第5話 アリスター――テオドリック王国の追放された元第一王子

新たな出会い

 

 桃色の髪をなびかせながら、エリーゼはそっと顔を上げた。


 不思議な感覚だった。

 たしかに涙を流したはずなのに、心は驚くほど澄み渡っている。まるで、長い迷いの果てにようやく自分を取り戻したかのようだった。


 金と銀に輝く義手と義足。

 それは、母の愛と祖父の誇りが、確かに自分の中に生き続けている証だった。


(それにしても……)


 ふと視線を落とす。手元には、血に染まった一本の折れた枝しか残っていなかった。


「……これじゃ、戦えないよね」


 エリーゼは思わず苦笑した。

 敵が現れたとしても、これでは威嚇すらできないだろう。剣でも、せめてまともな武器を――そう考えて、彼女はきゅっと拳を握った。


「よし。まずは一度、森を出よう」


 自らに言い聞かせるように呟き、エリーゼは立ち上がった。

 そのとき、ふと目に入ったのは、足元に転がるウルフの死体だった。

 痛みと怒りの中で無我夢中に倒した相手。今では、ただの無力な肉塊にしか見えない。


(あ……もしかしてできるかもしれない)


 手をかざしてみると、自然に力が湧き上がった。

 エリーゼの手から、淡い金色の光があふれ出し、ウルフの死体を包み込む。


 ――収納。


 心にそう浮かべた瞬間、死体はふわりと光の粒となり、エリーゼの手の中へと吸い込まれていった。

 感覚としては、小さな空間――「アイテムボックス」に物を収めたようなものだった。


「わあ……これが、精霊の力……」


 胸に手を当て、エリーゼは感動に震えた。

 まだ力は不安定で、扱いにも自信はない。でも、確かに新たな力を得たのだ。


 明るい未来を信じて、エリーゼは再び歩き出した。

 折れた枝を杖代わりに、まっすぐ森の出口を目指して。


 未来はまだ見えない。

 でも、母の願いを胸に秘め、どこまでも歩いていける気がしていた。


***


 森から一旦、元居た場所に戻る。エリーゼは慎重に周囲を見回した。エリーゼを乗せてきた馬車や兵士たちの姿は見当たらなかった。

 でも監視の目が光っている南には進めない。北と西は森だ。東に向かうしかないだろう。

 そう決めると、彼女は隣国――テオドリック王国を目指すことにした。

 国境の街ラベンナまでは行かなくても、どこかで剣ぐらい手に入るはずだ。


 硬い地面を踏みしめながら歩き続ける。

 森の間を抜けた先、小さな池を見つけたのは、そのときだった。


 陽光を受けてきらめく水面。

 その畔には、ひとりの金髪の若者が立っていた。

 池を眺めながら、うっとりとした表情を浮かべている。


(……なにしてるんだろう)


 不審に思い、エリーゼは警戒しつつ声をかけた。


「どうしたのですか?」


 若者は、振り返って微笑んだ。

 そして、さらりと言った。


「見惚れていたのだよ。ボクの美しさに」


(え、ええ……)


 近づいて顔を見た瞬間、たしかに美しいと思った。

 整った顔立ち、整然とした金髪。絵に描いたような美少年だった。


 しかし、エリーゼは同時に鳥肌が立った。

 ――こいつ、ナルシストだ。きもい。


「……そうですか。話しかけてすみません」


 そそくさと立ち去ろうとするエリーゼ。


「ちょっと、待ちたまえ!」


 背後から若者の声が追いかけてきた。

 エリーゼが振り向くと、彼は胸に手を当て、芝居がかった仕草で言った。


「ボク、聞いてほしいのだよ。ボクの名前を。アリスター――テオドリック王国の第一王子だった男だ」


「だった……?」


 妙な言い回しに、エリーゼは思わず問い返した。


 アリスターはため息をつき、芝居がかったポーズで空を仰いだ。


「美しすぎるボクに、婚約者と弟が嫉妬してね」


(……は?)


