第二十一話 商人 信三郎がもどってきた

九郎くろう小瑠璃こるり、帰ってきたでえ」


 日が沈みそうになっているさるこく。大きな荷物を背負った幼馴染おさななじみの商人、信三郎しんざぶろうが、手を振りながら砦の門に入って来ます。すぐに戻ってくるような話をして、帰ってきたのは七月じゃない。どうせ、女の子たちと遊んでたんでしょ。


 清藤家せいとうけ御用聞ごようききの『大藤屋おおふじや』とはいえ、次男の信三郎しんざぶろうには多くの財産を分けるとは思えないのに、見れば五人の部下を引き連れています。しかも、その五人が馬を一頭ずつ引いているではありませんか! 五頭の馬には背中に多くの荷物が積まれています。


 馬好きの九郎はそばによって、れと、その顔や体つきを眺めています。


信三しんざ。何だ、この馬は?」


「何て、九郎に売ろうと思ってうてきたんや。ええ、馬やろ」


 バシバシと馬の背中を叩きます。茶色の毛並みにツヤもあって、とても立派な馬に見えます。


小瑠璃こるり、どうや。立派な馬やろ。こんな馬を仕入れられんのは、平鹿郡ひらがぐん広しといえども、わいくらいやで。なおしたか?」


「そもそも、れてないし」


 ごまかすように大笑いをしながら、信三しんざは五人の部下に荷物を下ろすよう命令しています。そして、私たちに大事な話があると大広間に誘ったのです。


 大広間には戸波砦となみとりでの中心人物五人(成瀬郷なるせごうを治める千徳せんとく九郎信賢のぶかた、九郎の家臣である小笠原兄弟(顕信あきのぶ顕家あきいえ)、瑞光寺ずいこうじ住職じゅうしょく快雲和尚かいうんおしょうさま、私小瑠璃こるり)と信三郎しんざぶろうが円をつくるように座っています。


「で、話とは何だ? 信三しんざ


 九郎が水を向けると、信三郎しんざぶろうは真剣な顔つきになります。


「わかっとるやろ、九郎。ジブンに言われてたものは、だいたいぉてきた。そやけどな、そのお金は払えるのか?」


「……実は、ない」


 信三郎しんざぶろうはその答えを予想していたようです。でも、冷酷れいこくな声で断言するのです。


「ほな、ぉてきたものは渡すわけにはいかんな、九郎。友情は友情、金は別や」


 すっくとその場に立った信三郎しんざぶろうは、九郎の顔の前に三本の指を突き出します。


「三日や。三日たって、ワイに納得できる理由があれへんときは、ぉてきたものを、全部、売りはろてまうで」


 そう言うと、わいは寝ると宣言して瑞光寺ずいこうじ境内けいだいへと向かっていったのです。


 信三郎しんざぶろう……。あいつはやると言ったら、必ずやるわ。昔からそうだったものね。私は心配になって九郎をじっと見つめます。


「ねえ、九郎。信三郎しんざぶろうに何を頼んだの?」


「多くは食べ物だね。麦、あわひえなんかを買える分、頼んでおいた。それと、畑や工事で使うくわすき、あとはお金だね」


 ん? お金なんてどうして必要なの。


「うん。成瀬郷なるせごうにはお金を持っている人が少ないから、物々交換が多いんだ。それじゃあ、毎日暮らしていくだけで大変だ」


 でも、物々交換だっていいんじゃない?

 私が首をひねっているのを見て、顕家あきいえがため息をつきました。


小瑠璃こるりさまに分かるように説明すると、お金は貯めておけるのが一番の利点です。大根だいこんをお金みたいに使うのは一週間が限度ってことです。腐るか、食べるかしてしまうと、もう何も買えなりますよね」


 ほうほう。少し分かってきたかも。


 私は身を乗り出して、顕家あきいえを凝視します。他の人たちも楽しそうに、私たちの問答もんどうに聞き入っています。


小瑠璃こるりさまが大根を十本持っていたとします。腐る前の物々交換で、ニンジン三本、ごぼう二本と交換しました。でも、十日後に小瑠璃こるりさまの手元には何も残りません」


