第十九話 酔いどれ幸長、友だちになる

千代ちよちゃ~ん。来たよう」


 千代ちよちゃんの家に近づくと、シュウ、トントンと機織はたおりの音が響いてきます。こんな朝からはたってるんだねえ。

 聞こえないみたいだから、入口からもう一度声をかけました。


「おお! 小瑠璃こるり、いらっしゃい! あかねもよくきたな」


 腰機こしきから離れて、千代ちよちゃんがこっちに声を掛けます。千代ちよちゃん、いっつも笑ってて素敵なお姉さんだよ。あかねちゃんの頭をわしわしとでるのも、千代ちよちゃんだけだよ。あかねちゃん、いつも嬉しそうにしてるよ。


「ん、小瑠璃こるり。その後ろの人は?」


 そうか。顕家あきいえには初めて会うんだもんね。ふふ、顕家あきいえよ。兄よりは知名度がないんだね。しょんぼりしてたら、この小瑠璃こるりさまが《なぐさ》慰めてあげようではないか。


「これは失礼しました。私は小笠原顕信おがさわらあきのぶの弟で、次郎顕家じろうあきいえと申します。千代ちよどの、兄同様、よしなに願います」


 メチャクチャ礼儀れいぎ正しいし、所作しょさも美しい。千代ちよちゃん、また、顔真っ赤だよ。


 ふ、ふうん。やればできるじゃない。なんで私にはできないかな。


 挨拶を済ませると外で見張りをするとか言って、顕家あきいえは外に出て行きました。その瞬間、千代ちよちゃんは私に肉薄にくはくしてきます。


小瑠璃こるり! 顕家あきいえさんも格好いいね。低い声が渋い~。顕信あきのぶさまと同じくらい素敵!」


「そう?」


 私には突っかかってくるんだけどね。ま、確かに格好いいかも。

 そこに、すぐ顕家あきいえが入ってきます。


小瑠璃こるりさま。男の人が近づいています。大丈夫とは思いますが、一応ご注意を」


 顕家あきいえ、なかなか腕が立つわね。さりげなく前傾姿勢ぜんけいしせいになってるもんねえ。


菊三きくぞうさん、いる~?」


「おう、幸長ゆきなが……って、お前、また飲んでるのか?」


「ああ、酒が売れないから、くさる前に全部飲んじゃったよ」


「ったく。しょうがねえな」


 幸長ゆきながと言われたその男は同い年くらいかしら。酒で赤くなった目はいただけないけど、なかなかに目元がすずやかな顔立ちねえ。九郎や顕信あきのぶ顕家あきいえには及ばないにしても、女の子に騒がれそうな男みたいね。


 しばらくだまって幸長ゆきながを見つめていると、私に興味をもったみたいです。


菊三きくぞうさん、その後ろにいる男女おとこおんなは誰だい?」


 は? 私って最近、男運おとこうんが悪いのかしら。私は幸長ゆきながめ寄っていました。


「なあにが男女よ。こんな絶世ぜっせいの美女(になる予定の)に何言ってんの? あんた目が悪いの?」


「いやいや。目がいいから、ありのままを言ってるだけさ。ギザギザの前髪、みやこ流行はやりか?」


 すると、それまで黙って見ていた顕家あきいえ幸長ゆきながに向かって話しかけるのです。


幸長ゆきながと言ったか? 男女おとこおんなは言いみょうだが、女性に対して失礼だな」


 失礼はお前だっつうの!


 これって私のために怒ってないよね。私を怒らせるために言ってるよね。


「これは、失礼しました。御武家おぶけさま」


 のどが渇いたのか、幸長ゆきなが菊三きくぞうさんに酒を一杯、所望しょもうします。それを、ぐいっと飲み干すのを見て、菊三きくぞうさんが優しく話すのです。


幸長ゆきなが、お前はいい主君しゅくんに仕えたいと常々話してるだろう。こちらは千徳家せんとくけ小瑠璃こるりさまだ。仕官しかん口添くちぞえを頼もうと思ってな」


 幸長ゆきながは私にじろりと一瞥いちべつをくれます。しかも値踏みするようにジロジロ、失礼よ!