 エリーゼは目を瞬かせた。

 アリスターはうっとりとした表情で続ける。


「婚約者だった女は、弟に心変わりした。嫉妬と憎しみの果てに、ボクは王城を追われたのだよ」


「……へ、へぇ」


 エリーゼは相槌を打ちながら、心の中でそっと距離を取った。

 この男、確かに美形だけど、相当にめんどくさいタイプだ。


「だからボクは、今はただの流浪の美青年……。しかし、そんなボクを哀れだと思ったかい?」


「い、いえ別に……」


 そそくさと立ち去ろうとするエリーゼに、アリスターはさらに語りかけた。


「せっかくだから、一緒に旅をしないか? ボク、剣も魔法も使えるんだ」


「……えっ?」


 思わず、足を止めてしまう。


 森を避けながら東に進んでいる今のエリーゼには、確かに力強い仲間が欲しいところだった。

 このナルシスト王子(元)――アリスターが本当に戦力になるなら、悪くない話だ。


 しかし。


(……やっぱり、めんどくさそうだなぁ)


 エリーゼは、頭を抱えたくなる気持ちを必死で押し殺した。


「考えておきますね!」


 笑顔でそう答え、エリーゼは再び歩き出そうとした。



◆アリスター・テオドリック婚約破棄される。◆


アリスター・テオドリック婚約破棄劇


 玉座の間には、どこか冷えた空気が漂っていた。

 広大な赤絨毯が敷かれたその中央に、アリスター・テオドリックは一人、晒し者さらしもののように立たされていた。


 幾重にも重なる石造りの壁、高い天井からは燭台しょくだいが垂れ下がり、黄金に輝く光を放っている。

 だが、その光は今のアリスターには、ただ無慈悲な監視の目にしか思えなかった。


 玉座に腰掛ける王、グレィ・テオドリックが重々しく口を開いた。


「アリスター・テオドリック」


 その声は低く、抑えきれない嫌悪感を滲ませにじまていた。


「貴様には、婚約者アイラ・ド・ランヴェール嬢への、著しい不誠実があったと認める」


 その宣言に、玉座の間はざわめいた。

 重臣たち、貴族たちがひそひそと耳打ちを交わし、あからさまにアリスターを侮蔑する視線を向けてきた。


 アリスターは眉をひそめ、首を振る。


「……不誠実? 馬鹿な」


 こんな告発、荒唐無稽こうとうむけいだ。

 自分は婚約者を冷遇した覚えも、恥をかかせた覚えもない。


 だが、すぐにそれをかき消すように、王の隣に控えていた第二王子――ユリウス・テオドリックが、一歩前に出た。


 その顔には、あからさまな勝ち誇りの笑み。


「兄上。あなたは、アイラを顧みず、下賤げせんな女たちと戯れたわむれ、婚約者を冷遇した。それは王家にとって、まさしく恥辱そのものだ」


 ユリウスの声は、あくまで冷ややかで、容赦がなかった。


「なっ……! そんな事実はない!」


 アリスターは声を荒げた。

 だが、彼の叫びは、あまりにも虚しく玉座の間に響くばかりだった。


「証拠なら、いくらでもありますわ」


 しなやかな足取りで、アイラ・ド・ランヴェールが進み出る。

 その顔には、作り物の涙が浮かび、まるでこの世の悲劇を一身に背負ったかのような演技だった。


「アリスター様……わたくし、ずっと耐えてまいりました。ですが、もう、限界なのです……!」


「アイラ……?」


 アリスターは思わず声を漏らす。

 信じた相手に、裏切られたような痛みが胸を刺した。


「あなた様は、わたくしに暴力を振るい、侮辱し、愛の言葉ひとつかけてくださいませんでした……!」


 アイラは絞り出すように言った。

 その声音は悲痛に満ちていたが、目元には薄ら笑いが張り付いていた。


「――嘘だ!!」


 アリスターは叫んだ。

 それは必死の否定だった。

 心からの、魂の底からの叫びだった。


「ボクは、そんなこと一度たりともしていない!」


 だが、その言葉に応じたのは、冷笑だった。


「嘘つきはそちらだ、兄上」


 ユリウスが、心底軽蔑するような目でアリスターを見下ろした。


「この場には、アイラだけではない。重臣たち、侍女たち、多くの者たちが、あなたの非道を目撃している」


 アリスターが顔を上げると、周囲の者たちは一斉に目を逸らした。

 かつて彼に忠誠を誓ったはずの貴族たちも、使用人たちも、まるで腫れ物を見るような目で彼を避けていた。


(……まさか、買収されたのか)


