異母姉に婚約者を奪われ、婚約破棄されたエリーゼは、王子殿下に国外追放されて捨てられた先は、なんと魔獣がいる森。そこから大逆転するしかない?怒りの復讐劇が今、始まる!

山田 バルス

第1話 エリーゼ婚約破棄される

──王宮の広間は、冷え切った空気に満ちていた。


 壮麗な白亜の壁に、赤絨毯の敷かれた大理石の床。無数の燭台しょくだいに灯る光すら、この場に漂う冷たい絶望を払いきることはできなかった。


 玉座の前にひとり、少女が跪いひざまずていた。


 エリーゼ=アルセリア。

 桃色の髪は丹念に整えられ、緋色のドレスはこの日がどれほど大切な日だったかを物語っている。

 だが、彼女の大きな紅玉の瞳は、いまや絶望と戸惑いに揺れていた。


 目の前に立つのは、王国第一王子、シャルル=レインハルト。

 その傍らかたわらには、姉カリーナ=アルセリアが、これ見よがしにシャルルの腕に身を寄せ、誇らしげに勝ち誇った笑みを浮かべていた。


「──エリーゼ=アルセリア。貴様との婚約は、ここに破棄する」


 告げられた言葉は、あまりに突然で。

 あまりに残酷だった。


 エリーゼは、震える手で胸元を押さえながら、かすかな声を絞り出した。


「……なぜ、ですか……?」


 声が震える。

 まるで、心の底から凍えるように。


 彼女の問いに、王子は冷然と答えた。


「貴様が、カリーナ嬢をいじめたからだ」


 言葉の刃が、胸を刺す。


「そ、そんな……! 私が、姉様を、いじめた……?」


 エリーゼは、信じられない思いでシャルルを見上げた。

 だが、王子の表情には、微塵みじんの迷いもない。

 まるでそれが絶対の真実であるかのように、彼は涼しげに言葉を続けた。


「カリーナ嬢からすべて聞いている。お前は陰湿な手段で彼女を苦しめ、王家の威信をも貶めたおとしさらに、王家に対する謀反を企てているとか」


 広間にざわめきが広がる。

 廷臣たちの冷たい視線が、エリーゼに向けられた。


 否。

 それは最初から決まっていた。


 誰一人、エリーゼをかばおうとする者はいない。

 父アルセリア侯爵も、母も、目を逸らしたまま。

 ──すべて、仕組まれていたのだ。


「私は、姉様にも王家にも……そんなこと……していません……!」


 必死に訴えるエリーゼの声は、虚しく広間に消えた。


「黙れ!」


 シャルルの一喝が、広間に響き渡る。

 その威圧に、エリーゼの肩がびくりと震えた。


「貴様のような下劣な女を、王家に迎え入れるわけにはいかぬ」


 広間は、再び深い静寂に沈んだ。

 まるで、エリーゼの存在そのものを否定するかのように。


「よって、貴様との婚約は破棄。さらに──」


 王子は、無慈悲に言葉を重ねた。


「国外追放を命じる」


 その宣告に、エリーゼの膝が崩れた。


「そ、そんな……!」


 桃色の髪が広間に広がる。

 必死にすがろうとするも、誰も助けようとはしなかった。


「王の不在時に謀反むほんを企てる不届き者など不要。王国のためにもな」


 シャルルの隣で、カリーナがくすりと笑った。

 まるで、エリーゼの絶望を甘美な蜜のように味わうかのように。


 なぜ。

 なぜ、こんなことに──。


 エリーゼは、震える指で自らの胸を掴む。


 彼女はただ、幼い頃から姉に憧れ、姉に尽くし、姉を支えようとしていただけだったのに。

 それが裏切りで返され、今、すべてを失おうとしている。


 兵士たちが進み出る。

 無骨な手で、エリーゼの両手を後ろ手に縛り上げた。


「離して、ください……っ」


 必死に抵抗するも、力は弱い。

 無情にも、まるで罪人のように、彼女は引き立てられていった。


 広間に響くのは、硬い靴音と、鎖の擦れるこすれる音だけ。


 誰も声をかけない。

 誰も助けない。


 アルセリア侯夫妻すら、顔を背け、沈黙を守っている。


 エリーゼは、見た。

 カリーナが、微笑みながらシャルルに腕を絡め、勝者の顔でこちらを見下ろしているのを。


 ──すべては、最初から、こうなるよう仕組まれていたのだ。


 重い扉が開かれる。

 冷たい外気が広間に流れ込み、エリーゼの頬を刺した。


 足元に転がる希望を踏みしめながら、エリーゼは王宮を後にする。


 運命の歯車が、音もなく回り始めたことに、誰もまだ気づいていなかった。



◆カリーナ=アルセリアの追憶◆


──これで、ようやく終わったのだ。


 広間に響く鎖の音。その音が、カリーナ=アルセリアの胸を甘く満たしていた。


「国外追放を命じる」


 王子シャルルの無慈悲な宣告。エリーゼの膝が崩れ、桃色の髪が広がる光景に、カリーナは目を細めた。


 これでようやく、あの「妹」とのすべてに決着がついたのだ。


 わたしの腹違いの妹。


 母を苦しめるすべての元凶となる妹。


「カリーナ様よりも、妹君のほうが聡明そうめいで慈悲深いのでは?」と、かつてある貴族の婦人が言った言葉は、今もカリーナの耳に残っていた。笑顔の裏で、どれほど悔しさを噛みかみ締めてきたことか。


