朝凪、舵のまにまに

なかの

Day1 まっさら

「ぜーんぶ、なくなっちゃったね」

 夏の夕方。まだ外は明るいけれど、畳を照らす日差しは徐々にオレンジ色に染まっている。少しずつ爪先に迫ってくるその紫外線から逃げるように、足を少し引っ込める。塗りっぱなしのネイルはもうすっかり艶がない。

「そうだなー……」

 背中合わせに座るヒロには、まだ光が届かないはずだ。私は膝を抱えてじっとり汗ばんだ身体に寄りかかった。

「いてえよ、おい」

「いいじゃん。ねー」

 どんどん体重を預けると、バランスを失って転がった。するとまだ体育座りのヒロと目が合って、その目つきの悪さに笑ってしまう。

「ね、もうちょっと笑った方がいいよ。それじゃ撮られる方も笑えないし」

「みなみ以外を撮る予定はしばらくないから、別にいいよ」

 そうかなー、と呟いて、私はヒロの視線の先を追った。色あせた畳の部屋には、空っぽになったタンスや鏡台だけが残されている。その中にあった古着や乾いた化粧品を出して捨てたのが、もうだいぶ過去のことに思える。

「そんなに大きなものでもないし、もらっておいたら」

「いや……」

 飲み込んだ言葉は聞かなくてもわかる。あえて聞かずに、私はぼんやり天井を見上げた。壁に入った亀裂が天井の梁まで続いている。もうこの家は限界だった。

 でも本当に、よく頑張ったなと思う。いろんなことがあったはずだけど、この家はずっと、たくさんの人間を守り育ててきた。

 そんな風に考えていると、ヒロもごろりと転がって日焼けした顔がすぐ隣に並んだ。ものすごく近いところで見ると分かるけど、ヒロの目は少しだけ灰色がかっている。

「みなみが覚えてくれてればいいよ」

「……私、すぐ忘れちゃうよ」

 そう答えると、ヒロはくはっと笑った。

「それならそれでいいや」

 あ、大丈夫かも。

 ヒロが大丈夫なら、私も大丈夫かも。

 その時はじめて、そう感じた。それで私は目を閉じてヒロの手を取った。ヒロも握り返してくれたので、私たちはいつまでもそうして、夕方の涼しい風を受けて寝転がっていた。

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