第59話 エリーゼ、早朝の挨拶
夜明けの森は、かすかな霧に包まれていた。木々の間から差し込む薄紅の光が、まだ眠たげな世界をやさしく照らしている。焚き火はすでに燃え尽き、わずかな残り火だけが地面に小さな赤を灯していた。
エリーゼは、ふと目を覚ました。まだ寝袋の中で身体を丸めたまま、彼女は耳を澄ませる。
――鳥の声、風のささやき、そして……人の気配。
ゆっくりと起き上がり、そっと仲間たちを見やる。
アリスターは隣で髪を乱しながらも、無防備な寝顔をさらしていた。ダリルはというと、寝袋の中で小さくうずくまりながらも、微かに眉間にしわを寄せている。
見張りの交代は……終わっているはず。
エリーゼは焚き火のそばに目をやる。そこに、ヴェルトがいなかった。
「……あれ?」
彼女は寝袋を抜け出し、肩に羽織をかけて辺りを見渡す。朝の空気は冷たく、鼻の奥を刺激する。まだ日は昇りきっておらず、世界はぼんやりとしたグレーの中に沈んでいた。
数歩先、岩場の方へ向かうと、そこに佇む仮面の男の背中があった。
ヴェルトは朝の霧を見つめていた。彼のマントは夜露に濡れ、肩がわずかに震えているようにも見えた。
「……おはよう、ヴェルト」
声をかけると、彼は少し驚いたように振り向いた。仮面越しでは感情は読み取りづらいが、その目だけがどこか、深い影を湛えていた。
「……早いな」
「なんとなく、ね。……見張り番、おつかれさま」
エリーゼはそっと隣に立ち、朝靄の中でしばし沈黙を共有する。
ヴェルトの目線の先には、ただ森の奥深くが広がっているだけだった。
「……昨夜、ダリルと何か話した?」
問いは、まっすぐだった。
ヴェルトは少しだけ目を伏せる。
「……何かを話したとするなら、それは……必要な話だった」
その言い方が妙に重たく、エリーゼは軽く眉をひそめる。
「ダリル……泣いてた。目が少し腫れてたの、気づいてる?」
今度は、ヴェルトがわずかに肩を震わせた。風ではない。彼自身の感情の揺れだった。
「そうか……彼は、泣いてくれたのか」
「……ねえ。あなたは、いったい何者なの?」
その問いに、仮面の下の男は長く、長く沈黙した。
やがて彼は口を開く。
「ただの案内人さ。……仮面の、な」
エリーゼはそれ以上、深くは聞かなかった。ただ、その言葉の裏にある寂しさと、痛みに触れた気がした。
しばらくして、朝食の支度が始まり、マスキュラーが野菜を刻み、アリスターが目覚めてスープに文句をつけ、ダリルが無言で湯を沸かした。
誰も多くを語らなかったが、どこか空気が変わっていた。
ダリルは、焚き火の残り火を見つめながら、静かに呟いた。
「……拙者、知らなかったのです。あの人が、あんなにも……痛みを抱えていたとは」
その言葉に、アリスターが眉をひそめる。
「ん? 何の話?」
「いや……ただの夢です、きっと」
そう言って、ダリルは無理に笑ってみせたが、その目には揺らぎが残っていた。
エリーゼは彼の背中を見つめながら、思った。
(ガーラン……彼の名を、わたしはまだ知らない。けれど)
ヴェルトが一晩で変わったわけではない。ただ、何かを手放し、何かを受け取ったのだ。
それが、昨日よりも確かに人間らしく思えた。
朝の光が強くなる。
彼らの旅は、また続く。
いくつもの罪と、いくつもの真実を背負いながら――。
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