第二章 デオラⅢ【6】

 親植民惑星であるデオラⅡは約二十二億の人口を擁し、コンスエロという通称が冠されている。

 デオラ星系では他に、デオラⅢ、デオラⅣ、そして最外郭惑星デオラⅨに人間が入植しているが、植民の規模はコンスエロに比べるとごく小さい。デオラⅢとデオラⅣの人口はそれぞれ一千万人弱だし、デオラⅨはわずか数万人だ。

 その中にあってデオラⅢは、まだ大きな発展の余地がある惑星だった。コンスエロよりも恒星デオラからは遠く、もとは極寒の地だったが、直径が大きく密度も高いため、重力が大きい。テラフォーミングの過程で空気を送り込んでやると、みごとに定着し、気密型のコロニーを建造しなくても人間が生活できるようになったのだ。この点で、デオラⅣやデオラⅨとは格段に条件が違う。

 もちろん現時点では、発展途上の「田舎の星」であることには違いない。各居住地域の市場経済もまだ熟しておらず、自由競争によるサービス品質の向上や商品価格の低廉化は望むべくもない――

 という教科書的な知識のとおりの成り行きに、ロンは遭遇していた。

 発端は、あてにしていた修理工場のオーナーが替わってしまっていたことだ。以前なら修理代金の後払いをこころよく認めてくれたのに、今度のオーナーはいささか方針が違うようだった。

「全額とは言いませんが、せめて内金は入れてもらわないと……」

 修理用ドックの片隅の事務所で応対に出てきた修理工は、ロンがいくら交渉しても頑として聞き入れなかった。「ダメなものはダメ」の一点張りだ。

「オーナー本人と交渉したい」

 ロンは要求したが、出かけていて明日まで戻らないという。

 コンスエロシティでは考えられない態度だ。都会には、他にいくらでも修理業者はある。こんな応対をしていたら、客はそちらへ逃げてしまうこと請け合いだ。

 しかし、ここデオラⅢのノースタウンでは近くに目ぼしい競争相手もいないから、業者もつけ上がってしまうのだろう。

 粘るのも面倒になってきた。時間のほうがもったいない。

 ロンは連邦の正規通貨で支払うことにした。

 カルキュレーターがロンの連邦カードを飲み込んだ。受領ランプが灯る。ロン本人でさえ番号やキーコードを忘れてしまったカードが、いまだにコマース・ネットワークの中で有効に働くというのが、わけもなく滑稽に感じられた。

 商談はまとまった。

 ことのついでみたいに、ロンは聞いた。

「軍関係の連絡とか、入ってないか?」

「聞きませんねえ。何か事故でも?」

 どうやら、大丈夫なようだ。

 修理工は繋留エリアへ出て、メモリア号を固定したホバーパッドへ歩み寄っていった。

 着陸した宇宙船を短い距離だけ動かす時には、機関を駆動して飛行させるより、ホバーパッドごと移動させるほうが合理的だ。超高圧の空気を底面から噴射し、〇・〇五ミリばかり浮上させ、摩擦ゼロの状態にして横にスライドさせるのである。

 修理工はホバーパッドのタッチパネルを探し当て、慣れた手つきで操作を始めた。

 やがて、メモリア号を乗せた二基のホバーパッドが音もなく動き出し、ドックの開口部へ向かって滑り込んでいった。

「うわあ」

 その様子を見ていたアリスが、気の抜けたような声を漏らした。

「一度滑り出したら、人間の手の力でも動かせるらしいぞ」

 ロンが説明してやると、

「やってみてもいい?」

 と目を輝かせる。ロンはあわてて言い添えた。

「やめとけ。止められなくなる。学校で慣性の法則は習わなかったか?」

「冗談」

 アリスは口をへの字に曲げた。が、すぐに普通の表情に戻って、

「修理するとこ、見てていい?」

「ああ。邪魔するなよ」

「わかってる」

 かぎ裂きになったスカートの裾をひるがえし、メモリア号の後を追ってドックへと駆けてゆく。

「俺はカフェにいるからな!」

 アリスの背中に向かって大声を出した。アリスは振り返らずに右手を挙げ、

「勝手にしてて、おじさん!」

 と答えながら、ドックの中へ消えていった。誰がおじさんだ、と言い返そうとした時には、もうアリスの姿は見えなかった。

 ロンは、紫色の空を見上げて、両肩をぐるぐる回した。

 どうにも調子を狂わされる。

 さっきの着陸のときも、結局アリスは副操縦席を離れようとしなかった。もっとも、最後の手順は主操縦席で噴射の量と向きを微調整するだけだから、アリスには出番はなかった。それにロンは、こんな作業は慣れっこになっていて、目をつぶっていてもできるほどなのだ。

