第3話


「おまえなぁ……そんなこと考えてたのかよ……」


 馬を軽く走らせながら夕暮れの林の中で陸遜りくそんが打ち明ければ、甘寧かんねいが呆れた声で返す。


「お前はそんなことに気を回さないでいいんだよ!」


 走行中の馬の上から頭をわしっ、と押さえつけられ盛大にかき回される。

 陸遜は慌てて手綱を握り締めた。

 馬が鳴いて、脚を緩める。

 一瞬で鳥の巣のようになった髪を何となく直しながら、陸遜は溜め息をつく。

 追い抜いて行った甘寧も馬を止め、ゆっくり戻って来た。


「俺もお前も昨日今日の付き合いじゃねーだろ。

 俺が戦の前に、お前にそんな話しかけてくんなとか言ったり、空気出したことあるか?」


 陸遜は首を振る。

「……一度もありません」

 確かに甘寧はそういうことが全くない。

 戦から戻って来て何となく気が昂るので、独りになりたいというようなことは幾度かあったが、戦の前は本当に一度もない。

 出陣する直前の朝まで、彼はいつも通りなのである。

 だろ、と甘寧は肩を竦めた。

「お前ちょっと気張り過ぎだぞ。孫策そんさく周瑜しゅうゆがいなくなったから、気を引き締めたい気持ちは分からなくも無いが、やりすぎはやめろ。その方がなんか調子が狂うぜ」


「甘寧殿は本当に、全く変わりませんね……」


 陸遜が溜息をつくと、甘寧が笑った。


「場数。場数が違う」

「……はは……」

 陸遜がようやく、綻ぶように笑う。

 甘寧は彼にしては優しい表情でそれを見遣った。

 ゆっくりと、並んで、馬を歩かせた。


「……そういえば、ありがとうございました」


「ん?」


「先程、来てくださって。

 実は呂蒙りょもう殿が、少し沈んでおられたように思ったんです。

 多分疲れだとは思うのですが……。

 私はあまり力になれなくて。

 どうしたらいいだろうと思っていたら貴方が来て、

 貴方と話していたら、呂蒙殿は少し気が紛れたようでした」


 甘寧が笑った。

「人間、そんなもんだろ」

「そうでもないですよ。甘寧殿は、側にいると人を安堵させたり、笑わせて下さるところがありますから。誰にでも出来ることではないと思います」

「そうかぁ?」

 首を捻りながら、しかし甘寧は思いついたようにニヤリと唇を歪ませた。

「そうかそうか……周瑜の死に沈んで一カ月まともに外に出れないくらいの繊細な所を持つ軍師さんには、やっぱり俺という副官が必要だな」

「それとこれは別です」

 すぐに返されて、甘寧は顔を顰めた。


「なんでだよ」

「甘寧殿は駄目です」

「なんでだよ!」

「なんでだよといわれても」

「俺は少なくともあの虞翻ぐほんとかいう文官よりお前を和ませる自信があるぞ」


「………………だから困るんですよ」


「あ⁉」

 思わず振り返った陸遜の顔が赤いのは、横から差し込む夕暮れの光に照らされたからというわけではないのだろう。

 陸遜はふい、と横を向いた。

「おい、陸遜……」

「――もう少し北上しましょう! あまりゆっくりすると、陽が落ちてしまいます」

 逃げるように馬を駆らせていった陸遜に、呆気に取られて甘寧は数秒後、吹き出した。


「……いや、お前もそんなに変わってねえと思うけどな」


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