第27話 真昼の意思


「もう戻れない……。あなたは、真昼ちゃんはもう戻れないんだよ……!?」


 もはや沙耶と呼称するにはあまりにも悍ましすぎる怪異は、真昼の目の前で妖艶な笑みを浮かべている。


 その怪しい笑みに、真昼の心は恐怖のあまり、一瞬挫けそうになる。


 しかしすぐさま、逃げること以上に、これからも共にありたいと願う、ヨルと朝陽のことを頭の中へ強く、強く思い浮かべる。


「帰る! あたしは絶対! もうお前なんてどっか居なくなれ!」


「……そんなこと、いうんだったらぁ!」


 それまで少女の形をしていた怪異がドス黒い靄に変わり真昼へ迫る。


 空気は冷たく、それでいて湿っぽくて吐き気を催した。

実際、真昼はこの場に立っているのがやっとの状態だった。


 だが、それでも真昼は一つの願いを心の支えにして、目の前に怪異に対峙する。


ーー絶対に帰るのだと! 元の場所に! ヨルと朝陽のいる、自分のあるべき場所に!


 その時、漆黒の世界に一筋の光が差し込んできた。


高天原たかあまはら神留坐かむずまります、神漏岐かむろぎ神漏美かむろみ命以みこともちて……! 八百萬神等やほよろづのかみたち神集かむつどへにつどたまひ……!」


 凛とした声音の祝詞が響き始め、怪異の靄の拡大が抑止され始める。


『ああ……嗚呼嗚呼……!』


 祝詞を受けたドス黒い靄が、まるで苦しんでいるかのようにもがき始める。



ーー多少、真昼にもこの怪異に対しては思うところがあった。


 おそらくさっきまでこの怪異対して湧いていた、憐憫の想いは一部は本物であった。

もし、出会い方が違ったのならば、痛みを分かち合える親友になれたかも知れないと思っていた。


「でも、だめ……あたしは帰るんだ、先輩たちのところに……!」


  気づけば、真昼の手の中には、いつの間にか黄色の巾着袋が握られていた。


 真昼は迷わず巾着の紐を時、そこに封じられている、白くて細かな粒を握りしめーー


「これであなたが……沙耶ちゃんが成仏してくれますよぉーにっ!」


 怪異の靄へ目掛けて、塩を粉雪のように撒き散らす。


『ーーーーーっ!!』


 途端、目の前の靄が煙のように消え、真昼の意識が一瞬で遠のいてーー


……


……


……るっ……!


……真昼っ!!



「はっ!?」


 相変わらず、真昼の視界は薄い闇に包まれている。

それでも心穏やかなのは、真昼が大好きで仕方のない2人ーーヨルと朝陽ーーが心配そうに顔を覗き込んでくれているおかげ。


「あ、あれ……? 先輩たち、ここでなにしてるんっすか……?」


「バカっ! それはこっちのセリフよっ!」


 ヨルにそう叫ばれて一瞬、ビクッとした真昼だったが、次の瞬間、大好きなその人に強く抱きしめられ強い満足感を得る。

ヨルの暖かな体温が、真昼へ、ここが現実であり、元の場所であると思い知る。


「ごめん真昼……苦しかったんだろうに、ずっと気づいてあげらなくて……ほんとごめん……でも、もう大丈夫だから。私と朝陽はずっと真昼の味方だから! 絶対に真昼のことを守るから!」


「それ、本当ですかっ……?」


 ヨルの力強い言葉は、真昼から少し弱気な気持ちと涙を押し出させた。


 そんな儚げな様子の真昼を、ヨルは言葉の代わりに力強く抱きしめてくる。


「さっきから2人の世界ばっかでズルいよ。私だって真昼ちゃんのこと守りたいんだからね!」


 そういって朝陽もまた抱き合う2人へ折り重なるように腕を回してくる。


「アサ先輩もありがとうございますっ……! 嬉しいですっ……!」


 もう大丈夫だと思った。もう廃墟撮影とか、そういうのがなくても、真昼はヨルと朝陽の間にいても良いのだと強く思えるようになっていたのだった。


「ところで先輩方、なんであたしがここに居るってご存知で?」


「これよ! これ! 一体誰なの、真昼にこんな酷いことする奴は!」


 かなり怒り心頭なご様子のヨルは、スマホの画面を見せてくる。

そこには件の、まるで真昼がこの旧校舎で、見知らぬ人物へ性行為を促すような投稿。


「や、やだぁ……なにこれぇ……! 最悪ぅ……」


「だから、そろそろ行きましょ。この投稿に触発されたバカが、ここにもう来てるかもしれないし……」


 朝陽は周囲を探るように見渡しながらそう言ってくる。

これまでの付き合いから、朝陽が単に、変態共だけを警戒していないことが真昼にはわかる。


「アサ先輩……も、もしかして……?」


「うん……ちょっと、ヤバい……」


 朝陽が顔色を真っ青に染めていた時のこと。


 トイレの窓ガラスがカタカタと、僅かに揺れ始める。まるで怒りを表しているのごとく。

おそらくこの現象は、沙耶の幽霊と彼女に触発されただろう、邪悪な存在が招いているのだろう。


「逃げるよ!」


 朝陽にそう発破をかけられ、真昼とヨルは飛び上がるように立ち上がる。

と、そんな中真昼は、この間買ったアレを使うのにピッタリな状況だと思いーー


「真昼、なにしてんの!? なにそのヘッドライトみたいの!?」


「ヘッドマウント式のアクションカムですよー! POVホラーっぽく撮れるじゃないですか!」


「もう、あんたは相変わらず……」


「い、いえ! これはですね……ほら、こうしてライトが点くんで照明代わりにと!」


「なんでも良いから急いで! 危険なのがもうそこまで来てるから!」


 朝陽にそう言われ、真昼は背中にヒヤッとした感覚を得て、トイレから飛び出してゆく。


 そして飛び出た先の異様な光景に息を呑んだ。


 薄い窓ガラスの向こうは、べったりと墨汁を塗るだくったかのような濃い黒に染まっていた。

空気は異様に湿っぽく、それでいて凍えるほど冷たい。


 先ほどまで意気揚々としていた真昼は冷や汗を浮かべて、その場に固まってしまう。


「大丈夫、私が着いてるから!」


 そんな真昼の様子を察してか、ヨルが冷たくなった真昼の指先を握りしめてくれる。


「はいっ! よろしくお願いしますっ!」


 真昼は沸き起こった恐怖を元気な声音で払拭し、ヨルと共に走り始めた。


 先行する朝陽が祝詞を紡いでいてくれているおかげなのだろうか。

確かに周囲には有象無象の怪異が存在しているのはわかるが、それらが何かを仕掛けてくるといった雰囲気はない。


 そうして姿の映らない階段踊り場の大鏡の前をすぎ、いよいよ入り口に達しようしたその時。


「止まって!」


 先行する朝陽にそう言われ、真昼とヨルは立ち止まる。


 最初はどうして止まるのかと、真昼は首を傾げる。

しかし目の前で、青い巾着袋を握りしめ、肩を振るわせる朝陽の様子を見て、状況を理解する。


 やがて、3人の目の前にぼんやりと霞のような何かが浮かび上がりーー


『……許さない……逃がさない……!』


 靄から、憎しみに満ち満ちた声が沸き、次第に人のような形となっている。


 おそらく、今目の前に現れ、行手を塞いでいるのはーー富田 沙耶の成れの果ての姿。


 真昼に対して強い愛憎を抱くようになった怪異。


 途端、真昼の心の内では、様々な感情が渦巻き始める。

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