 アリスターは奥歯を噛み締めた。


 これがユリウスの仕組んだ罠だと気づいたときには、すでにすべてが遅かった。


「アリスター・テオドリック」


 王が再び呼びかけた。


「この場をもって、アイラ嬢との婚約を破棄する」


 静まり返る空間に、その声だけが鋭く突き刺さる。


「そんな……」


 アリスターは絶句した。


 婚約破棄。それは、単なる一私人の破局ではない。

 王家の長子たる自分にとって、それは即ち、政治的な死刑宣告と同義だった。


 だが、王はさらに容赦なく告げる。


「そして!」


 玉座に響く、憎悪すらにじむ声。


「王位継承権を剥奪し、国外追放とする!」


 その宣告に、玉座の間はざわめきに包まれた。

 多くの者たちが笑みを隠しきれずにいた。

 王太子失脚の瞬間を見届けられることに、悦びすら覚えているのだ。


「っ……!」


 アリスターは拳を震わせた。

 屈辱と怒りで、今にも膝をつきそうだった。


「なぜだ……ボクは王家の長子だぞ……なぜ、こんな茶番で……!」


 叫びは誰にも届かない。


 ユリウスが、ゆっくりと近づいてきた。


「すべては、兄上の自業自得です」


 唇の端に、あからさまな嘲笑を浮かべながら。


「兄上がいなくなれば、この王国は清らかになりますよ。……どうぞ、安心してお去りください」


 続けざまに、アイラも涼しげな微笑みで言い放った。


「そうですわ、アリスター様。あなた様のような穢れけがは、王国には不要。どうぞ、どこか遠い異国で……無様に朽ち果ててくださいませ」


 悪意に満ちた言葉の刃が、アリスターの胸を突き刺す。

 彼の中で何かが、静かに音を立てて壊れていった。


 だが、それでもアリスターは、頭を垂れることはなかった。

 この場で泣き喚き、膝をつくことだけは、絶対に許せなかった。


「……いいだろう」


 アリスターは、低く、静かな声で言った。


「くだらない国だ。……そんなものに、しがみつくつもりはない」


 くるりと踵を返す。


 誰も止めない。

 誰も声をかけない。


 その背中に、嘲りの笑い声だけが浴びせられる。


(必ずだ……)


 心の中で、燃えさかる炎を押し殺しながら。


(必ず後悔させてやる)


 胸に宿った怒りの火は、まだ小さい。

 だがそれは、やがて全てを焼き尽くすだろう。


 この地を去った王子が、いずれ歴史を揺るがす存在となることを、

 このとき、誰一人として予想していなかった――。



◆北のマケドニア聖教国を目指す。◆


北のマケドニア聖教国に向けて

 

