第五十話 永子の独り言(四)

「何? 五摂家ごせっけ(公家のお偉いさん)筆頭ひっとう御堂家みどうけへ領地を寄進きしん(寄付)するだと!」


 父上の懐刀ふところがたなである奥山おくやま織部おりべは何食わぬ顔で父の御前ごぜんに控えています。私と母上も、その提案には驚きを隠せません。表御殿の座敷からは、庭に植えられたカエデが色づき、枯山水かれさんすいの庭に一葉を落とす瞬間が目に入ります。


織部おりべ! お前も知らぬはずはあるまい。今年は御用商人ごようしょうにん(出入りの商人)への利息がかさみ、我が清藤家せいとうけふところは苦しくなっておることを」


 父上のお苦しみ、胸に迫ってくるようですわ。最近は一揆いっきも多くなり、討伐の軍を出すにもお金がかかるのです。父上の疲れた顔を拝見することも多くなり、心を痛めておりました。


 表御殿の壁に描かれた障壁画しょうへきが光雲寺こううんじ縁起絵えんぎえは売り払われ、お抱え絵師の春夏秋冬図に替えられております。悪くはないのですが、あの深山の絵を見られないのは寂しい気がいたします。


「それは存じております。ただ、寄進するのは『成瀬郷なるせごう』がよろしいかと」


 その瞬間、父の顔色が変わります。少しだけ背筋が伸び、前のめりの姿勢になっています。


「ふむ。成瀬郷なるせごうか……。今、ちまたで評判らしいな」


「御意。どうせ公家などに成瀬郷なるせごうの実情などわかりません。大百足おおむかで退治が失敗した暁には、返してもらうことになっていたと起請文きしょうもんを見せるのです。もらった荘園での失態ですから手放したくなるのは人情。御堂家みどうけに二重に恩をうり、かつ領土も返してもらうという策にございます」


 父上が唇の端を上げて、その言葉を是としているのが分かります。さすが織部おりべ。その知謀は平鹿郡ひらがぐんでも並び立つ者はいないわね。


「荘園を奪われることの多かった公家ですので、寄進きしんすると言えば大いに感謝することでしょう」


織部おりべ、見事だ! では、その使者としてお前が都に上るといい」


「はっ。すぐに出立いたします」


 急ぎ席を立とうとする織部おりべに、父上はもう一つお尋ねになります。


織部おりべ二井田にいだの方はどうなった?」


「ご心配なく。上首尾にございます」


 互いにニヤリとしながら、今度こそ織部おりべは座敷から出ようとしました。

 それを引き留めて、私は気になっていたことを尋ねます。


織部おりべ。以前、話していた件は?」


「もちろん抜かりなく。今日にでも使者を出すことになっております」


 私たちは顔を見合わせて、ふふっと互いに含み笑いをいたします。


「なんだ、なんだ? 二人で悪巧わるだくみか?」


 久々に父上が笑顔を見せてくださいます。少しはよいお話を聞かせてあげないといけないですわね。


「そんな悪巧わるだくみだなど。私の近侍きんじを増やすための話ですわ」


「ほう近侍きんじを」


成瀬郷なるせごうには腕の立つ美男子がそろっているそうですから、私のもとへ来る幸運を与えようと思っているのです」


 母上はおうぎで口元を隠しながら喜び、その横で父上も上機嫌でいらっしゃいます。


「最近は一揆いっきによる兵の疲弊ひへいが激しい。兵を率いることのできる武将がくるのは大歓迎だ」


永子はるこ、父上によい孝行ができますね」


「ええ、母上にも孝行になりそうですわ」


「まあ、永子はるこったら」


 久々に表御殿に三人の笑い声が響きます。周囲の侍女じじょたちもそでで口元を隠して笑っております。


「では、永子はるこさま。私は都へ出立しゅったつするため、首尾は坂井さかい主膳しゅぜんどのにお伝えするようにしておきますゆえ。吉報をお待ちあれ」


 そう言うと織部おりべは音もなく、表御殿を去りました。


 私は上段の間から衣擦きぬずれの音も立てずに縁側へと歩みを進めます。

 庭のカエデの向こうには松林まつばやしが広がり、その形の良い姿をしみじみと眺めます。やはり、美しいものの側には美しいものが似合いますわねえ。


小瑠璃こるり。せいぜい無様に嘆くことね)