 あの子は、何も知らなかった。姉である私が、どれほど努力してきたかを。そして、妹を憎んでいたかを。


 貴族社会は甘くない。王家に嫁ぐということが、どれほどの重圧と意味を持つか。それをわかりもしないあの子が、ただ天使のような笑顔とお行儀のよさだけで、周囲の好意を集めていくのが、たまらなく――鬱陶しかった。


(すべて、私が勝ち取ってきたものなのに……)


 幼い頃、エリーゼはよく私の後ろを歩いていた。真似をし、学び、慕ってしたってきた。


 その姿が、可愛いと思っていた時期もあった。けれど、真実を知った後では、私は妹を許せなく感じていた。それを諭されないようにしてきた。すべてはこの日のために。妹を地獄に叩き落すために。


「姉様は、素晴らしいお方ですの。私も、姉様のようになりたい」


 そう言っていた妹の言葉に、いつも笑顔で答えながら、私は復讐劇ふくしゅうげきの準備をコツコツと進めていた。母と父を苦しめる存在に鉄槌てっついを下す時のために。


 なぜか? エリーゼには国王と王妃からの暖かなまなざしが向けられいた。決して粗末にするな、大切にしろと命令されていた。


 そして、王子殿下との婚約者に収まっていた。なぜ? わたしではなく妹なのか? 同じ侯爵家令嬢ならわたしでも良いのではないか?


 だから、先に手を打ったまで。


 この世界は、「優しさ」や「正しさ」で支配されるものではない。


 必要なのは、権力と結びつきと、勝者の立ち回り。


 そして私は、王子殿下の心を掴んだ。王子殿下との逢瀬で、ついにわたしは目的通りに彼の子供を身籠った。国王と王妃が外遊の今だからこそ、わたしは動いた。エリーゼの前に立ち、王家の未来を担う者として、確固たる地位を築いたのだ。


(それが、私。姉として、当然のこと)


 名だけの王妃候補の選定が始まったとき、すでに戦いは終わっていた。最初からエリーゼに決まっていたのだ。だけど、どれだけ裏があろうとも、そんなことは関係ない。あの子が「邪魔」だった。ただそれだけの話。


 だからこそ、些細な言動を拾い上げ、誇張し、「陰湿ないじめ」に仕立て上げた。


 シャルル殿下には、涙ながらに訴えた。


「妹は、私を憎んでいるのです。何もかも、私から奪っていこうとして……私、どうすればいいのでしょう。このお腹の子のことも」


 ――当然、殿下は私の味方になった。わたしが懐妊し、後には引けなくなったのだ。


 まさか、エリーゼが口答えなどできようか。すでに王子の寵愛を受けているこの私に対し、誰が信を置く? 周囲を説得し、父と母をも味方につけていた。この計画に最初、父は反対したが、わたしが殿下の子を身籠ったみごもったことを告げると、口を閉ざした。


(そう、エリーゼ。あなたが甘かったのよ)


 私たちは、侯爵家の姉妹。けれど、選ばれるのはひとりだけ。愛されるのも、求められるのも。


 あなたはただ、夢を見ていた。姉妹で仲良く王宮に仕えられるなどという、甘美な幻想を。


 ──そして今、夢は終わった。


 兵士に縛られ、引きずられていくエリーゼを、カリーナは冷たく見下ろした。


「……さようなら、エリーゼ、わたしの憎き妹」


 誰にも聞こえない声で、呟く。


 エリーゼが振り返る。あの紅玉のような瞳に、涙が光る。


 だが、その視線に、もはや怯えも哀願もなかった。あるのはただ、静かな疑念。


(……まだ、諦めていないのね)


