第4話『甘くて苦い、恋がはじまる』



保健室が、私たちの秘密基地になった。


「今日のメニューは、オートミール粥」


ユウトが小鍋を火にかけた。保健室の奥には、医療用の小さなキッチンがある。「緊急時の栄養補給用」という名目で、唯一調理が許される場所。


「オートミール……何キロカロリー?」


コトハが不安そうに聞いた。法廷から3日、彼女は少しずつ「食べる練習」をしている。


「150キロカロリー。でも、タンパク質と食物繊維が豊富だから——」


「150!?」


コトハが青ざめた。


「ご、ごめん、やっぱり——」


「コトハさん」


私は彼女の震える手を握った。


「昨日は120食べられた。今日は150。少しずつでいいんだよ」


「でも、制服の色が」


コトハは自分の青い制服を見つめた。


「BMIが18を超えたら、私、緑になっちゃう」


「それの何が悪いの?」


ユウトが振り返った。


「色が変わったら、コトハさんじゃなくなるの?」


沈黙が流れた。


そして、ドアが小さくノックされた。


「あの……入ってもいい?」


恐る恐る入ってきたのは、灰色の制服を着た下級生たち。5人、10人、そして——


「こんなに!?」


気がつけば、20人以上が保健室に集まっていた。


「ミナ先輩の噂を聞いて」


「ここでなら、食べてもいいって」


「本当に、いいの?」


みんな、飢えた目をしている。でも同時に、希望の光も宿している。


「全員分は無理だけど」


ユウトが言った。


「順番に、少しずつなら」


「でも、バレたら」


誰かが不安そうに言った。


「絶食塔行きだよ」


「だから」


私は立ち上がった。


「知識で武装するの」


保健室の黒板に、私は書き始めた。


『基礎代謝計算式』

『必須栄養素の種類と必要量』

『飢餓状態における身体への影響』


「これを理解すれば、戦える。『医学的に必要な栄養摂取』として」


生徒たちが、真剣にノートを取り始めた。


中には、青い制服の生徒もいた。彼らは帽子を深くかぶり、顔を隠している。エリートが「劣等生の集会」に参加していることがバレれば、社会的に抹殺される。


「では、今日の献立」


ユウトがお粥を配り始めた。一人分はスプーン3杯程度。それでも、みんなの顔が輝いた。


「いただきます」


全員で唱和した。


何年ぶりだろう、この言葉を口にするのは。


静かに、でも幸せそうに、みんなが食べ始めた。


と、その時。


「ユウト先輩」


私は気づいた。


「あなたの分は?」


「僕は後で」


彼は微笑んだ。


「みんなが食べるのを見てるのが好きなんだ」


でも、私は気づいていた。


材料が足りない。全員に配ったら、ユウトの分はない。


「一緒に食べよう」


私は自分のお椀を差し出した。


「半分こ」


「でも、ミナの分が」


「あの子の前でだけ、私は"おなかすいた"って言えなかった」


突然、私は口走っていた。


生徒たちが、不思議そうに見ている。


「ごめん、変なこと言って」


顔が熱い。


「でも、ユウトとなら、言える。おなかすいたって。一緒に食べたいって」


ユウトの頬が、少し赤くなった。


「……ありがとう」


二人で一つのお椀を分け合った。


スプーンが触れ合う。

目が合う。

また顔を赤らめる。


「あーあ」


コトハがにやにやしながら見ている。


「青春だねぇ」


「ち、違う!」


私は慌てた。


「これは、ただの栄養補給で」


「へぇ〜、栄養補給ねぇ」


生徒たちがクスクス笑った。


こんな光景、何年ぶりだろう。


笑いながら食事をする。

友達とおしゃべりしながら食べる。

好きな人と一緒に食べる。


当たり前のことが、この学園では奇跡。


「ねえ」


一人の生徒が言った。


「来週、私の誕生日なんだ」


「へぇ、おめでとう」


「それで、もし可能なら……ケーキ、食べてみたい」


空気が凍った。


ケーキ。

推定300キロカロリー以上の、超違法食品。


「無理だよ」


誰かが言った。


「材料も手に入らないし、作る場所も」


「でも」


私は考えた。


「小さいのなら。カップケーキくらいなら」


「材料は?」


「地下フードマーケット」


ユウトが言った。


「闇市場。違法だけど、お金さえあれば何でも手に入る」


「でも、危険すぎる」


「うん」


私は頷いた。


「でも、誕生日にケーキも食べられない人生って、悲しすぎない?」


みんなが顔を見合わせた。


そして——


「やろう」


コトハが言った。


「私、お金なら少しある。痩せ薬を買うために貯めてたけど」


「私も協力する」


「僕も」


次々と手が挙がった。


「じゃあ、作戦会議」


ユウトが保健室の見取り図を広げた。


「地下マーケットへの最短ルート。警備の薄い時間帯。必要な材料のリスト」


まるで、レジスタンスの作戦会議。


でも、奪うのは武器じゃない。

小麦粉と、卵と、砂糖。


ケーキを作るための、ささやかな材料。


「これ、ばれたら退学じゃすまないよ」


誰かが言った。


「うん」


私は頷いた。


「でも、後悔はしない」


ユウトと目が合った。


彼は優しく微笑んだ。


「僕も手伝う。姉さんの分も、食べさせてあげたいから」


手と手が、そっと触れ合った。


「……食べてるミナ、かっこいいよ」


小さな声で、彼が言った。


胸が、きゅんと鳴った。


これは、恋だ。


カロリー計算なんてできない、甘くて苦い感情。


「来週の誕生日パーティー、絶対成功させよう」


みんなで円陣を組んだ。


「おー!」


窓の外では、監視の教師たちが巡回している。

でも、保健室の中では、小さな革命が進行している。


食べることは、罪じゃない。

祝うことは、罪じゃない。

恋することは、罪じゃない。


生きることは、罪じゃない。


「ミナ」


帰り際、ユウトが呼び止めた。


「明日も、一緒に食べよう」


「うん」


私は笑顔で頷いた。


「明日は、何を作ってくれるの?」


「内緒」


彼はいたずらっぽく笑った。


「楽しみにしてて」


***


——第1章 完——


甘いものが欲しいのは、甘えたかったから。

空腹がつらいのは、誰かに抱きしめてほしかったから。


お砂糖の粒が舌で溶けるとき

涙も一緒に溶けていく

「ごめんなさい」じゃなくて

「ありがとう」が言えたなら


プリンの黄色は罪の色?

違うよ、それは太陽の色

お腹が鳴るのは生きてる証拠

心が鳴るのは恋の証拠


カップケーキに込めた願い

小さな火に灯した希望

禁じられた甘さの中に

本当の優しさを見つけた


明日もまた、お弁当を作ろう

明日もまた、「美味しい」と言おう

明日もまた、あなたと一緒に


これが私の、小さな革命

これが私の、甘い反逆

これが私たちの、美味しい陰謀


ゼロカロリーの檻を壊して

私は私の人生を食べる


——第2章へ続く——

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