「ふうん。こいつが落ち目の千徳家せんとくけつらなるものねえ。世も末だな」


 けぷうと酒臭さけくさい息を私に吐きかけてきます。

 

「待て! それは聞きてならん。千徳家せんとくけの何が落ち目か?」


 冷静な声だけど、顕家あきいえ、怒ってる。


「落ち目だろう。成瀬なるせ里熊さとぐまが今年の冬にこんな田舎へとばされて、せっかくの武勇が台無しだ。しかも、厄介やっかい払いの女まで押しつけられて。九郎信賢くろうのぶかたさまってのは……」


 全てを言い終わる前に、顕家あきいえがその言葉をさえぎります。


「九郎さまを侮辱ぶじょくすることは許さんぞ! 抜け! 叩き切ってくれる!」


 ありゃあ、顕家あきいえも熱いものをもってるのね。九郎の幼馴染おさななじみとして、その言葉は本当に嬉しい。でも、顕家あきいえ。貴方は軍師ぐんしを目指してるんじゃなかった?


顕家おきいえ物騒ぶっそうなこと言わないで。孫子そんしの言葉を忘れたの? 『戦わずして人の兵をくっするは、善の善なる者なり』(意味 戦わないで勝てば一番いいんじゃね?)よ」


「それを言うなら、史記しきおのれを知る者の為に死し、女はおのれよろこぶ者のためにかたちづくる(意味 武士は、お前すごいねと認めてくれる人のために死ぬほど働くし、女は綺麗だねと言ってくれる人のために可愛くなっちゃうの)』ではないですか?」


 ふう、どうやら落ち着いたみたい。顕家あきいえは、何か得体えたいの知れないものでも見たような顔で私を見つめて、がっかりしてる。


「まさか孫子そんしを出されるとは……。この顕家あきいえ、一生の不覚」


 ええ、そこまで落ち込む? でも、目の前の人は敵じゃないよ。


拙者せっしゃ短慮たんりょでした。幸長ゆきながどの、失礼をお許し願いたい」


 幸長ゆきながは私たちを交互に見て、態度を少し改めます。


「いえ、こちらこそ。無礼な物言いでした」


 菊三きくぞうさんが雰囲気ふんいきを変えるように、みんなを板敷きの部屋へとさそいます。男三人は丸太の腰掛けを土間どまに運んで、入口の近くで座っています。千代ちよちゃん、あかねちゃん、私は正座です。千代ちよちゃんは麦湯をつくるといって、隣の部屋へ行ってます。