 ふと、心にかすかなざわめきがよぎる。


 だが、すぐにかき消した。


 エリーゼがいなくなれば、すべてが私のもの。王妃の座も、王家の信頼も、未来も。


 もう二度と、あの子に奪われることはない。


「これで、いいのよ」


 勝利者の笑みを浮かべたまま、カリーナは王子の腕にそっと身を預けた。


 玉座の間には、沈黙と冷気が満ちている。


 ──だが、この静寂は永遠ではない。


 いつか来るかもしれない「彼女の逆襲」など、今は考える必要はない。


 今はただ、勝者として、この瞬間を味わえばいい。


 カリーナの紅い唇が、静かに歪んだ。


 それはまるで、運命の火種を自ら焚きつけるような、静かなる微笑だった。



◆シャルル王子から見た婚約破棄◆


──シャルル=レインハルト視点

 王宮の広間に、張り詰めた静けさが満ちていた。


 だが、シャルル=レインハルトの胸中にあったのは、静けさなどではない。むしろ高揚だった。燃えるような興奮と、解放の快感。

 ようやく、ついに──あの女を追放できるのだ。


 玉座の前にひざまずく少女、エリーゼ=アルセリア。

 端整な顔立ち、品のある仕草、知性を宿す紅玉の瞳。誰もが賞賛し、誰もが期待する、理想の王太子妃。

 だが、彼女の存在がシャルルにとっては、何よりも「鼻につくもの」だった。


 ──いつも、俺を試すような目をしていた。


 表面は丁寧でも、その言葉の節々には皮肉が滲んでいた。


「王子のお考え、さすがでございます。ただ、もし軍の動員に遅れが出た場合は……少し、修正案をお出ししてもよろしいでしょうか?」


「お可哀想に。勉強の時間がお好きではないのですね……ご安心ください、わたくしがお手伝いいたしますわ」


 あの態度──まるで、自分のほうが上だと言わんばかりだった。


 だからこそ、カリーナだった。エリーゼの姉にして、柔らかで、優しくて、何より「自分を持ち上げてくれる」女。

 夜の帳の中、ベッドでささやかれる声──「あなたのようなお方に愛されるなんて、夢のよう……」。

 涙ぐみながら尽くす彼女の姿に、シャルルは何度も「王子であること」の幸福を感じていた。


 その甘美な関係は、次第に確信へと変わっていった。エリーゼではなく、カリーナこそがふさわしいと。

 ──いや、最初からエリーゼなど間違いだったのだ。


「エリーゼ=アルセリア。貴様との婚約は、ここに破棄する」


 広間に響く自らの声。その瞬間、確かな快感が背筋を走った。

 カリーナが隣で優しく身を寄せる。しなやかな身体の温もりが腕に触れ、心が満たされていく。


 エリーゼが、信じられないという顔でこちらを見た。あの整った顔が愕然と歪む様が、なんとも言えず心地よかった。


「……なぜ、ですか……?」


 その声が、耳に残る。戸惑い、痛み、そして、信じたいという最後の希望がにじんでいた。


 シャルルは冷たく答えた。


「貴様が、カリーナ嬢をいじめたからだ」


 その瞬間、広間がさらに凍りついたように静まり返る。だが彼の頭の中では、カリーナの涙が鮮明に蘇っていた。


「エリーゼに閉じ込められたの……魔法の封印までかけられて……。私のドレスも裂かれて……舞踏会にも出られなかった……もう、限界なの……」


 泣きながらすがってきた彼女を、どうして疑えようか。

 夜のぬくもりと、膨らんだ腹。

 自分の子を宿す彼女を信じるのは当然のことだった。


「貴様のような下劣な女を、王家に迎えるわけにはいかぬ」


 そう、これは正義だ。王家を守るための当然の処置。

 その確信を込めて、シャルルは最後の宣告を口にした。


「よって、貴様との婚約は破棄。さらに──国外追放を命じる」


 玉座の間に沈黙が流れる。


 エリーゼが崩れ落ちた。その姿を見ても、胸は痛まなかった。

 むしろ、やっと解放されたとさえ思った。


(これで……終わりだ)


 兵士たちが彼女の腕を取り、縛る。

 そのとき、ふいに、彼女と視線がぶつかった。


 紅玉のような瞳。泣いていた。

 だがそこにあったのは、絶望でも怒りでもない。


 ──哀れみ、だった。


「……シャルル様。どうして、そんなにも……愚かに……」


 そう、聞こえた気がした。

 一瞬、胸に棘が刺さる。だがすぐに振り払った。自分は正しい。間違ってなど──


 隣で、カリーナが囁いた。


「ふふ……よかったわね、シャルル様。あの女がいなくなれば、私たち、やっと一緒になれるわ」


 耳元に触れた唇の柔らかさ。くすぐるような吐息。

 それに、背筋がぞくりと震えた。


 ──これでいい。これが、自分の選んだ道。

 エリーゼの涙など、過去の幻に過ぎない。


 自分はこれから、忠実で優しい妻と、愛しい子と、未来を歩んでいく。

 たとえそれが、嘘と欺瞞ぎまんで築かれたものだったとしても。


 玉座の上で、彼は静かに目を閉じた。

 勝者の笑みは、どこか空虚だった。



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