第11話 名もなき王宮兵士からみた、激怒する国王の様子

王宮の広間は、かつて見たことのないような緊張感に包まれていた。

 空気が重い。燭台の炎は二微かに揺れ、赤絨毯に沈んだ影を細く歪ませていた。


 俺は、王宮警備兵の一人。名もなき下級兵士に過ぎない。

 だが、今日ばかりはこの目で見届けねばならないと思った。

 ──二週間前の、あの追放劇の続きを。


 あの日、俺は広間の隅に立っていた。

 エリーゼ=アルセリア嬢が、第一王子シャルル殿下によって婚約を破棄され、さらに国外追放の処分を下されたときだ。


 誰も、彼女を助けなかった。

 父であるアルセリア侯爵も、母親も、口を噤み、目を逸らした。

 廷臣たちは冷笑を浮かべ、姉カリーナ嬢が勝ち誇る姿に同調していた。


 俺は、あの時──ただ拳を握りしめていた。

 あれは不自然だった。あまりに整いすぎていた。

 王妃の臨席もなく、王も不在。王子の単独の判断で、あれほどの処分がなされた。

 ……だが、兵の身でそれに逆らえるはずもない。


 エリーゼ嬢は泣き崩れ、縛り上げられて引き立てられていった。

 その姿は今も、脳裏に焼きついて離れない。


「……お静かに」


 同僚が小声で注意する。

 俺が無意識に、歯噛みしていたのだろう。唇が血の味を伝えていた。


 玉座がきしんだ。


「──説明せよ、シャルル」


 王が、戻ってきた。

 外遊からの帰還は予定より三日早かったらしい。

 その怒気をはらんだ声音が、広間の空気を一変させた。


 レインハルと国王。戦の英雄と謳われる、苛烈にして冷厳なる男。

 その目は、今まさに息子を見据えていた。


 シャルル殿下は、わずかに顔を引きつらせながらも、平然を装っていた。


「父上。エリーゼ=アルセリアは、カリーナ嬢を長年いじめ続けておりました。それゆえ──」


「戯れ言を申すなッ!!」


 広間が震えた。王の声が雷鳴のようにとどろいた。

 俺の心の奥底が、何かで突き破られるように震えた。

 ようやく、誰かが、彼女を弁護してくれた。


「お前は、自らの婚約相手を、王命を待たずに処分した。それだけではない。貴様が婚約したのは“アルセリア侯の娘”だからではない」


 王の声が低く、鋭く続く。


「──フリューゲル王国の王女の血を引く、“カールの孫”だからだ!!」


 シャルルの顔が青ざめた。

 隣に立っていたカリーナ嬢も、口を押さえて震えている。


「そ、そんな……」


 小さく呟いた声が、広間に虚しく響く。

 だが、王は容赦しなかった。


「フリューゲル王国と我が国の関係は、エリーゼとの縁談あってこそ友好に成り立つ。それを破棄し、おとしめ、挙げ句の果てに国外追放? ……どの面下げて王の名を騙ったのだ、シャルル!!」


 見たこともないほどに、王の顔が紅潮していた。

 玉座に腰かけるのも忘れ、王は階段を下り、シャルルの目の前まで歩を進める。


「貴様に王位継承権を語る資格はない。今より剥奪とする」


「そ、そんな……父上、それはあまりに……!」


「黙れ! 貴様の行いで、戦が起こるかもしれぬのだぞ!! ……フリューゲルが動けば、我らには勝ち目などない!」


 王の目に、絶望が浮かんでいた。

 そして、その絶望を引き起こしたのは、彼の愚かな息子──。


 俺は、胸の奥底で、叫びたい気持ちを必死に抑えていた。

 ざまあみろ、だ。

 これほど明確な裁きが下るとは思わなかった。


 そして王は、アルセリア侯に視線を移した。


「侯爵アルセリア。お前も、我が許しなく婚約を破棄し、フリューゲル王国を敵に回す愚を犯した。これより爵位を子爵とし、領地はすべて没収する」


「お、王よ、どうかお慈悲を……!」


「……ならば、エリーゼを探せ。見つからねば、シャルルともどもフリューゲル王国に引き渡す。彼らが望むならばな」


 俺の心が震えた。

 これが、王か。

 あの少女が受けた屈辱と不義を、ようやく正そうとする王の怒りが、ここまで鋭く深く人を打つとは──。


 広間には、もはや誰も口をきけなかった。

 廷臣たちは青ざめ、誰もが口をつぐんだ。


 ただ俺は──ひとり、静かに、胸の奥でエリーゼ嬢の無事を祈っていた。


 もう遅かったのかもしれない。

 追放されたあの日、兵士の列の中にいて、俺はただ見ているしかなかった。

 あの小さな背中が、凍てついた風に震えながら、遠ざかっていくのを。

 声をかけたくても、何もできなかった自分が、ただ悔しかった。


 でも。


 もし、今どこかで生きているなら──


(どうか……無事でいてくれ。必ず、誰かが君を迎えにいく。俺たちは、君に借りがある)


 王の命で、エリーゼ嬢の捜索隊が編成されるという話が、すでに兵士たちの間で広がりつつあった。


 名もなき兵のひとりである俺も、真っ先に志願しようと思う。

 今度こそ、あのときできなかったことを果たすために。

 彼女をこの手で、連れ戻すために。


 それが、俺にできる唯一の──償いなのだから。

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