 それを、アリスが底部光学センサーのスクリーンを見ながら、

「ちょっと右。右右右。あ。左。も少し前前前……」

 などとわざわざ指示するものだから、気が散って、かえって操作を誤りそうになった。

 その前の、誘導ビーコンに軸線を乗せるまでの操縦にしても、アリスが手伝ったおかげでむしろ手間取ってしまった。ミスがなかったのは立派といえば立派だが、不幸中の幸いというやつだろう。

 が、それにもましてロンが気に入らないのは、自分の聖域ともいうべきメモリア号のブリッジを侵食されたような気分にさせられることだった。今まで孤独を保ってきた――あるいは、耐えてきた――プライドが、それこそクッキーが子どもに齧られるみたいに、ぼりぼりと削られてゆく。

 まったく、気に入らない。

 それなのにロンは、自分で自分に呆れていた。

 どうして俺は、この星限りであのいまいましい小娘をたたき出さないんだ?

 何もご丁寧にプリマヴェーラまで乗せてやる必要など、微塵もない。いや、まだしもこのデオラⅢのほうが、アリスの行きたがっているデオラⅨには近い。誰か親切な宇宙船乗りが拾ってくれる可能性だってある。

 この次デオラに戻るまで、船に居候を決め込むつもりじゃあるまいな?

 うんざりだ。

 少なくとも、アリスに操縦を手伝わせることだけは、もうやめよう。

 ロンはそう心に決めた。決めたことで心が少しだけ晴れたので、気を取り直してカフェへ行くことにして、ドックに背を向けて歩き出した。

 しかし、ほんの一時間と経たないうちに、ロンはカフェを出て再びドックへ向かった。普段ならこんな場合、修理が終わるまで平気な顔をしてカフェで居眠りなどするのだが、今日は無性に落ち着かない。

 きっと、LIP到着時刻に間に合うかどうかの瀬戸際だからだろう。そう思うことにした。

 ドックの中には、うぃーん、という機械の作動音が響いていた。外壁を溶接している音だ。修理は思ったより早く済みそうだ。

「ああ、お客さん、ちょうどよかった」

 ドックの開口部から中を覗いていると、工員に作業指示を出していた先ほどの修理工が駆け寄ってきた。

「終わりそうだな」

 ロンが満足げに言うと、相手はちょっと困った顔をした。

「お申しつけの外壁はもうすぐ終わるんですが……」

「他にも何かあるのか」

 あって当然だ。しかし、総点検を依頼したわけではないから、修理工のほうがそれを言い出すとは思えなかった。

「お嬢さんがですね、いろいろと口出ししてきまして」

 俺の娘じゃない、と反論しようとしたが、説明するのも面倒だ。

「あの子が、作業の邪魔でもしたのか?」

 尋ねながら、ドックの奥のメモリア号を見た。アリスが周囲の工員と何やら話し込んでいる。

「いえ」

 修理工の返事が、ロンの注意を引き戻した。

「他にも故障箇所があるから、ついでに直しておいてくれ、って」

「あの子が?」

 アリスを見る。ヘッドホンのことを工員たちにからかわれているのか、必死に頭を押さえて、それでも船尾を指さして何か懸命に説明しようとしている。

「ええ、よくわからないんですがね。何でも、『ぐるぐる回ってるとこが歪んでる』ってのと、『底が抜けて漏れてる』ってのと、『ガスがひっかかって流れてない』のを直してほしい、って言い張ってましてね」

「なんだ、そりゃ。謎なぞみたいだな」

 ロンは首をかしげた。

「でしょう? こっちだって修理屋ですからね。そんなふうに言われちゃ気持ち悪いから、調べてみたんですよ。そしたらですねえ」

 修理工は作業着のポケットから携帯型の電子メモを取り出し、ディスプレイを見ながら続けた。

「無限加速電子エンジンのサーキットアライメントが狂ってました。それから、反応炉で電子と陽電子を対生成して電子だけ取り出す過程で、電子回収率が落ちてます。あと、核融合エンジンのほうですが、後部噴出口の耐熱装甲が剥離してました。言葉はたどたどしいんですが、どうやらその三つを言いたかったらしいんですよ」

