第11話 決断

「竹宮君? おい大丈夫か?」


 松永の低くて強い声が聞こえてくる。普段はその声に驚くこともあるのに、今思うのは“僕、助かったんだ”ということ。


 どうか、もう少しだけここで休憩させてください。


 松永の腕の中でそんなことさえ考えてしまう。


 

 誰かに頼りたかった。

 これまで僕は誰にも何も言えなかった。



 どうにか松永から離れて僕は俯きながら言う。

「……すみません。僕……」

「……」

「ちょっと疲れていただけなんです。暑いし」


 顔に泣いた跡がくっきりついているのがバレバレかもしれない。それでもこんな自分の顔を松永には見せたくなくて、じっと地面を見つめていた。

 

 ふと、梅野さんの顔が浮かんだ。

 あれ? なんで今……。

 でも、こんなときに思い出すってことはもしかしたら……誰かに僕のことをわかってほしかったのかもしれない。

 

 

「そうか。もうこんな時間だが、家には……」

「そ、それは……!」

「ん? 何かあったか」


 

 いや、松永なんかに言ってたまるものか。

 家を飛び出してきたなんて。



 僕は今どんな表情をしているのだろうか。家であんなことがあって泣いていたし、こんな自分で悔しくて、あり得ないぐらい歪んだ顔つきなのだろう。

 

 すると松永が――僕の目線に合わせてかがんでくれたのだろうか。もう顔色や泣いた跡まではっきりと見られてしまった。

 それでも僕は何も話せない。そもそもこんな時間にこんな場所で何をしているのか、自分でも分からない。


 

「まず深呼吸するんだ」

「……」

「落ち着こうか、竹宮君」


 

 松永が背中をそっとさすってくれた。

 やっと……だんだん……自分が何をしていたのかが分かってきた。

 ゆっくりと息を吐いて僕は松永の顔を見る。


 怖くて険しそうな顔つきだけど、明らかに僕を心配してくれているようだ。だけど何か余計なお世話みたいなことを言うわけではない。

 3年生なのに、受験生なのに、松永の前でこんな情けない姿を見せたくないのに……何故かまだ帰りたくないんだ……僕は。



「相変わらずこの時間でも暑いな。あそこに座るか」

 近くに小さなベンチがあったので松永に連れられて一緒に座った。


「竹宮君」

「はい」

「……教育相談受けたか?」


 今さら教育相談って……すでに受けたんだけど。

 担任から聞かれたことに対して全部「特に困ってないです」と言ってすぐに終わった。塾に間に合わなかったらまずいから。


 だけどここで……もし本当のことを言えていたなら。

 こんなに悲惨なことにはならなかったのか……?


「教育相談は終わりました」

「もうすぐ三者面談もあるからな」

「あ……」


 三者面談には母さんが来る。

 どうしよう……このままでは……。


 僕はがっくりとうなだれてしまった。

 松永はそんな僕の姿を見て再び背中に手をやる。


「竹宮君は高校入ったら何がしたいんだ?」

「ええと……」


 長乃嶋ながのしま高校に行くものだと担任には把握されているだろう。

 だけどそこに行きたいなんて、思っちゃいないんだ。


 

 本当に行きたいのは――星山岡ほしやまおか高校だ。


 

 あそこは卓球部の強豪校でもある。僕は高校では卓球を本気でやってみたいんだ。今の卓球部みたいに人数だけが多くて遊び半分なところじゃなくて。スマッシュだって誰よりも上手いとかカッコイイとか言われるけれど、その上があの高校には……いるんだよ。

 そこでもっと目指したいんだ、地区大会やできれば全国大会とか……。



「……僕は卓球がやりたいです」

「いいじゃないか、卓球」

「先生は卓球できるんですか」

「いや、もうすっかり忘れたな」



 初めて本当の自分のことを話せたような気がする。

 僕は卓球がやりたいって……言えたんだ。

 まぁ相手は、松永だけど。


 

「卓球楽しいですよ、温泉にもあるし」

「お、確かにそうか」

「だけど僕は温泉卓球じゃなくて、本格的にやる」

「それはすごいな」

 


「だから、星山岡ほしやまおかに行って……あそこの卓球部に入るんです」



 ん? 僕……つい松永に乗せられて行きたい高校を言ってしまった。

 いや、そんなに乗せられた感はなかったぞ?

 なのに……まるで僕の言葉を待っていたかのように松永はフフッと笑っていた。



「楽しみだな、竹宮君」



 松永……僕は……。

 そうだ……そうなんだよ。

 受験は大変だけど、高校が楽しみだって思いたかったんだ。

 行きたい高校があって……そのために頑張りたかったんだ。



「はい……先生」

「いい顔になってきたな」

「え、先生に言われると逆に怖いです」

「こらこら」

「……すみません」

「フフフ……」



 そして僕は松永に途中まで送ってもらい、自宅に戻った。インターホンを押すと案の定、母さんが慌てた様子で玄関のドアを勢いよく開けた。


晴翔はると……」

「……母さん、ごめん」

「……いいのよ。私はまた……愛翔まなとと同じようなことを晴翔はるとにもしようとしていた」

「……」

「だけど……できれば……長乃嶋に行ってほしいわ。まだやればできるかもしれないし……でも……」


 母さんは父さんと僕の板挟みになっている。

 まだ父さんには言える状況じゃないのだろうか。


 その父さんはリビングにいるらしい。

 玄関で靴を脱ぎ、僕はリビングには寄らずに2階に上がる。


 

 自分の部屋の前に着くと向かい側の部屋のドアが少し開いた。そして中から兄が首を傾げて僕の方を見ている……が、すぐにドアを閉めてこもってしまった。


 あの兄と目を合わせたのは何年ぶりだろうか。

 一瞬だったけど、少しだけ兄と心を通わせられたような気がして……ほっとしている自分がいた。


 僕と同じように兄だって追い込まれていたのかもしれない。そしてこの家にとっては、どうしようもない兄弟なのかもしれない。


 だけど僕はもう決めた。

 誰に何と言われようと、父さんに何と言われようと……行きたい高校がここなんだ。

 

 そのために今、受験勉強をするんだと。

 

 


 

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