第五話 真相と本心

 驚きすぎて言葉も出ない私に、狐はさらに言葉を続けた。

「名はせつ。雪と書く」

「え……そんな……」

「驚いたか?」

「そんなことはどうでもいい!!!!」

「……え」

「驚いたか? ええ! 驚きましたとも! 待って? つまりはあなたは妖怪で?」

「今俺の真名をどうでもいいと云ったか」

 狐は憤慨したかのように目を細めたが、しかし、そんなこと本当にどうでもよかった。

「イケメンの皮で騙して嫁がせて? そのまま食っちまおうって腹でしょ!!」

 今は自分の身が第一優先だ。

 私は礼儀作法なんか全部忘れて、着物の裾を持って駆け出した。

 屋敷は複雑に入り組んでいて、どこをどう進んだら出口に繋がっているのか分からない。

 進んでは襖、開くと襖、もうこんがらがってきた。

「もう……玄関はどこ!?」

 叫ぶと、目の前に玄関が現れた。

「へっ!?」

 飛び込んで、引き戸を開ける。確かに、ここに来る時に見た景色が広がっていた。

 それが現実か幻かも、もう分からない。

「どうにでもなれ!」

 私はやけになって敷居を跨いだ。来た時の草履を履いてしまい、走りづらいことに気付いたが、戻るのも嫌だったので、そのまま道を下る。

 道の脇に置いてある燈籠が、私が通る度に灯る。鬼火燈籠。ファンタジーの世界にしか無いものだと思っていた。

 鬼火? が、ゆらゆらと揺れている。

「燈籠っ、お前もか!」

 カエサルさながらの悲壮感を漂わせながら叫んだ。

 鬼火は可笑しそうに上下に揺れて、消えていった。

 門が見えてきた。私は草履を脱いで、癖で揃えてから地面に置いた。

 構造の変わる古屋敷。鬼火燈籠。九尾の狐。

 とんだ妖怪屋敷じゃないか。

「こんな家、出てってやる!!」

 駆け出した私は、結界に頭を思い切り打ちつけ、失神した。



「やませ様、やませ様ぁ」

 目を開けると、視界はまん丸の目で埋まっていた。

「うわっ!」

 飛び起きて、ごちんと頭同士をぶつけた。

「痛っ」

「いったあ」

「もう、何やってるの」

 江津子さんが、やれやれといった様子で首を振った。

「でも意識が戻ってよかった!」

 にこにこ笑っているびわに、毒化を抜かれる。

 朝の光が、襖の間から差し込んでいた。

「気を失うほど強く頭をぶつけるなんて……」

「どんだけ急いでたんですか?」

 悪びれない態度に、抜け切れなかった毒が、頭を痛くする。

 あんたたちだって知らなかったわけじゃないでしょ。

「だって……」

「だって?」

「あんなん絶っっっっ対無理!!!!」

 自分の叫び声が頭に響いて、私はもう一度布団に倒れ込んだ。

「あんなんって〜手のひら返し〜」

「しょうがなくない!? 私はイケメンと結婚出来ると思ってたのに……」

「俺はイケメンだろうが」

「へっ!?」

 頭を動かすと、昨晩見た着物の裾が見えた。

「整った顔の男と結婚したいだけだったのなら、成功だな」

 上から顔を覗き込まれて、近距離で浴びせかけられたあまりのその美貌に、私はまた失神しそうになった。

 照れと怒りで真っ赤になった顔で反論する。

「そ、そんなん、本当の姿じゃないんだから詐欺じゃん!」

「それはメイクというものを否定している気が致しますが……」

 びわが何か呟いているが、無視する。

「お屋敷も変だし、どうせこの家に居る人全員妖怪なんでしょ! 私を騙したんだ! この化け狐!」

「ばっ……昨日言ったはずだ、俺は九尾の狐であって」

「化けてんだから化け狐でしょ」

「失礼な女め……!」

 睨み合って火花を散らす。バチバチと音が聞こえそうな空気の中、江津子が口を挟んだ。

「説明が足りておらず申し訳ありません。確かに私たちは、妖怪です」

「江津子さんは何の妖怪なんですか?」

 彼女に助け起こしてもらいながら、尋ねた。

 江津子さんのことは、知りたいと思うのだ。勿論びわも。

 化け狐のことは信用出来ないが、主の命に従っただけの使用人たちに、悪いところは無いと思う。

「私は、天引江津子と申します。アマビエという妖怪なのですが、ご存知でしょうか」

「知ってます! ブームがあったから」

「ふふ、そうですね」

 優しい笑顔に、やっぱりこの人を信頼したいという気持ちが強まる。

「びわ……さんは?」

「びわで構いませんよ〜」

 呼び捨てにしかけたことを咎めずに、びわはからっと笑った。

 やっぱりこの子のことも、信じたい。

 勝手に年下だと思ってしまっているのだが、どうなんだろう。