 野菜はお腹の中ね。


小瑠璃こるりさまが大根を十本を二十文で売ったとします。小瑠璃こるりさまの手元には二十文が残り、ニンジンなら八本、里芋さといもなら三こと交換できるんです」


 そっか。お金って凄いね。さすが顕家あきいえはよく考えてるね


小瑠璃こるりさまは考えなさすぎ……」


「ん? 何か言った?」


 顕家あきいえは知らん顔を決め込んでいます。

 九郎も苦笑いですが、顕信あきのぶはうれしそうに顕家あきいえの説明を聞いています。この兄弟、実はすごく仲がいいのよね。


「でも、九郎。そのお金はどうやって手に入れるの?」


 お金が凄いのは分かったけど、成瀬郷なるせごうにはあんまりお金がないんでしょ? 九郎は米や食べ物を売れば、お金を手に入れられると説明します。


「倉にはお米が二こく(300kg)、積んであるから、それを売れば全部で2貫(2000文)かな」


「他にはないの?」


 誰も何も発言しないところをみると、ないんだね……。


「金がないときは、米を売っていたからのう」


 快雲和尚かいうんおしょうさまは、つるりと頭をさわって苦笑いです。行灯あんどんに火が入れられるまで話し合ったのですが、いい意見もでず、九郎が閉会を宣言します。


 明日、たつこく(朝9時)に、再度話し合うことになりました。


 §


 ご飯を食べ、自分の部屋に戻った私は、天袋てんぶくろ(天井の近くに設けられた戸棚)を見上げます。


(母様からもらった袋、今開くべきよね)

 

 早速、奥にしまっていた一つの袋を取り出して、部屋の真ん中にそっと置き、目をつぶって考えるのです。

 千徳家せんとくけの砦、何度も訪れた千代ちよちゃんの家、その周辺の家々。いろんな人に出会うことができた。


 ただ、成瀬郷なるせごうは貧しい……。捨てられた子どもたちもいっぱい見た……。希望をもてずに自堕落じだらくに生きていく若者も見た……。


 私にできることって何かしら。どうせ死ぬんだから、自分がやりたいことをするべきよね。


 生けにえとして出された私は、清藤家せいとうけからは何も持たされなかったのですが、この三つのにしきの袋だけは肌身離さずに持っていたのです。亡くなる少し前に、突然、渡されたものですから。


小瑠璃こるり。いっぺんに三つ開けてはなりませんよ。一つずつ開けるのです。きっと、その時に相応ふさわしいものが出てきますよ」


 不思議なことを話す母様だったなあ。思い出すと自然に涙がこぼれてしまいます。いけない、いけない。


 涙をぬぐうと、私は袋に手を伸ばし、その中をのぞいてみます。ん? 


 何か石が入っているらしく、暗い部屋の中では見えません。手元に行灯あんどんを引き寄せて、畳にザラザラと中身をぶちまけます。


 行灯あんどんの光を浴びて光っていたもの……。それは砂金さきんだったのです。


 慌てて全てを拾い集めました。胸に喜びが浮かんできます。


(これで、みんなの食べ物や服、かたなよろいが買える! 九郎に馬も買えるわ。砦に人を雇えるし、お金だってたくさん手に入るかも。 信三郎しんざぶろう、見てなさいよ)


