第3話「野山を駆ける“族”の始まり」

朝の那古野城。


 城下に霧が立ち込める時間、オレは障子の陰からじっと門の様子を見ていた。


 


 この頃のオレの一番の課題は、“子供の身体”での自由の確保だった。


 歴史オタクのオレは知っている。この時代の“空気”は不穏だ。盗賊もいるし、反乱の火種はそこらじゅうに転がってる。


 外の匂いを知らずに戦ができるかよ。


 


 だから、今日は決めていた。


 城を抜け出して、外の空気を吸う。


 


 


 ◆


 


 「おめぇら、来い」


 


 朝餉の後、人払いをした部屋で、オレはあいつら六人を呼んだ。


 


 小姓:市川小太郎、望月虎之介、葛西新兵衛。


 侍女:お葉、お菊、お鈴。


 


 全員、きょとんとした顔でオレを見ていた。


 


 「おめぇらは、オレの族だって言ったよな?」


 


 虎之介が真っ先に反応する。


 「言ってたなぁ、昨日……族っての、まだよくわかんねぇけど……」


 


 「わかんなくていい。オレについてくりゃわかる」


 


 お鈴が不安そうにお葉の袖を掴む。


 


 「どこへ……行くのですか、吉法師様……?」


 


 オレは笑った。


 


 「外だ。外に行く。城の中ばっかじゃ、息が詰まるだろ?」


 


 


 小太郎が焦ったように手を振った。


 「で、ですが吉法師様! 城外は危険です! 平手様もお許しにならぬかと——」


 


 「うるせぇ!」


 


 声が響いた。


 自分でも驚くくらい、張った声だった。


 


 「でれすけが。オレは外に行くって決めたんだ。ついてこられねぇ奴は、置いてくぞ」


 


 オレが睨むと、全員が息を呑む。


 


 葛西新兵衛がコクリと頷いた。


 「……行きます」


 


 短い言葉が、空気を動かした。


 


 お菊が舌打ちしてそっぽを向いた。


 「べ、別にアンタのためじゃないけど……暇だから行くわよ!」


 


 お葉は困ったように微笑んで、お鈴を抱き寄せる。


 「大丈夫、大丈夫……みんなで行けば怖くないよ」


 


 虎之介がニヤリと笑った。


 「面白れぇじゃん! 城抜け出して、ちょっと冒険ってやつだな!」


 


 最後に小太郎が顔を上げ、しぶしぶ頷いた。


 「……仕方ありません。お守りいたします」


 


 これで決まりだ。


 


 


 ◆


 


 那古野城の裏手に、小さな抜け道があるのを虎之介が知っていた。


 「昔な、ここから城下に行って遊んでたんだ」


 


 「ナイスだ、虎之介」


 


 門番が眠気で欠伸している隙を突き、七人で抜け出した。


 


 外の空気が肌を打つ。


 草の匂い。


 朝露の冷たさ。


 土の匂い。


 


 オレの心臓がドクンと跳ねた。


 「これだ……これだよ」


 


 


 ◆


 


 城の裏山は、まだ朝霧が漂っていた。


 木立の間を抜ける風が涼しい。


 


 「わぁ……」


 


 お鈴が小さく声を上げる。


 


 お菊が葉っぱを拾って頭に乗せ、ふざける。


 「吉法師様! これ、似合うでしょ!?」


 


 虎之介が走り回りながら笑う。


 「オレが一番速ぇぞー!」


 


 小太郎は何かあればすぐ護る体勢を取ろうと、周囲を警戒していた。


 お葉は落ちている薬草を拾い、袋に詰めていた。


 


 新兵衛は黙って、オレの後ろをついてくる。


 


 オレは立ち止まり、振り返った。


 


 「おめぇら、聞け」


 


 全員が顔を上げる。


 


 「これが、オレたちの“最初の集会”だ」


 


 「集会……?」


 


 「そうだ。オレたちは族だ。家族だ。仲間だ。ここで何があっても、裏切るな。ビビるな。筋を通せ」


 


 「はいっ!」


 


 「よし!」


 


 オレは笑った。


 


 「じゃあ、走れ! ついてこれねぇ奴は置いてくぞ!」


 


 「「えええええ!?」」


 


 でも、走り出したのはオレだった。


 


 


 ◆


 


 朝の山を駆ける。


 足元の草が濡れている。


 小枝がバキバキ折れる音がする。


 息が上がる。でも、心臓は熱い。


 


 「ごじゃっぺ共がァァァ!!」


 


 叫んだ声が、森に響く。


 


 虎之介が笑いながら追いかけてくる。


 「待てよ、吉法師様ァァァ!!」


 


 お菊が悲鳴を上げながら走る。


 「ちょっと! なんでこんなに走るのよォォォ!!」


 


 お葉が笑いながらついてくる。


 お鈴は泣きそうな顔で、お葉の手を握りながら頑張って走る。


 


 新兵衛は無言で黙々と走り、小太郎は怒鳴りながら追いかけてくる。


 「吉法師様ァァァ! 危険ですからァァァ!!」


 


 でも、楽しかった。


 


 


 ◆


 


 小高い丘に辿り着いた。


 城下が見渡せる。


 空は青く、雲が流れている。


 


 「……見ろよ」


 


 オレが呟くと、皆が肩で息をしながらオレを見た。


 


 「これが、オレたちが守る景色だ」


 


 誰も何も言わなかった。


 でも、その場の空気でわかった。


 皆、オレの言葉を聞いてくれていた。


 


 オレは笑って、言った。


 


 「これからも、こうして走るぞ。ついてこいよ、このくらつけっと共が!」


 


 全員が笑った。


 


 


 こうしてオレたちは、“族”として最初の走りを終えた。


 城を抜け出して見た景色は、オレたちだけの宝物になった。

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