第5話『シュガー・クイーンの涙』



朝の登校風景は、色で分断されていた。


青い制服の生徒たちが、堂々と正門を通る。BMI18以下の選ばれし者たち。彼らの周りには、薄い光の膜——魔力のオーラが見える。


緑の制服組は、その後ろを控えめに歩く。


そして灰色——劣等生たちは、裏門から忍び込むように登校していた。


「今朝の体重測定、43.2キロ」


青い制服の女子生徒が、手首のスリムセンサーを確認する。


「昨日より0.1キロ増えてる……ヤバい」


その瞬間、制服がかすかに色あせた。青から、わずかに緑に近づく。


「早く戻さないと……」


彼女は走り去った。おそらく、トイレで「処理」をするのだろう。


その光景を、校舎の最上階から見下ろす少女がいた。


コウメ=ヴァニラハート。


生徒会副会長。成績学年首席。そして——BMI16.8という「完璧な数値」の持ち主。


彼女の青い制服は、朝日を受けて輝いていた。最高純度の青。それは、この学園における「神」の証。


「コウメ様、おはようございます!」


取り巻きたちが集まってくる。みんな青い制服だが、コウメの青には及ばない。


「今日の朝食は?」


「キャベツの千切り、50グラム」


コウメは完璧な笑顔で答えた。嘘だった。本当は、何も食べていない。


いや、正確には——


(昨夜、また……)


思い出したくない記憶。ベッドの下に隠した、チョコレートの空き箱。十個。全部、一人で食べた。


そして、泣きながら指を喉に突っ込んで——


「コウメ様?」


「なんでもないわ」


笑顔を作り直す。完璧な笑顔。それが、彼女の鎧だった。


教室に入ると、灰色の制服が目に入った。


ミナ=ノリーナ。


プリン事件の主犯。絶食塔から生還した異端者。そして今、学園の秩序を乱し始めている問題児。


「おはよう、コウメさん」


ミナが挨拶してきた。灰色の制服なのに、堂々としている。


「……おはよう」


コウメは最低限の返事をした。関わりたくない。この子と関われば、自分の「完璧」が崩れる気がする。


でも——


(なぜ、あんなに堂々としていられるの?)


ミナは、弁当箱を机に置いた。中身が見える。おにぎり、卵焼き、野菜炒め。明らかに500キロカロリーを超えている。


校則違反だ。


「それ、カロリーオーバーよ」


つい、声をかけてしまった。


「知ってる」


ミナはあっけらかんと答えた。


「でも、お腹すいたから」


その単純な答えに、コウメは言葉を失った。


お腹がすいたから、食べる。


なんて原始的で、なんて羨ましい思考。


「あなた、また絶食塔送りになるわよ」


「なったら、なったで」


ミナは肩をすくめた。


「生きてるって実感できるし」


コウメの中で、何かが軋んだ。


放課後、コウメはいつもの場所に向かった。


旧校舎の地下。そこに、彼女の「秘密の王国」があった。


重い扉を開ける。甘い香りが鼻を突く。


そこは——違法スイーツの貯蔵庫だった。


地下フードマーケットから仕入れた、ありとあらゆる甘味。チョコレート、ケーキ、クッキー、キャンディ……。


「今日も、来てしまった……」


震える手で、チョコレートの箱を取る。


一口。


甘い。甘すぎる。でも、止められない。


二口、三口、四口——


気がつけば、箱が空になっていた。


「また……」


自己嫌悪が襲ってくる。スリムセンサーを見る。体重が0.3キロ増加している。


制服の青が、かすかに濁った。


「ダメ、ダメ、ダメ!」


パニックになる。このままでは、青い制服を失う。すべてを失う。


トイレに駆け込もうとした時——


「何してるの?」


振り返ると、ミナが立っていた。


「な、なんでここに!?」


「匂いを辿ってきた。甘い匂い」


ミナは、床に散らばったチョコレートの包み紙を見た。


「ああ……」


すべてを理解したような顔をした。


「出て行って!」


コウメが叫ぶ。


「これは、私の……私だけの……」


「分かる」


ミナが静かに言った。


「甘いものって、裏切らないもんね」


その言葉に、コウメは凍りついた。


「でも」


ミナは続けた。


「スイーツは裏切らないって思ってた。でも、自分を壊す味だった」


「!」


コウメの目から、涙があふれた。まさに、自分が感じていたことを、言葉にされた。


「どうして……どうして分かるの?」


「だって、同じだから」


ミナは優しく微笑んだ。


「私も、食べることで自分を罰してた時期があった」


コウメは崩れ落ちた。完璧な仮面が、音を立てて割れていく。


「私、私……もうダメなの」


泣きじゃくる。


「母に言われたの。『女の子なんだから、太るのはみっともないでしょ?』って。それから、ずっと……」


「それ、自分へのご褒美じゃない。拷問だよ」


ミナの言葉が、心に刺さった。


そう、拷問だった。甘いものを食べるたび、自分を責める。吐くたび、自分が汚れていく。


でも、やめられない。


「どうしたらいいの?」


「一緒に考えよう」


ミナが手を差し伸べた。


「一人で抱え込まなくていい」


その時、地下への階段から足音が聞こえてきた。


「誰か来る!」


二人は慌てて物陰に隠れた。


入ってきたのは——生徒会長と、黒いフードの人物だった。


「今月の『商品』は?」


生徒会長が聞く。


「新作のエクレア。一個で800キロカロリー」


「それを、誰に?」


「青い制服の子たちに。彼女たちが一番、飢えているから」


コウメは息を呑んだ。


地下フードマーケット。それは、生徒会が管理していたのだ。


完璧を求められる青い制服の生徒たちを、甘い罠で堕落させ、支配する。


なんという、歪んだシステム。


「今月も、『脱落者』が出るでしょうね」


生徒会長が冷たく笑った。


「青から緑へ。緑から灰色へ。そうやって、秩序は保たれる」


二人が去った後、コウメは震えていた。


「私、利用されてたの……?」


「そうみたい」


ミナも険しい顔をしていた。


「でも、今分かったなら、変われる」


「変わる……?」


「うん。一緒に、このおかしなシステムを変えよう」


コウメは、ミナの顔を見た。灰色の制服。最下層の証。


でも、その瞳は、誰よりも強く輝いていた。


「私に、できるかな……」


「できるよ」


ミナは微笑んだ。


「だって、コウメさんは強い。甘いものの誘惑と、ずっと戦ってきたんだから」


その夜、コウメは決意した。


明日から、少しずつ変わろう。


スイーツとの付き合い方も、自分との向き合い方も。


そして——この狂った学園も。


震える手で、日記に書いた。


『スイーツは敵じゃない。私を壊していたのは、罪悪感という名の毒だった』


明日、ミナと一緒に何かを作る約束をした。


罪悪感なしに食べられる、本当の「ご褒美」を。


窓の外では、絶食塔が不気味にそびえていた。


でも、もう怖くない。


仲間がいるから。

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