 こうしてはいられない。


 私はいぬこく(夜9時)を過ぎたというのに、九郎の部屋へと猛ダッシュです。灯りがついているから、まだ起きてるわね。


 もどかしくて、いきなりバンと障子を開けてしまいました。


「九郎! いいものを見つけたの! 一緒に見てくれる?」


「のあああ!」


「く、くせ者?」


 そこには驚愕きょうがくの顔で私を見つめる九郎と、刀に手を掛けた家来の顕信あきのぶが地図を前に座っていたのです。


 くせ者ではないと安心した顕信あきのぶは、刀をさやに収めてため息をつきます。


小瑠璃こるりさま。入る前に障子を叩いてくださいと、何度もお願いしましたよね。寿命じゅみょうが縮みましたよ」


 九郎は、怒りながらもあきれる顕信あきのぶをな必死になだめています。


「そんなこと言っていいのかな~、小笠原おがさわら顕信あきのぶ。これ見たら、あんた、腰を抜かしちゃうよ」


 そう言うと、二人の近くにとすんと座り、二人が見ていた地図の上にさらさらと砂金をまいたのです。


「ふふん、どうよ」


「ま、まさか」


 あんじょう顕信あきのぶは動揺しています。


砂金さきんよ~。私、母様からもらったの。こっそり持ってきたんだよねえ」


 ニヤニヤしながら二人を眺めます。九郎、喜んでくれるかな。ちらっと視線を九郎に向けます。


 でも、九郎は難しい顔をして黙ったままです。逆に顕信あきのぶは平伏せんばかりに、頭を下げています。


小瑠璃こるりさま。こ、この砂金は」


「そうよう。九郎にあげるのよ。いっつもお世話になってるし」


 でも、九郎は難しい顔のままなのです。


「く、九郎?」


 私は不安になって、思わず姿勢を正しました。やっぱり、夜の訪問は失礼だったかしら。


 しばらく沈黙が部屋の中を支配します。


 やがて沈黙を破るように、九郎が口を開きます。


瑠璃るりさん、これはもらえないよ」


「えっ、どうして?」


「これはお母さまの形見かたみだろう。じゃあ、瑠璃るりさんの肌の薬を買ったり、滋養じようのあるものを食べればいいと思う。服だって、野良着のらぎしか着てないしさ」


 いやいやいや。それじゃ意味ないよ。肌は、かなりよくなってきたから気にしないで。


 相変わらず真っ直ぐだし、私を気遣きづかってくれて嬉しいんだけど、今は信三郎しんざぶろうを説得するターンだよ! 


「九郎! 私ね、もう成瀬郷なるせごうの一員なの! みんな優しいんだもん」


 生けにえが何言ってんだと思うけど、それが本心。


「それに九郎。あんたにお礼、してないじゃない。自分を預かってくれた恩人に何もしてあげないなら、母さまがけて出てくるわよ。だから、このお金で必要なものを買ってちょうだい」


 私を優しい目で見ていた九郎は深々と頭を下げるのです。


「分かった……。ありがたくいただくよ」


「い、いいのよ。頭なんか下げないで」


 逆にこっちが下げなくちゃいけないくらいなんだもの。


 とりあえず夜も遅いので、きんの使い道は明日の会議で決めることになりました。


 ふう、満足! 


 そうして部屋に戻ろうとすると、九郎が少し話があるからと私を引き留めるのです。


 私が九郎の前に座ると、九郎が私の方に手を伸ばしてきます。もしかして、生意気言ったから叩かれる?


 私が首をすくめた瞬間、九郎は私の頭をでていました。ええ!?


瑠璃るりさん。相変わらず誰かのために一生懸命になる癖、変わらないね」


「そ、そう?」


 自分では分からないな。でも、今、私ができることは何でもしておきたいの。でも、頭を撫でられるのって気持ちいいわねえ。って、あ! あそこに置いてあるのは……そうだ! 


 私はその『置いてあるもの』を取りに行って戻ると、自分の膝をポンポンと叩きます。


「九郎! ほらここに頭をのっけて。耳掃除してあげる」


「いいよ。照れくさい」


 確かに……。でもね、私がしてあげられることなんてこれくらいだしね。


「昔は気持ちいいって言ってくれたのになあ。ほら、遠慮しない!」


「ま、まあ。そこまで言うなら」


 九郎はそっと私の膝に頭を載せます。この前も思ったけど、何だか懐かしいかも。耳かきの棒をそっと耳の穴に入れようとするんだけど、見えないわねえ。


 私は九郎に行灯あんどんを引き寄せるようにお願いします。ああ、これで少しは明るいわ。


「九郎、どう? 気持ちいいでしょ」


 クリクリと棒を動かしながら、私は九郎に尋ねます。


「い、いや。何だか、怖いんだけど……って痛!」


「あら、ごめんね。でも、少しくらい我慢する! こんな美人に膝枕ひざまくらなんて、滅多にしてもらえないよ」


「自分で言う?」


 九郎は腕を胸の前で組み、警戒の姿勢を崩しません。


「気持ちよくなるためには、肩の力が抜けるような安心が必要だと思うんだけど……。こんな、緊張する耳かきは初めてだよ」


 そう言いながら九郎は目を瞑ります。私も少しずつなれてきて、優しく掃除を続けます。


瑠璃るりさん、顔、近いよ!」


 あらあら。九郎、顔が赤いわね。でも、動いたせいで、ほらあ!


「痛! 瑠璃るりさん! 気をつけて!」


「何よ、千徳家せんとくけの三男なら、少しくらい我慢しなさい!」


「えっ? 耳掃除って、そんなに我慢が必要な行為だった?」


 二人で顔を見合わせて、思わずふふっと笑ってしまいます。まるで、あの城下町で一緒に走り回っていた頃みたい。


 結局、その日は昔の気持ちを思い出して、ずっと笑っていた私たちなのでした。

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