「わたしは田貫びわです。なんと、化け狸!」

 びわは後ろに下がると、くるりと回って、一匹の狸に姿を変えた。

「すごい!」

「俺と反応が随分違うが」

 手を叩く私に、狐は随分ご立腹だ。

「そりゃ立場が違いますからね!」

 峰雪さん、いや、雪の方に座り直すと、その水色の目をまっすぐ見つめた。

「あのね。私は、結婚するって、人生の大きな分岐点だと思う。女性だからとか、そういうことじゃなくて。これからの半生、心を通わせて、隣に寄り添って生きていく。それなりに、覚悟したんです。こっちも。まあ……顔に釣られたのは紛れもない本心だから、それは言い逃れ出来ないけど」

 詐欺だ! イケメンを出せ! と騒いでいる私が大したことを言える口じゃないが、それでも分かってほしかった。

 妖怪はきっと、人とは違う価値観を持っている。永い間生きて、何度も近づいては離れたり、そういうことが気楽に出来る寿命をもっているはずだ。

 まあ、妖怪が恋愛とか結婚とかしてるイメージは無いけど。

「真実を教えぬまま連れてきたことについては、謝ろう。あの場で話しても、信じはしないだろうと思った。狐の姿を見せるわけにもいかないしな」

 言い訳が少々長い点には目をつぶって、謝罪を受け入れる。

 もしかしたら、話せば分かるタイプの妖怪かもしれない。

 彼の身勝手さと謙虚さを同時に見せられて、混乱してしまった。

 話しあぐねていると、びわが助け舟を出すように問いかけてくれた。

「やませ様は、これからどうしたいんですか?」

「そうですよ。山を下りるおつもりなら、車を出させますが」

 それを聞いた雪は、犬のようにぐるると唸った。

「山を下りる?」

 そんじょそこらの犬とは違う。大地が揺れるような、重く深い響きだった。身体が震える。やっぱり恐ろしくなった。

「旦那様、どうどう」

「やませ様が怖がっています」

 この獣が、一体私をどうしようというのか。

 答えはひとつに思えた。

「下りるって答えたら、私を食べるの?」

「食べる?」

 雪は唸るのをやめ、きょとんとした顔で私を見つめた。ちょっとの間、見つめ合う。

 次の瞬間、彼は弾けたように笑い出した。

「ははは。妖怪が皆、人を食うと思っているのか」

「えっ? 違うの?」

「食う奴が居ないとは言わない。だが俺は、もっと美味いものを知っている」

「……桃のこと?」

「そうだが」

 恐いんだか可愛いんだか、よく分かんないひと。

「私のことを食べるために、ここに連れてきたんじゃないの?」

「違う。お前と添い遂げるために連れてきた」

 ド直球で言われて、ぐ、と言葉に詰まる。

 だから、そんなにストレートに言われたら誰でも照れるって。絶対。

「言っただろう、相性が良いと」

「さっき化け狐とか言われて怒ってたくせにのうのうと……」

 額の腫れている部分を指差す。

「これのどこが相性が良いって言うの!?」

「魂の相性の話だ」

「タマシイ……?」

 急に概念的な話をされて、宇宙に放り出されてしまったような心地になる。

「まあ、それは後に解れば良い。今後どうしたいか、答えは決まったな?」

 やっとこさ意識が地球に戻ってきたところで、問いかけられる。変に圧をかけられているが、気にしない。

「考えてみる。これからどうするか」

 狐は虚をつかれた顔をした。きっと今まで、他人に逆らわれたことが無かったのだろう。

 もしこれから一緒に居るとするなら、目一杯逆らってやろう。それで、たっぷり学べばいい。

 三人に、順に視線をやった。

 率直な気持ちを話そう。ここでいくら嘘を吐いても、世辞を並べても、意味が無い。

 生かしてくれるつもりなら、私はここで生きていく。かもしれない。

「どうしたいかは、まだ分からない」

 正直言って、今すぐに山を下りたいかというと、そうでもなかった。

 もう親兄弟には電話をしてしまったし、退職届も出されていた。

 それだけが理由ではないが、すぐ帰らなくてはいけない状況ではないのも確かだ。

「そうか」

 雪は、短く呟いた。

 この狐も、どうやら私のことを気に入ってはいるみたいだし。いや、魂の相性って、何だ。本当に。好きとか、そういうことでは無いのだろう。多分。おそらく。

 ここでの生活を送るかどうか。今は真剣にそれだけを考えたい。

 私は頭を下げた。

「ここに居たいか。みんなと居たいか。あなたと居たいか。……少し、私に時間をください」

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