第十話 君に託すね
昨日は二人して馬鹿を見たので、ちゃんと連絡先を交換しておくことにした。
スマホに追加された『峰雪』の文字を、指でなぞる。
愛おしいって、こんなに辛い感情だっただろうか。
辛いけど、でも、不思議とネガティブではない。
胸が苦しくなって、きゅんと痛んで、それで、あたたかくなる。
「行ってくる」
「うん」
今日は、雪は山を降りて働きに行くらしい。
妖怪でも働くんだ、と聞いたら、娯楽の一種として働いている、と返された。いーいなぁーー。
でも私の方こそ、寿退社をして、家事もろくにさせてもらえず、ごろごろするしかない日々を過ごしているので、羨ましがれる立場でもない。
「いってらっしゃい」
「いいか、くれぐれも勝手な行動はするなよ。何かあったらすぐ連絡……」
「分かってるよ! 何? あたしのお母さんになりたいの!?」
「お前の伴侶だが」
「ぐちぐち小言言ってくる旦那なんてやだぁ!」
「小言じゃない! 俺はお前を心配してるんだ」
真剣な目に、真剣な言葉に、私は同じ熱量を返せない。
「分かった分かった。もーいいから、早く行って!」
「本当に分かっているのか? そうだ、今日屋敷から出てみたいなら……」
まだああだこうだ言っている雪をリムジンに押し込み、勢いよくドアを閉める。
バン! と乾いた音が響いた。
「じゃーね!」
軽く手を振ると、手を振り返してはくれなかったが、こちらを見ていてくれた。
駄目だ。素直になれない。
あの真摯な言葉に、ありがとう、と。私も、あなたのことが大事なんだよ、とそう返したいのに。
「びわ、江津子さん」
「はぁい」
「どうされましたか」
「麓に下りたいの」
やりたいことが、ひとつあった。
「承知致しました」
「いやあ、あの旦那様が外出を許してくださるなんてねぇ」
そうなのだ。
昨日、花火大会から帰ってくる時。雪はリムジンの中で、思いもよらない発言をした。
「これから山を下りたい時は、俺に言え」
「えっ? 下りていいの?」
「いいと言っている。ただし、外出する際には必ず付き人を同行させるように」
喜んで、思わず大きめの声で「わかった!」と叫んでしまったので、雪は驚いた顔をしていた。ああ、あの顔撮っておくべきだったな。
結局花火大会は、写真を撮る余裕など無く終わってしまった。
次一緒に出掛けたら、必ずたくさん写真を撮ろう。一緒に写ろう。
私は、彼の全ての時間に居ることが出来ないから、せめて。
「あっ、来ましたよ」
目の前に高級そうな車が止まった。見たことのない車だ。
黒の車体に、上品な白のシート。大人数が乗れそうな、広々とした空間がある。
運転席には狛井さんが居た。
「あれ、雪を送っていったんじゃ」
「それはおいらの妹でさぁ」
「あ、そうなんですね」
「どうぞ気楽に話してくだせぇ、奥様」
「ありがとう。じゃあ、遠慮なく。狛井さんとは、ずっと話したかったから」
「そいつぁ嬉しいですなぁ」
狛井さんは話しながら、ゆっくりと車を発進させた。
どれだけこの仕事をしているんだろう。丁寧で繊細な、慣れた運転だった。
細い山道を、すぅっと下ってゆく。
「狛井さんは、双子なの?」
「そうだなぁ。狛犬って言ったら、分かりますかぃ?」
「狛犬! そっか、だから狛井さん!」
私が手を叩くと、後ろに乗ったびわと江津子さんがくすくす笑った。
「気付かなかったんですか〜」
「だって、狛犬って妖怪なの?」
「正確には、魔除けの獣でさぁ」
新しい知見が広がり、ふーん、と声を出す。
すると、江津子さんが後ろから発言した。
「でもあんまり、妖怪かどうかは重要ではないんですよ」
「そうなの? てっきり、妖怪を集めた屋敷なのかと思ってた」
ミラー越しに、江津子さんが首を振るのが見える。
「旦那様が、気に入った妖を見つけると、なんでも声を掛けて連れてきてしまわれるんです」
「まさか人間まで攫ってくるなんて思いませんでしたけどね〜」
「みんな、雪に着いていきたいって思ったの?」
三人はそれぞれ短く黙ると、口々に言った。
