第4話 心の羅針盤:母と友の言葉、そして一つの決意

朝、目覚めると、枕はまた少し湿っていた。昨晩の夢の記憶が鮮明に脳裏に焼き付いている。悠斗くんの温かい掌が肌に直接触れる感触、甘く乱れた吐息、そして心臓の奥底を直接揺さぶるような快感。私は夢の中で、彼と肌を許し合う関係に進んでいた。挿入には至らないものの、服の上から、下着の上から、そして肌に直接愛撫されるその感触は、私にこれまで知らなかった甘美な痺れと精神的なつながりをもたらした。夢の中なら妊娠する心配はないという意識が、私を現実の制約から解放し、もっと深く彼に身を委ねさせたのかもしれない。しかし、目覚めた瞬間に襲いかかる、現実の彼との距離のギャップに、私は息が詰まりそうになった。


「どうして、こんな夢ばかり見るの……?」


私は、枕に顔を埋めて、声にならない問いを繰り返した。なぜ、相手が葉山悠斗くんなのだろう。ただのクラスメイト、席が前後で、図書室で隣に座って勉強するだけの同級生。それなのに、夢の中の彼は、私に現実以上の安らぎと、抗いがたい刺激を与えてくる。これは、本当に私の本心なのだろうか?それとも、単なる私の願望が作り出した幻なのか? 夢と現実の境界線が、日を追うごとに曖昧になっていくような感覚に、私は深い困惑を覚えていた。受験勉強への集中力も、夢の記憶がふとした瞬間に脳裏をかすめるたび、途切れてしまう。このままでは、私は自分自身を見失ってしまう。この混乱を、誰かに話さなければ、もう一人では抱えきれない。


放課後、私は意を決して、友人である木下莉子に声をかけた。莉子は明るく、ざっくばらんな性格で、恋愛経験もそれなりにあると聞いている。頼りになるけれど、時々からかうような一面もある。


「莉子、ちょっと相談したいことがあるんだけど……」

帰り道、学校近くのカフェに莉子と寄った。温かいミルクティーを前に、私は切り出した。具体的な夢の内容は伏せ、ただ「最近、すごくリアルな夢ばかり見て、夢に出てくる男の子と、現実の関係にギャップがありすぎて困ってる」と抽象的に話した。


莉子は私の話を真剣に聞いていたが、途中でぷっと吹き出した。

「えー、何それ!めちゃくちゃリアルな恋愛ドラマじゃん!で、相手は誰よ?」

「いや、それは……」

「まさか、佐倉がそんな夢見るなんてね〜。普段はまじめ一辺倒なのにさ。もしかして、葵、欲求不満が溜まってるんじゃないのー?」

莉子はにやにやと笑いながら、私をからかった。顔が熱くなるのを感じる。恥ずかしさで、目のやり場に困った。


「ば、馬鹿なこと言わないでよ!そんなんじゃない!」

「はいはい、冗談だって。でもさ、真面目な話、それって結構ストレス溜まってる証拠じゃない?受験勉強とか、陸上部引退とかさ。んで、その男の子が、葵にとっての救いになってるってことじゃないの?」

莉子の言葉は、からかい混じりではあったものの、どこか核心を突いているように聞こえた。


「ま、冗談はともかく、いっそ告白でもして、キスでもしてみれば?夢の中の彼がどんな顔するか、現実で試してみればスッキリするかもよ!」

莉子はストレートにそう提案した。私の顔はますます熱くなる。告白?キス?そんな、現実ではありえない行動。でも、莉子の言葉には、確かに私自身の感情を整理するヒントがあるような気がした。


その日の夜、私はリビングで参考書を開いていたが、やはり集中できなかった。心臓のざわめきが収まらない。リビングで夕食の準備をしている母、佐倉恵に、私は思い切って声をかけた。母は優しく、穏やかで、いつも私の体調や心の変化によく気づいてくれる。


「お母さん、ちょっと相談があるんだけど……」

母は手を止め、心配そうに私の方を向いた。莉子に話したよりももう少し深く、最近見る夢のこと、そしてそれが私の心のバランスを崩していることを話した。夢の中の悠斗くんのことは、名前は出さなかったが、「特定の男の子」への強い感情が芽生えていることを伝えた。


母は、私の話を遮ることなく、ただ静かに聞いてくれた。

「葵、最近少し顔色が悪いわね。寝不足かしら?」

母はそっと私の額に触れ、優しい手つきで髪を撫でた。その温もりに、張り詰めていた心の糸が少し緩むのを感じた。

「受験勉強も大変な時期だし、部活も引退して、心のバランスが不安定になっているのかもしれないわね。そういう時って、人は無意識に、何か心の支えや救いを求めてしまうものよ」

母の言葉は、私の心の奥底に染み渡った。まるで、私の深層心理を見透かしているかのようだった。


「その夢の中の存在が、今のあなたにとって必要なものなのかもしれないわね。でもね、夢は夢。現実のあなたは、現実の世界で生きているのよ」

母はそう言って、私を抱きしめた。その温かい腕の中で、私は安堵の息をついた。母は私から離れると、目を合わせて続けた。

「でも、その夢が、葵の心をこんなにも揺さぶっているのなら、もしかしたらそれは、ただの夢だけじゃないのかもしれないわね」

母の瞳は、どこか遠くを見るような、不思議な光を帯びていた。「最終的に、どうするかを決めるのは、葵自身の意思であるべきよ。どんな選択をしても、お母さんはあなたの味方だから」


母親と莉子の言葉が、私の心を巡った。莉子の言葉は、行動を促す現実的な助言だった。母親の言葉は、私の心の奥深くにある感情を見つめ直すきっかけを与えてくれた。夢の中の悠斗くんがくれる甘美な体験と、彼が私に与える深い安堵感。それは、現実の彼がくれる、あの図書室の静かな安心感と、彼の優しさに直接繋がっている。夢の中の悠斗くんの優しさや触れ合いが、現実での悠斗くんへの意識を、やはり強烈に刺激していることを、私は否定できなくなっていた。


このまま夢に振り回されるのは、もう嫌だ。莉子の言う通り、現実で試してみるべきなのかもしれない。例え、彼に迷惑がられても、この曖昧な境界線に終止符を打たなければ。そう強く決意した。私は、悠斗くんに、もう一度会って、話をする必要がある。あのカフェに誘って、全てを打ち明ける覚悟を固めた。

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