 荒れた街道の外れで、アリスターに呼び止められたエリーゼは、しぶしぶ足を止めた。

 彼の話を聞く気などなかったが、どうにも彼の表情が、過去の自分と重なって見えてしまった。


「――追放されたんだ。王家からも、仲間たちからも、何もかも」


 声を震わせずにはいられないアリスターを前に、エリーゼは深い溜息をついた。

 自分だって、かつて居場所を失い、たった一人でさまよったことがある。まー今も現在進行形で一人ではあるのだが……

 そんな過去がなければ、こんな甘い感情など生まれなかっただろう。


「……まあ、事情はわかったけど。わたし、今、剣がないの」


 エリーゼは指を立てて告げる。


「だから、その手に持ってる剣、貸してくれるなら仲間にしてあげる」


「それはありがたい。でも……君、剣は扱えるのか?」


 アリスターが不安そうに尋ねると、エリーゼは胸を張った。


「剣道三段、県大会優勝者よ。それに、【剣聖】スキル持ち!」


 どや顔で宣言する彼女に、アリスターは一瞬呆けた後、苦笑混じりに剣を差し出してきた。


「剣聖のスキルとはすごいな……剣道三段とかはよくわからないけど、ま、ボクの美しさには適わないだろう。あははは」


 なんとも調子のいい男だ、とエリーゼは内心でため息をつきながら、無事に剣を受け取った。

 これで、武器なしで旅を続ける心配は一つ減ったことになる。


 ただし、問題は別にあった。


「ねえ、アリスター」


「ん?」


「あなた、国外追放されたんでしょ? だったら東には行けないじゃない」


 エリーゼが指摘すると、アリスターはきょとんとした顔をした後、頭をかいた。


「確かに……ボク、そっちに戻ると、すぐ捕まっちゃうかも」


「まったく……」


 エリーゼは呆れを通り越して、無性に笑いがこみあげてきた。

 このお坊ちゃんは、自分がどれほど深刻な立場なのか、ちゃんと理解しているのだろうか?


「いいわ。南と東がダメなら、北に行きましょう」


「北? 北って、どこ?」


「マケドニア聖教国。信仰に厚いけど、まあ、行き倒れには寛容よ」


 そこしかないでしょう、とエリーゼは笑った。王妃教育の賜物で、周辺の地図は頭に入っている。


 こうして、二人の奇妙な旅が始まった。

 目的地も、明確な未来もない、ただ生き延びるための旅だった。


 街道を外れて、森の中を進む。

 草木の生い茂る道なき道。時折、魔物が牙をむき出しにして現れた。


「来た!」


 鋭く叫んだエリーゼが、すかさずアリスターから借りた剣を振るう。

 黒い毛並みのウルフが、低く唸りながら飛びかかってくるが、彼女の剣閃けんせんは鋭かった。


 シュッ、と音を立てて、ウルフの首筋が裂けた。


「ふう……なんとかなるものね」


 エリーゼは汗を拭いながら、地面に崩れ落ちたウルフを見下ろした。


「すごいな、君」


 アリスターが目を丸くして拍手を送ってきた。


「剣聖って、冗談じゃなかったんだ」


「もちろんよ。剣道で鍛えたからね」


 胸を張るエリーゼだったが、内心では(剣道と本物の戦闘は全然違う……)と冷や汗をかいていた。

 だが、ここで怖がってなどいられない。生き延びるためには、やるしかないのだ。


 ウルフの肉を捌き、串に刺して焚き火で焼く。

 飲み水は、アリスターが得意の魔法で確保してくれた。


「ボク、水魔法も得意なんだよね。――《清流創出》!」


 アリスターが詠唱すると、足元から小さな泉が湧き出した。


「へえ、便利じゃない」


「だろ? 美しくて、魔法も使える。ボクって完璧だよね」


 無邪気に笑う彼に、エリーゼは呆れ半分、感心半分だった。


 焼き上がったウルフ肉は、思った以上に香ばしく、悪くない味だった。

 二人は焚き火を囲みながら、無言で肉を頬張った。


 月明かりの下、森の静寂だけが二人を包んでいた。


(変な旅になりそう……でも、一人よりマシか)


 エリーゼはそんなことを思いながら、もう一口、肉をかじった。


 どこへ行くかもわからない。

 明日、どんな困難が待っているかもわからない。


 それでも、たった一つ確かなのは――


 二人の旅は、まだ始まったばかりだということだった。


【エリーゼ=アルセリア】

レベル:16

HP:262

MP:121

攻撃:352【127+剣225】

防御:121

早さ:217

幸運:100

スキル:──剣聖──フェンリルの加護 金龍の加護

装備:テオドリック帝国 王家の剣

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