「この幸長ゆきながは、わしのおいでなあ。両親は流行病はやりやまいでこいつが五才の時に亡くなっとる」


 幸長ゆきなが神妙しんみょうな様子で座っています。


「こいつの父親は千徳家せんとくけに仕えてたんだが、領地はわずかしかもらえずに生活は厳しかった。とにかく、出世したいが父親の口癖くちぐせじゃったのゥ」


 千代ちゃんがみんなの分の麦湯を持ってきます。あかねちゃんが気付かれないように毒味をしてから、私に湯飲みを渡してくれます。


「それからこいつは仕官先しかんさきを求めて、弓や剣の腕を磨いとった。それで、三年前に清藤家せいとうけに士官できたというのに……」


 すごく気になる。もしかして問題を起こしたとか……。


で辞めてきたんじゃあ!!! 全てが気にくわないとか言って」


 さ、さすがに三日は早いわね。


 横を見ると顕家あきいえあきれかえってるじゃん。あかねちゃんもあんまり好意的じゃない目つきだし。


「それからは、ずっとわしの元で酒を売って暮らしとる。土地もあるにはあるが、三けん四方(5m四方)の畑しかない。あわしか植えとらん」


「もういいだろ。俺は家に戻るよ。千徳家せんとくけには興味もないしな」


 そう言うと、菊三きくぞうさんからとっくりに入れた酒をもらい、幸長ゆきながはふらふらとした足取りで出て行きました。私は……。


顕家あきいえ。私、追いかける! 菊三きくぞうさんだって、千徳家せんとくけに仕官させようとしてたんだし」


「でも、小瑠璃こるりさま。三日で辞めるような奴は役に立たないと思いますよ」


 顕家あきいえは興味なさそうに切り捨てるけど、清藤家せいとうけへの士官はそんなに簡単じゃないんだよ。


「あかねちゃん。私についてきて。おじさん、あの人の家ってどこ?」


「川沿いに四ちょう(400m)ほど下ったところだ。近くに大きなクスノキがあるから分かりやすいぞ」


「分かった!」


 私とあかねちゃんは、彼を追いかけるように走っていきます。顕家あきいえもやれやれとばかりに後をついてきます。


 川沿いの小さな道からは、升潟ますがた川の水面みなもがよく見えます。キラキラと眩しく、目を細めてしまうほどでした。


 やがて、大きなクスノキの近くに、っ立て小屋があるのが目に入ります。その入口で、先ほどの男がつぼを持ったまま、こちらを見ているのでした。


「お前、何しに来たんだよ」


 本当。何をしに来たんだろう? 


「ね、何で清藤家せいとうけを辞めてきたの?」


「お前……。俺を仕官させるために来たんじゃねえのか?」


 ゆっくりと首を振った私を見て、近くの丸太に座るように進めてくれたんです。つぼを地面に置いた幸長ゆきながは、汗を手ぬぐいでいています。


「簡単な話さ。清藤家せいとうけは俺みたいな奴を望んじゃいなかったってことだな」


「何で?」


「俺の初めての仕事は年貢ねんぐの取り立てだったよ。支払えない家からは子どもや娘を連れてこいって言われて、嫌だって言ったらろうへ入れられたんだ。散々なぐられて、牢から出たのは二日後だった。で、辞めてきたって訳さ」


 よくある話でした。母様が死んでからというもの、清藤家せいとうけはよく人さらいみたいな真似まねをしてた。私も見たことがある。


「俺は武士にあこがれてた。誰かを守るために自分の力を使いたかったんだ。嫌がる女を無理矢理むりやり連れ出すためじゃない!」


 そっか。君はまともな心の持ち主なんだね。


幸長ゆきなが……だっけ? 酒ばっかり飲んでるって聞いたけど、何だか安心した。飲まなきゃ、やっていられなかったんだねえ」


 幸長ゆきながは私からふっと目をそらします。ふうん、酒浸さけびたりは後ろめたいんだ。私は立ち上がって、バンバンと幸長ゆきながの肩を叩きます。


「なあんだ、そっか! ね、幸長ゆきなが。あんたの本名を教えてくれる?」


「俺の名は、小野おの左近さこん幸長ゆきなが。……お前、力強いな」


「へえ、かっこいいじゃん」


「そんなことねえよ」


 頭をかいて照れてるよ、幸長ゆきなが。ふふん、かわいいところあるわねえ。


「私はね。小瑠璃こるりって言うの。よろしくね」


小瑠璃こるり? さっきも見て思ったんだけど……。まさか、清藤家せいとうけ長女の小瑠璃さま?」


「しい! それは秘密にしてるの!!」


 幸長ゆきながは思わず口をつぐみます。そっか、三年前に仕官しかんしてたなら、どっかで私の顔を見ていたのかな。


 水面みなもながめながら二人とも黙ってしまいます。だって、どっちも清藤家せいとうけつらい思いをしてるからね。


「ねえ、幸長ゆきなが。私と友だちにならない?」


「友だち?」


「うん。私、友だちが少ないからさ。なってくれたらうれしいな」


「よ、喜んで」


 このとき恥ずかしそうに笑った酒浸さけびたりの少年が、やがて郡内ぐんないに名をとどろかす男になるのですが、この場にいた誰もがそんなことは予想もできなかったのでした。

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