 彼の言うとおり、アリスが口にしたという言葉を無理に解釈すれば、そう取れないことはない。

「どういうことだ?」

 ロンは声を潜めた。理由はわからないが、聞いてはいけないことを聞いたような、不思議な予感に襲われていた。

 アリスが宇宙船の構造を熟知しているとは思えない。長年メモリア号に乗っているロンですら、機関部となればほとんどお手上げなのだ。漠然と不調を感じているだけで、どこがどう故障しているかなど、分かるはずもない。

 それをアリスが言い当てたというのか。

「どうします、お客さん。ついでに直しときますか?」

 修理工が焦ったような口調で聞いた。

「どれぐらいかかる?」

「二時間ですね」

「いや、金のことだ」

 ああ、と修理工は頷き、電子メモの上でささっと計算して、ロンに提示した。思ったより安かったし、今度は後払いで構わないというので、頼むことにした。

 工員たちが新たな作業に取りかかった。

 ロンもドックの奥へ歩を進めた。アリスに近寄って「おい」と呼ばわると、意外そうな顔をして振り向いた。

「あれ? おじさん、カフェは?」

「もう行ってきた。それよりおまえ、いったい何をやったんだ?」

「何って?」

 ロンの質問を、アリスは明らかにはぐらかした。

「故障のことだ。隠れた故障箇所を言い当てたらしいじゃないか」

「ああ、そのこと」

 アリスは左腕を軽く上げて、自分の肩口をしげしげと眺めている。

「肩がどうかしたのか?」

「あ、ちょっとほつれ具合がひどいな、って思って」

 生地からはみだした糸に、ふっと息を吹きかける。

「そんなことは聞いてない!」

 思わず怒鳴ってしまった。

 アリスはびくん、と肩を震わせた。が、すぐに平然と、

「だって、適当に言っただけだもん。あてずっぽう。そしたらみんな青い顔して船のあちこち調べはじめた。それだけだよ」

 ほつれた糸を指でつまんで引っ張る。「あ、ダメだ抜けちゃう」と呟いた。

 ロンは、それ以上問い質す気力が失せた。

 何が楽しいのか、アリスはその後も熱心に修理作業を見学していた。

「面白いか?」

 しゃがみ込んで船腹を見上げているアリスにロンは尋ねた。手持ち無沙汰だった。

「別に」

 アリスはつまらなさそうに答えたが、すぐにつけ加えた。

「でも、初めて見るから珍しくて」

「そうか」

「うん」

 クレーンがメモリア号の船尾付近に装甲板を運んできた。溶接機のノズルがそれを待ち構えている。

「なあ、おい」

 決まりわるそうにロンは声をかけた。

 アリスがロンを見る。長いまつげがぱたぱたと上下に動く。

 たったひとこと言えばいい。

 おまえは、ここで、降ろす。

「なに?」

「いや……邪魔するなよ」

「うん」

 それからきっかり二時間後、修理は終わった。ロンはついでに、自動操縦システムも直せないか聞いてみた。

「わかんないですねえ。ブラックボックスみたいなもんだから」

 修理工はそっけなかった。

「直せないのか?」

「故障箇所が特定できれば、あとは簡単なんですがね。その部分のパーツを交換するだけですから、子どもでもできますよ。ただ、十日間はもらわないと。テスターに接続して回路をチェックするだけで、それぐらいかかりますんでねえ。修理は、その後ですから」

 予想通りの答えだった。そもそも、簡単に直らないからこそ、ロンも今までほったらかしにしてきたのだ。十日も仕事をしなければ干されてしまう。仕事がもらえずにヒマな時は金がない。悪循環だ。

 修理を終えたメモリア号は、デオラⅢを出発した。

 もちろん、アリスは副操縦席を占領した。ロンはといえば、もうアリスと言い争うのが面倒なので、発進の手順も教えてやった。

 どうしようもなく使い物にならないバカ娘だったら、それを理由にブリッジから追い出せるのにな、とロンは内心でぼやいた。

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