第9話 雛鳥

舞台裏も賑やかで、いろいろな役割の人間たちが忙しく出入りし、最後の仕掛け花火の準備をする声があちこちから聞こえていた。


同じように舞台が一段高く設えられていて、練習用兼支度場になっていた。


「・・・苦ーしーい!早く脱がせて!」


戴勝やつがしらが大袈裟に言った。


「まあ、なんてバカなんだろ。あんなふうに体を捻って宙返りしたら、そりゃ帯が食い込むよ」


大猿子おおましこが言いながら、目白めじろに手伝わせて戴勝やつがしらの胸の下の固く締まった帯を解いていた。


「苦しい!気持ち悪い!食い過ぎた!」

「・・・暴れるな・・・。大猿子おおましこ姉上、しかもあのほこ、本物なんだよ!?投げられてびっくりした」

「危ないわねぇ。取り損なって落っこちて来たら頭パックリ割れるわよ!」


言いながら妹弟子の頭を引っ叩く。


「・・・あれ、郭公かっこう兄上のほこだろ?あんなでかい男がぶん回すもの、よくまあ使おうと思ったもんだ」


聖堂ヴァルハラで出世し、今は枢機卿の地位にある兄弟子の持ち物だったものだ。


彼は聖職者なのがにわかに信じられない恵まれた体躯で、実際、軍歴も十分にあり、武装修道士モンクだとよくからかわれていた。


男の自分ですら持て余すのに、この妹は難なく使いこなす。

その馬鹿力には呆れてしまう。


「・・・ああ、もう、何でこんなに固結かたむすびになっちゃったんだ・・・よし、戴勝やつがしら、ほらもう大丈夫」


目白めじろが指に力を入れて帯の結び目を解いた。


「あー、楽になったぁ・・・」


深くため息をつくと、帯どころか衣装も全てばさりと足元に落ちた。


ほっとしたように目白めじろと微笑み合う。


大猿子おおましこが、「あのほこ、勝手に持ち出したって!?後で説教だよ!」と言った時、人影に気づいて振り向いた。


端正な顔立ちのすっきりとした装いの女官と、少年の姿だった。


「・・・あら、せせり様」


女官の上から五役の、三番目の人間に対する呼び名だ。


女官は、あくまで厳しい縦社会の官僚である。

資質、品格、素養、家柄。

それらを兼ね備え、初めて彼女達は宮廷で官位を得て己を積み上げる事が出来るのだ。


家令が鳥の名前を頂くように、女官は重役のみ、蝶の名前を賜る。

上から、女官長をトップにして揚羽あげは、副女官長の紋白もんしろ、第一補佐であるせせり、その下に続く、しじみまだら


これは、家令とは違い、役職名であり宮廷の優雅な習慣のひとつ。


大猿子おおましこは、女官が眉を寄せ、連れの少年がドギマギしているのを察してため息をついた。


やたら距離が近い家令達は誰かが裸でいようがたいして気にもしないが、一般向きの感覚ではない。


実際、宮廷ばかりか、軍で働き、祭礼にも携わり、こうして催しにも出てくるとなれば、実用性重視の彼等にとったらそれはいかにも当たり前に合理的な感覚だとしても。


現に、目の前の少年は、自分より一つ年上の女家令の半裸に、何が起きたかと声も出ない様子。


少年にとって、同じ年頃の若き女家令の肢体は、花と言うより、果物のように肉感的で艶やかだった。


「・・・ああ、もう!戴勝やつがしら!こちら家令じゃないんだから、早く服着なさい。・・・頼むからお行儀良くして」


「なんだよ!こっちは大仕事したんだよ!?」


扱いに不満だと戴勝やつがしらが文句を言ったが、目白めじろが、半裸に近い妹弟子に家令服を着せ付けた。


改めて、女官が楚々そそとした礼を尽くした。


「ごきげんよう存じます。・・・大猿子おおましこ様、お見事の舞台だったわね。陛下もとってもご満足のようだったわ」

「ありがとう存じます。ですけれど、見たでしょう?この子達ったら!」

「だからこそ陛下がお喜びなんだもの。褒めてあげなくてはね」

「・・・まあ、いい気になるわ!・・・あら、この子」


どこか既視感のある目鼻立ちに、ああ、と思い当たる。


「そう。息子よ。総家令から進路指導が入ってね。・・・家令になると決めたそうよ」

「・・・おやまあ・・・」


大猿子おおましこが、歓迎半分、複雑半分の顔をした。


「・・・坊や、いいの?1回家令になったら一生家令だよ?」


舞台の上で様子を見ていた戴勝やつがしらが声をあげた。


「お姉様!なに?!この子、家令になるの?」

「・・・知ってる。杜鵑ほととぎす兄上の子だ」


へえ、と戴勝やつがしらが、足元にまとわりついた美しい衣装を引き剥がすと舞台から飛び降りて近づいて来た。


じっと見つめられて理央りおは戸惑った。


舞台で見た、これは、人を射抜く目だ。


不思議な動悸を感じて、息を飲む。


「・・・ほんとだ。似てる。でも、目が綺麗! 杜鵑ほととぎすお兄様、目がよどんでるから」

「わかるー!そうね。それはお母様似ねぇ」

「まあ、ありがとう存じますこと」


大猿子おおましこせせりが笑った。


「・・・こちらは、目白めじろ戴勝やつがしらよ。貴方の兄姉きょうだい弟子になるわ。私は大猿子おおましこ。よろしくね」


優しく言われて、理央りおは何だか照れてしまって小さく頷いた。


「そうそう、ずっと年増の姉弟子ね」


戴勝やつがしらがそう言うのに、大猿子おおましこが持っていた扇子を投げつけた。


「・・・うるさいよ!全く、なんて小生意気なんだろ!」


後で改めて、正式に総家令に呼ばれる事になるでしょうと大猿子おおましこが言った。


理央りおは、舞台裏をあちこち眺めて、その場にいた家令達に紹介された。


誰もがそれぞれに個性的で、見目が良い。


彼らは口々に歓迎すると言って、理央りおの頭を撫でたり、抱っこしたりした。


なんと楽し気で距離が近いのだろう。


こんな風にしている人々を宮廷で見た事はなかった。


「フィナーレの花火を観て行って!あれは必見!」と家令達に言われた母子は庭園へと戻る道すがら話していた。


「・・・なんだか、思ったより、家令ってすごく仲が良いみたいだ」


そう言うと、母は小さく頷いた。


「・・・そうね。・・・まあ、全員が兄弟姉妹と言う関係だから、でしょうけれど」

「本当の親子でも?」

「そうよ。だから、お前は今まで、父親を、お父さんと・・・呼ぶ事はまあ無かったけれど。今後は、兄と呼ばなければならないわね。・・・それから・・・。あの人達がとても仲が良いのは。・・・いつでもさよならする準備をしているからだそうよ」


夜空に次々と打ち上げられる鮮やかな花火を見上げながら、母親が少し悲し気にそう言ったのが意外だった。


女官と家令は対立する事が多い関係だと聞いていたから。


理央りおは、それがどういう意味なのか分からなかったけれど。


ただ、自分があの一員になる事。


とりわけ、あの姉弟子の隣に居る事が出来たら、それはとても良い人生が始まるように感じて、少年は高揚感でいっぱいだった。

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