 しばらく景色を眺めながら、晴れ晴れとした気持ちになったのでございます。




 §




 和やかな家族の団らんから七日が過ぎました。今日は成瀬郷なるせごうから使者が戻ってくる日です。きっと上首尾ですわ。


 護衛の坂井さかいから奥御殿へのお渡りを要請ようせいされ、私と母上が上段の間へと急ぎます。


 そこには平伏した使者と坂井さかいが座っているのでした。


坂井さかい! 吉報きっぽうでしょうね?」


 上段の間の畳に座るのももどかしく、私は尋ねます。 すると坂井さかいは、いつものように無表情なまま、使者に報告するよう命じたのです。


 使者は顔を上げると、声を張り上げました。


「ご尊顔そんがんを拝し、恐悦至極きょうえつしごくにございます。私、使者を務めました奥山おくやま織部おりべの部下の……」


 もう、私は貴方あなたの名前なんかどうでもいいのよ。早く結果を伝えてちょうだい。


 その気配を察したのか、使者は姿勢を正して報告に入ります。


「まずは、一本ダタラを倒した小野おの幸長ゆきながどのに声を掛けました。平鹿郡ひらがぐん随一ずいいちの美女である永子はるこさまから、近侍きんじにとわれているが如何いかん、と」


「それで?」


「けんもほろろに断られました。美女なら間に合ってる、と」


 それほど千徳家せんとくけには美女がそろっているというの? いえ、それはないわ。きっと幸長ゆきながという男は、力自慢のおつむが弱い武者なのね。


「まあ、いいわ。では、小笠原兄弟はどうなの?」


「はっ。兄の顕信あきのぶさまは、温和で武士とは思えないほどの物腰ものごしでした。笑顔のまま、恐れ多い話なのでお断りさせていただく、と」


 なるほど、礼儀をわきまえた男なのね。それこそ私に相応ふさわしいというのに。惜しいことをしましたわ。


「弟の顕家あきいえさまには、興味がないと一言で断られました」


 まあ、やはり田舎者はしょうがないものね。このような良い話を断るなんて。


 えっ? 


「ということは、私の近侍きんじになりたい者は?」


「誰もおりませんでした」


 これは由々ゆゆしいことですわ。そんなことはありえないのですから、きっとこの使者が無能だったのね……。


「下がりなさい! この無能者が!」


 坂井さかいが使者の襟首えりくびを掴み、奥御殿から放り出しました。


坂井さかい!」


「はっ!」


「再度、成瀬郷なるせごうに使者を出しなさい! 今度は弁の立つ者を派遣するのです。近侍きんじになれば所領しょりょう(土地)五たん(一年に五石の収穫ができる広さ)を約束するわ」


 坂井さかいは早々に私の前から消え、すぐに戻って参りました。早速、弁の立つ者を派遣したとのことです。さあ、今度は大丈夫でしょう。私は近くに置いている手鏡を持ちます。ああ、この美しさは自分で見ても溜息ためいきが出ますわ。私が直々に出かけても……。でも、確か以前の訪問で見知っているでしょうに……。


 しばらく、胸に暗雲が広がったことを苦々しく思いましたが、今度の使者がきっと誰かを連れてくるだろうと楽しみに待つことにいたしました。


 


 §




 さらに七日が過ぎました。今日は朝から雨が降り、肌寒さが広がって参りました。奥御殿のふすまも冷気を防ぐために、全て閉じるようになっております。私は、このように暗くなってしまうのが何よりも嫌いなのです。せめて、素敵な絵を飾りたいものですわ。


 護衛の坂井さかいから声がかかるやいなや、奥御殿へ急ぎます。五たん所領しょりょうで断るはずがありませんもの。


 平伏した使者は私と母が座るやいなや、成果を話し始めます。


「姫様の美しさと所領しょりょうの件を強調してお伝えしました。みなさま、驚いておりました」


 そうでしょう。ようやく、この幸運に気付いたという訳ね。


「結果、全員……」


 ほほ、三人全員を伴って戻ってきたという訳ね。なかなか弁が立ちますわね。いいえ、そうではなく、前の使者が無能というわけですわね。


「全員、お連れすることはかないませんでした」


 ? よく聞こえませんでしたわ。もう一度。


「全員に体よく断られましてございます」


「さ、坂井さかい!」


 私は肩をふるわせながら、扇を握りしめてしまいました。扇からミリッという音が聞こえてきます。


「私に仕えられる幸運をうまく伝えられなかった使者は罪深いですわ。清藤家せいとうけには相応ふさわしくありません。解雇かいこなさい!」


 使者は坂井さかいに肩を押さえられ、無理矢理、平伏させられています。


「お待ちください。あまりにも無体むたいな話ではありませんか!」


 何が無体むたいですか。自分の無能を恥じもせず。


 奥御殿から引きずり出される使者は、


「このような姫に誰が仕えたいものか。小瑠璃こるりさまの方がよほど美しく、お優しいわ」


 と、吐き捨てるように話したのです。ははん、分かりましたわ。


坂井さかい! 使者に不穏ふおん、これあり! すぐに投獄とうごくなさい!」


「はっ!」


 騒ぐ使者を、坂井さかいは無理矢理、連れ出しました。


 何と恐ろしいこと! まだ、清藤家せいとうけ謀反むほんの種が残っているのではありませんか?


 私は足音も荒く、すそひるがして、自分の部屋へと戻ったのでした。

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