ラズベリーやブラックベリーでいっぱいになったカゴを抱えている。年の頃は、五つか六つぐらいだろうか。


「マグナス!たくさん採れたよ!」


満面の笑みでカゴを差し出す子どもに、マグナスは「おおお、そうか、そうか」と優しく応え、大きな手で頭を撫でている。



だが、サイラスの視線は、まるで見えない力に引き寄せられるように、子どもの左手に注がれた。



赤い痣——「紅血の一族」の印。神の恩寵でもあり、悪魔の呪いでもある。



その印を持つ者は、”未来を見る”という。だが、どれほどの力を秘めているのかほとんど知られていない。


サイラスとて、話に聞いたことがあるぐらいで、「紅血の一族」に会ったのはこれが初めてだ。



口元がかすかに震える。


「この子は……どこから?」

 


呆然としながら、マグナスとその子どもを見つめた。



「紅血の一族」の力を欲する者は多い。そのためか、「左手の赤い痣を持つ子ども」の親が取る道は二つ。子どもを高くで売り渡すか、それとも命がけで守り抜くか、だ。


売られた「紅血の一族」がどのように扱われるかは、相手先次第だ。特別な力を授かる一族は、まるで神の代理人のように扱われることもある。 

 

しかし一方で、あまりにも過酷な運命を背負わされる子どもがいるのも事実だ。これが、悪魔の呪いと呼ばれる所以だ。


「この……子どもはどこから……?溺れているところを助けようとして、流されてしまったのだが……助かったのだな」


いきさつを話すと、マグナスは子どもについて教えてくれた。


子どもは川岸に倒れているところを、通りかかったキャラバンに救われたらしい。隊長は、ほかの者から左手の赤い痣を隠し、教会に事情を話し庇護を頼んだ。


しかし、教会で匿っていても、痣に気づいた者に力づくで連れて行かれてしまう恐れもある。教会では守りきれないと考え、マグナスのところに連れてこられたというわけだ。


マグナスが、只者でないことは明らかだ。教会の神父ですら、マグナスに子どもを託すのだ。


幸いなことに、この子どもを巡る大人たちは「守る」ほうを選んだ。


「この子の名前は、エマだ」


エマと呼ばれた女の子は、マグナスの背に隠れて、サイラスをじっと見つめている。


「サイラス、そなたに伝えねばならぬことがある。明日も、ここへ来るがよい」



サイラスとて、聞きたいことが山ほどある。また訪ねる約束をして、小屋を出た。



マグナス殿は何者なのだ? 


なぜ共鳴士を知っている? 


なぜ、私を見てすぐにわかった?


あの子どもは……どういうことだ? これは……すべて偶然が重なっただけ……なのか?



だが、今はただ、明日を待つしかない。

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