第九話 もゆるおもい
見晴らしのいい場所。そんなとこある?
せめて、人が少ない場所。どこだ、どこだ。
「あっ、た!」
私は境内に続く階段で、彼を待つことにした。
驚くことに、実は私は、彼の連絡先を知らない。
交換するタイミングなど無かったし、必要も無かった。私はずっと屋敷に居たし、彼もそうだった。
彼がいつ山から下りているのかも、私は知らなかった。でも、彼が働きに行ったとして、同じような気がする。私は屋敷から出られないし、彼がスマホを触っているところを見たこともない。
「せめて、電話番号だけでも聞いておけばよかったな……」
手持ち無沙汰になって、下駄を触る。
靴擦れしたところも無いし、鼻緒も無事だ。
本当に、トラブルらしいトラブルなんて、逸れたことくらいだ。
「逸れるなんて思わなかっ……」
「やませ!」
「早っ」
まあそりゃそうか。
あまり大きくない会場。境内へ上る階段という、分かりやすい場所。
それに、彼のことだ。人の子の居場所など手に取るようにわかる〜とか、言いそうだし。
感動の再会など一ミリもなく、淡々と顔を合わせた。つもりだった。
「探したぞ!」
あまりの彼の取り乱しように、私は淡々としていられなかった。
「ど、どうしたの!? よれよれじゃん」
「どうしたも何も、お前が急に居なくなるから……はぁ、はぁ」
乱れた髪。上気した頬。なにもかもが、初めて見る彼の姿だった。
「走ったの?」
「ああ……」
「超能力でもなんでも、使ったら良かったのに」
「……っ」
雪は目を見開いた。そんなこと、思いつきもしなかった。そんな顔だ。
嘘でしょ。いつも冷静で、悪賢くて。狐ってそういうもんだと、いや、雪ってそういうひとかと思ってた。
「大丈夫?」
「問題無い。大事なのは、お前だ」
がっと、両頬を掴まれた。嫌でも目が合う。その瞳は、心配の色に染まりきっていた。
「怪我は無いか。嫌な思いはしなかったか」
また、これだ。
きっと雪に、そんなつもりは無い。ただ、自分の掌の上に置いておきたいだけ。傍から離れられるのが、プライドが高いから許せないだけ。自分の嫁、いわゆる所有物を手放したくないだけ。
勘違いしたくない。傷つくだけだから。
私はドキドキする胸から目を逸らして、酷く平坦に「そんなん無いよ」と言った。
「無事で……良かった」
雪は、心底安堵したように、解けるように笑みを見せた。
「なんで、そんな……」
ああ、そうか。
このひとは、嫁でもなく、人の子でもなく、「やませ」を探しに来てくれたんだ。
腑に落ちた事実に、ぶわっと顔が熱を持つ。胸が締め付けられるように、苦しくなった。
「ばか、そんなにくたくたになっちゃって」
乱れた浴衣の衿を、整える。近付いた胸元に、頭を預けた。
「ありがと、雪」
「ここでいいだろう」
「うん」
結局、花火は境内から見ることにした。
さざめく人々の中で、しっかりと手を繋ぐ。
指を絡める繋ぎ方とか、元彼としたことはあるけど。でも、繋ぎ方とか関係なく、もっと深いところで繋がっている気がした。
そんなこと考えているのは、私だけかな。
またさっきと同じ思考がぐるぐると回る。
私だけだったら、どうしよう。もしそうだったら、悲しいどころじゃいられない。
…………なんで?
答えは出ている気がした。
「もう始まるな」
腕時計を確認した彼が言う。その横顔が、提灯の光に照らされて、とても綺麗だ。
でも、イケメンだとか、Eラインが美しいだとか、それは思うけど、けど。それだけじゃない。もうそれだけじゃ、なくなっていた。
「あっ」
花火が上がった。
どん、と身体に響く音がして、大輪が咲いた。
花火を見上げる彼が見たくて、隣を見たら、目が合った。
「なんだ」
ふ、と微笑む。その表情が、見たかった。
胸がきゅうっと痛くなった。
ああ、好きだな。
ただそう思った。
ぱらぱらと散る火花が、彼の瞳にきらきらと映る。
私だけじゃ嫌だ。
その瞳に私を映す理由を、ちゃんと教えてほしい。
どん、どん、と身体に響く音が、胸の鼓動と重なった。
痛い。居たい。愛おしい。……いたい。
「綺麗だね、雪」
あなたの瞳に映る、花火を見ている。
「俺の顔じゃなく、花火を見ろ」
雪はやれやれと笑った。
今はもう、言い返すことが出来ない。
私は黙って、空を見上げた。
どうしよう。気付いた途端に、心はずんと重くなった。
隣に立つのが、私で良かったと、あの日思った。
でも、それはいつまで? 私が死ぬまで?
添い遂げるなんて出来っこない関係だ。
大妖怪の雪にとって、私ってどれだけちっぽけな存在なんだろう。そんなことを考えながら、咲いては散ってゆく花火を見ていた。
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