「おいらは、廃れた神社に妹と凍えていたところをね、助けていただいたんですよ。この恩は、この身が無くなるまでの全てを使って返そうと、そう思ってここに来たんでさぁ」
「わたしも、住んでた山が切り崩されて、生死の狭間を彷徨ってたとこだったなぁ〜」
「私は、人間の社会に溶け込むことが出来ず死にかけていたところを、旦那様に拾われたんです。今は旦那様の術で、人間に化けさせてもらっています。漸く、この世界で生きていくのが楽しいと思えたところなんです」
そうなんだ……。雪って、そんなに情に厚い人だったんだ。
どうりで、屋敷のみんなに好かれているわけだ。
納得した。それと同時に、また胸がきゅうと唸る。
どうしよう。そういうところも、堪らなく好きだ。
冷たく見えて、温かいところ。雑に見えて、優しいところ。
でも、そんな気持ちは言葉に出てこなかった。
「みんな辛かったんだね。ここで不自由ない暮らしが出来てるんだったら、本当によかった。拾われたのがあんな人で、そこだけ可哀想だけど」
つんとした口調になってしまって、自分でも戸惑う。
こんなところでさえ、私は素直になれないのか。
小さく絶望していると、車が止まった。
「お着きですよぉ」
目の前に、古風であざやかな町並みが広がっていた。
「わぁ……」
思わず溜め息が零れる。
ゆっくり見てまわりたい気持ちは山々だが、生憎今日の目的はひとつだ。
狛井さんに会釈すると、彼は軽く手を振ってから空の車を走らせた。帰りが何時になるか分からないので、また迎えに来てもらうことにしたのだ。
「よし」
地図アプリを開いて、たどたどしく先導する。
「こっち、曲がったところっぽい」
二人は土地勘があるのか、私が指差す方を見て「ああ」とか「まあ」とか言っている。
私は気にせず歩いた。何を思われても構わなかったし、二人なら許せるというのもあった。
訪れたのは、天然石を扱っている商店だった。
そう。
言葉で伝えられないなら、物で伝えてしまえ。
大分乱暴な考えだが……彼だって乱雑だし。
言い訳を重ねながら、オンライン予約した旨を店員に伝える。
「二人はお店の中見てる?」
「はい〜」
「じゃ、いってきます」
「いってらっしゃいませ」
通されたのは、小さな工房だった。
優しそうなお爺さんが迎え入れてくれた。椅子を勧められて、静かに座る。
お爺さんは机の上に散らばる石たちを丁寧に集めると、仕切りがついた箱に仕舞い始めた。
「どの石にするか、決めておられるかな」
「……はい。ピーチムーンストーンってありますか」
「すまないな。うちには置いてないんだ」
「そうですか……」
承知の上だ。ピーチムーンストーンは、希少らしい。
「じゃあ」
実は、昨日の夜たくさん調べたのだ。
「モルガナイトって、ありますか」
「ああ、これでいいかい」
お爺さんが差し出した石は、私の左手に嵌められたブレスレットのものと、似た色をしていた。すぐお爺さんもそれに気付いた。
「おや」
ブレスレットを指し示される。
私は頷いた。
「本当は、同じものを作りたかったんですが」
「同じものか……それは難しいな。それに、同じものでいいなら、うちに来てないはずだ」
梟に似た目が、こちらを見透かすように思えた。
「込める思いは、人それぞれだ。だから石も、それぞれ違った輝きを見せる」
図星を疲れてどきどきしたまま、お爺さんの目を見据える。
「君はそれを届けるために、作るんじゃないのかい」
真面目な視線が、今の私には痛かった。
もやもやとしていた心が、ころりと石になって口から転び出る。
「私の気持ちは、石に込もるでしょうか。ちゃんと、届くでしょうか」
言い方の深刻さのせいで、驚かせてしまっただろうか。
お爺さんは大きく目を瞬かせたあと、こちらを安心させるように、ゆっくりと微笑んだ。
「込めるお手伝いを、儂がしよう。安心して任せなさい。石はきみの想いを待っているよ」
目の前が開けたような心地になった。
石たちに託した想いを、私がちゃんと彼に渡すんだ。
そうしたら、少しは素直になれる気がするから。
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