第12話 ある日の放課後

「奈々美、まずい。あたしあれだけ松永先生や竹宮くんに教えてもらったのに、点数大して変わらなかった。やっぱりそういうモチベーションは一瞬だわ」


 すみれちゃんの話を聞きながら放課後に教室のワックスがけをしている私たち。明日からの三者面談が終わればもう夏休みである。

 

「すみれちゃん、塾は順調?」

「うーん、まぁ何とかなるかな……それよりも先に文化祭と体育祭があるよね。竹宮くんさぁ、去年のリレーカッコよかったー! 今年同じクラスだからさぁ、堂々と応援できる♪ うふふー」


 二学期かぁ……まだまだイベントがあるんだよね。夏期講習ちゃんと頑張らないと。


「ペット(※)も最後かぁ、この文化祭で」

 (※トランペットのこと)

「私も夏休みに展示の絵、仕上げないと」


 すみれちゃんは学校の花形と言われる吹奏楽部で花形のトランペットを担当している。明るくて華やかなすみれちゃんにぴったりだ。それに文化祭の吹奏楽部の演奏は圧巻だからみんなが感動するんだよね。

 3年生は文化祭が終われば引退する。私のいる美術部もそう。


「それが終わったらもう受験に向かって……」

「奈々美ぃー! 辛い現実言わないでー」


 美化委員の子とヘルプの私たち、合わせて4人でワックスがけをしているけれど、机の移動で地味に疲れてしまう。


「すみません、部活で呼ばれていて」とすみれちゃんが担任の藤井ふじい先生に言って途中で抜けた。

 さらに放送で藤井先生が呼び出され、「ごめん、ゆっくりでいいから進めておいてくれる?」と言って去って行った。


 ワックスが乾くのを待って机を少しずつ動かそうとしている時だった。


 

「おい、藤井先生いないのか?」


 

 この低くて大きな声は――



「あ、松永先生。藤井先生はさっき呼び出されたんです」

 委員の子が言ってくれた。


「そうか。ん? 3人しかいないのか? 少ないな」

 松永先生はそう言って机をひょいと持ち上げて、元の場所までさっと運んだ。あまりにも軽々と持ち上げるのを見て、私は尊敬と憧れの混じったような眼差しを向けてしまう。


 先生、力持ちだな……。

 美化委員はクラスに2人だけで、ワックスがけはヘルプが必要だったけれど、みんな部活。もしくは帰ってしまう。私は家でも大掃除をお母さんと2人でやるから、そこまで嫌いじゃないんだけど。


 やっぱり大人の男の人ってこういう時、頼りになるな……。

 

「梅野さん?」

「は……はい!」

 

 松永先生に呼ばれた。

 いけない、机を運ぶんだった。


「疲れていたら休憩しておくんだ。ヘルプ、ありがとな」


 え……。


 また先生に言われたことに対して、恥ずかしいような……照れてしまうような不思議な気持ちで、顔が熱くなってくる。


 疲れているように見えたのかな。

 確かに最近テストが終わって夏期講習の予定も組んでもらって部活も3年生だからって色々と頑張っていたけれど……。


 先生、わかるのかな……私のこと。


 そう思っていたら美化委員の子にも同じように声をかけていたので、ちょっと力が抜けてしまった。

 まぁ……そうか。


 ようやく藤井先生が戻って来てくれてみんなで机を運んでワックスがけが終わった。机はほとんど松永先生が運んでくれた。


「松永……先生……!」


 私は職員室に戻ろうとする松永先生に声をかけた。


「あ……ありがとう……ございました」

 言えた。初めて松永先生にちゃんと言えた。


「ああ、いいんだよ。梅野さんは頑張りすぎだって藤井先生も言ってたからな。無理するんじゃないぞ」

「え……? は……はい……けど……何だか……その……やっぱり誰かがこういうのは、やらなきゃいけないって思って……」


 何を言っているのか自分でもわからない。普通に「はい、わかりました」と言えばいいのに……私は松永先生に何かを喋ろうとしている。


 頑張っていますアピール、のつもりなのだろうか。

 それとももっと……松永先生と話したいのかな?


「そうだな、みんな帰るからな」

「……」

「大事なことだな。そう考えるのは」

「……」


 

「頑張っているな、梅野さんは」


 

 松永先生はそう言って私の頭にポンと優しく触れた。


 

 え……?

 また……顔が熱くなってきてしまった。

 褒められたから……?

 え……? え……?


 

「フフ……気をつけて帰るんだぞ」

「は……はい……」


 松永先生が職員室の方に向かっていくのをじっと見つめたまま、私は先生にポンとしてもらった自分の頭に手を当ててみる。


 どうしよう……すごく嬉しい。

「頑張っているな」って言われて、頭をポンとされたのが。

 うちに、お父さんという人がいないからなのかな……?

 “好き”とはちょっと違う気がするんだけど……わからない……。

 

 よくわからないけれど、学校のなかでは一番いい先生かもって思ってしまった。

 最初は顔が怖いだけの先生にしか見えなかったのに……1学期だけでこんなに印象って変わるんだ。

 

 いい先生だよね? うん……いい先生。



 ※※※



 (竹宮くん視点)

 夏の大会後に卓球部を引退するので、3年生は特に皆が練習に励んでいる。

 あれから父さんとも母さんとも大した話ができないまま……三者面談が始まってしまうのが不安だけど、大会でいい成績を残せたら、僕の気持ちも伝わるかもしれない。


 そういうことで、練習を一通り済ませていったん体育館から出た時だった。

 向かい側の管理棟の近くに――梅野さんと松永がいる。


 梅野さんは相変わらず松永の前で緊張してそうだけど……どうしてあの2人がここに?

 彼女は今日は……あ、ワックスがけで残っていたな。でも何で松永? 藤井先生じゃなくて?



 そして、松永が梅野さんの頭をポンとして――



 え?

 なんだよ、あの感じ。

 少しだけ、僕の胸がざわついた。



 いや、梅野さんいつも頑張ってるからたぶん褒められたんだろうけど。

 そして彼女は固まったままだ。視線の先は職員室側でありどこかぼんやりしている。


 また……あの表情か。

 松永の前で彼女は何を考えているのだろう。

 


 ――いけない、片付けがあったんだ。




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