第8話 受験期の焦燥と夢の甘美な現実

一月下旬の朝、張り詰めた空気が肌を刺す。大学入学共通テスト当日。私は、いつもより早く家を出て、試験会場となる大学の講義室へと向かっていた。門をくぐると、既に多くの受験生が固い表情で会場へと吸い込まれていく。彼らの纏う緊張感が、私の胸を締め付けた。


指定された教室に入ると、鉛筆の音さえ響きそうな静けさの中に、不規則な咳払いや参考書をめくる微かな音が混じり合う。空気は張り詰め、誰もがピリピリとした殺気のようなものを放っている。席に着き、配られた問題用紙の束を前にすると、私の心臓は激しく脈打った。手がじんわりと汗ばむ。深呼吸を一つ。そして、試験開始の合図と共に、最初のページをめくった。


一問、また一問と解き進める。順調に思えたが、不意に、思考が硬直する問題にぶつかった。頭の奥が重くなり、焦燥感が募る。時間だけが、無情にも刻々と過ぎていく。周囲からは、早くもシャーペンを置く音や、机に頭を伏せる生徒の姿が見える。極限状態だ。こんな中で、本当に自分の力を出し切れるのだろうか。不安の波が、私の心を襲い始めた。


その時だった。脳裏に、ふわりと、夢の中の葉山くんの笑顔がよぎった。


あの図書室で、彼が「あ、そっか!」と屈託なく笑った顔。カフェで私が告白した時、恥じらいに頬を染めながらも、真っすぐに私を見上げてきた瞳。そして、夜毎夢の中で、私を優しく抱きしめ、甘い吐息を漏らす彼の姿。肌と肌が直接触れ合い、互いの体温が溶け合うような、あの甘美な一体感。それは、単なる夢の記憶ではない。それは、現実の私のモチベーションそのものだった。


「大丈夫だ。お前ならできる」


夢の中の葉山くんの声が、鼓膜ではなく、心の奥底に直接響いた。夢の中の彼が、現実の私に力を与えてくれている。そう思うと、思考の硬直が解け、再びペンを走らせる手が力強くなった。目の前の問題が、ほんの少しだけ、解ける気がした。夢の中の悠斗くんがくれる「精神的な解放感」や「甘く痺れるような感覚」は、現実のプレッシャーを和らげる役割を果たしてくれた。


共通テストが終わり、結果が出るまでの間も、私の心は落ち着かなかった。自己採点の結果に一喜一憂しつつも、すぐに二次試験に向けて気持ちを切り替える。悠斗くんとは、学校の図書室で相変わらず席を並べて勉強を続けた。休憩時間の短い会話の中で、互いに共通テストの手応えを探り合うが、受験の緊張感から、深い話はできなかった。それでも、隣に悠斗くんがいるというだけで、私の心は静かに満たされた。


夜、夢の中の悠斗くんは、相変わらず私を深く、そして優しく癒してくれた。毎朝目覚めるたびに、私の体には夢の痕跡が残っていた。枕は汗でじっとりと湿り、に濡れた痕跡が確かに残っていた。心臓は激しく脈打ち、動悸がしばらく収まらない。そのリアリティは、私の精神状態に深く影響を及ぼしていた。夢の中の彼の優しさ、情熱、深い絆が、現実の悠斗くんへの意識を、もはや友人という枠には収まりきらない、かけがえのないものへと変えていた。夢のリアリティと現実の乖離に戸惑いながらも、私は、いつかこの夢を現実にする日を夢見ていた。


二月に入り、二次試験が始まった。共通テストとは違い、より専門的で、深い思考を要求される問題ばかりだ。試験会場の雰囲気も、共通テストのそれとは比べ物にならないほど張り詰めていた。一つ一つの問題に、全神経を集中させる。時折、ペンを持つ手が震えるのを感じた。


だが、試験が終わった瞬間、それまでの重圧から解放され、大きな安堵感が私を包んだ。同時に、得体の知れない不安感も押し寄せる。やり切った、という達成感と、果たして合格できているのかという漠然とした恐怖が入り混じっていた。


合格発表までの日々は、私にとって、果てしなく長く感じられた。期待と不安が交互に押し寄せ、夜はなかなか寝付けないこともあった。そんな不安な期間も、夢の中の悠斗くんとの関係は、変わらず私を癒し、支え続けた。夢の中の彼は、いつも私の弱さを受け止めてくれ、言葉にならない安堵感を与えてくれた。夢の中で育まれた二人の絆は、私にとって、現実の試練を乗り越えるための、最も確かな支えとなっていた。


そして、ついに合格発表の日が来た。

私は、足早に大学のキャンパスへと向かった。正門をくぐると、既に多くの受験生と保護者らしき人々が、掲示板の前に群がっている。張り詰めた空気と、時折聞こえる歓声や落胆の声が、私の心臓を激しく打ち鳴らした。人混みをかき分け、掲示板に目を凝らす。緊張で手が震える。自分の受験番号を見つけるまでの時間が、永遠のように感じられた。


あった。


私の受験番号が、合格者の欄に、確かに記されていた。その瞬間、全身から力が抜け、安堵の息をついた。涙が、じわりと瞳に滲む。合格だ……!私は、夢じゃない、と何度も心の中で繰り返した。


次に、悠斗くんの受験番号を探す。私の番号のすぐ下にあるはずだ。彼の番号も、見間違いでなければ、確かに合格者の欄にあった。

私は、喜びのあまり、周りも気にせず大きく息を吸い込んだ。そして、ふと、周りを見渡した。人混みの中に、見慣れたがっしりとした背中を見つけた。葉山くんだ。


私は、彼のもとへ駆け寄った。彼も、俺の存在に気づいたのか、振り返った。彼の顔には、安堵と、かすかな疲れが見て取れる。

「葉山くん……!」

「佐倉……!」


互いの顔を見た瞬間、言葉はもう必要なかった。私たちは、互いの合格を称え合うように、自然とハイタッチを交わした。掌が触れ合う。その瞬間、夢の中の彼の温もりが、私の手から全身へと伝わっていくような、不思議な感覚に包まれた。それは、これまでの努力と、夢の中で育まれた絆が、全て報われたことを象徴しているかのようだった。

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