第26話 怪奇の世界
ーー真昼はただひたすら、駆け抜けた。
なにもかもから解放された感覚が、心を軽くし、彼女はやためったらと走り続ける。
そんな真昼の行いに、沙耶はとても楽しそうについてきくれていた。
そのことが嬉しくて。
まるでいじめが始まる前の日常に戻ったような気がして。
気がつけば、真昼は沙耶と共に、まるで夕焼けが手に届くと錯覚してしまうほど高い、丘の上に並んで座っていた。
「ねぇ、豊田さん……」
「あのさー……こんだけ一緒にいるんだからさ、そろそろ真昼でよくね?」
一瞬、こうした物言いは沙耶にとって好ましいのかどうかと不安を覚える真昼だった。
「え? じゃ、じゃぁ……真昼ちゃん?」
しかし沙耶は恥ずかしそうにしながらも、真昼の要請に応じてくれる。
なんだか一気に心の距離が縮まった気がして、とても嬉しい真昼であった。
「そ、そうそうそんな感じ! で、なにかな、サッちゃん?」
「真昼ちゃんは、その……どうして私なんかのことを助けてくれたの……?」
「そりゃ、まぁ……あたしも、サッちゃんの気持ちが分かるってか……」
真昼が苦笑い気味にそう語ると、沙耶は意外そうな顔をする。
「うそ!? 真昼ちゃんが? なんで!?」
「それがわっかんないんだよなぁ……どうしてあたしが、こんな目に……」
言葉を出した途端、嫌な記憶が思い出され、涙が溢れ出てくる。
そんな真昼の背中を沙耶は優しく抱きしめてくれた。
「典子ちゃん以外にも、酷いことする人いるんだね……」
「典子ちゃんって?」
「私にいつも嫌なことしてくる子……」
たぶん、先ほどトイレで沙耶のことを虐めていたグループの内の、"浅川 瞳"によく似た女子生徒が、その"典子"だと真昼は思った。
「でも、もう大丈夫……」
「え?」
「だって、私には何もかもをわかってくれる"真昼ちゃん"がいるからね……」
気がつけけば、真昼の肩には沙耶の指が強く食い込んでいた。
沙耶のやや長い爪は、厚手のジャージ越しであっても、突き立てられると少し痛い。
「さ、沙耶ちゃん、ちょっと痛いよ……」
真昼は沙耶に不快感を抱かせないよう、なるべく明るい声音でそう言う。
しかし沙耶は力を緩めるどころか、より強い力で、爪を突き立ててくる。
「真昼ちゃんは私の友達だよね? ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、一緒にいてくれるんだよね……?」
耳元で囁かれた沙耶の声に、真昼は一瞬怯んだ。
そしてはたりと、今、自分が置かれている状況が"おかしなもの"であると思い出す。
古い型の学校の制服。そして明らかに"過去の風景"だと思われる町の風景。
2度も廃墟で奇妙な現象に見舞われた真昼は直感する。
そして思い出す。
学園の旧校舎のトイレでかつて命を絶ったという、女子生徒の名前。
ーーその名こそ『富田 沙耶』
そう気づいた途端、真昼の背筋が凍りついた。
身体がガクガクと震え、心臓が激しく拍動をしはじめ、意識がぐらつきはじめる。
このままではいけない、絶対に。
そう強く思った真昼は、沙耶を突き飛ばそうと考えた。
しかし身体が金縛りにかかったかのように全く動かない。
「どこにも、行かないで……?」
真昼の異変に気づいただろう、沙耶はジャージの肩口が破れんばかりの力で、指を食い込ませてきた。
「あ、あああっ……」
もはや声を出す力さえも奪われた真昼は、沙耶になされるがまま、再び色を失った灰色の芝生の上に押し倒される。
そんな真昼の腰の上へ、この世界で唯一"色"を持っている、青白い肌をした沙耶が馬乗りになってくる。
「ずっと待ってた……ずっと、ずっと、ずっと……」
沙耶の青白い顔が寄ってきて、氷のように冷たい唇が、真昼から体温を奪う。
真昼の唇を、口の中を、アイスキャンディーのように冷たい何かが蹂躙し始めた。
キスの経験など全くない真昼にとって、これが正しいやり方なのかなど分かるはずもなく、ただ一方的に沙耶にされるがまま。
でも沙耶の口から出てくる何かが、真昼の中を犯すたびに、頭や体を痺れるような感覚を抱かせる。
「はぁ……真昼ちゃん……私たち、ずっと一緒にいよ? ずっと、ずっと、ずっと……私たち……トモダチダヨ……?」
沙耶は一旦、冷たいキスを終え、真昼から起き上がる。
そして全く血の気を感じさせない真っ白な指先がジャージのファスナーを摘む。
ジッ、ジジジジッ……と、ファスナーがゆっくりと下げられ、だんだんと真昼の素肌が顕になってゆく。
同時にもう片方の手がジャージのズボンの中へ入り込んでくる。
この状況がおかしいのは真昼自身もわかっていた。
そして今、自分が目の前の"怪異"になにをされ、これからどうなろうとしているのかも。
そんな異常事態ながら、真昼が全く抵抗をしないのは、身体が動かない以上に、現況を受け入れる気持ちが湧いていたからだ。
ーーもう疲れた。浅川 瞳に酷いことをされる日々に。いつ終わるかもしれない日々に。
だから、ここに留まり続けたい。
たとえ相手がなんであれ、辛い気持ちを共有できる目の前の彼女と、こうして気持ちいいことをして永遠の時を過ごすのが良い。
そうだそれが良い。そうすれば、山科 小夜子……ヨル先輩のことだって……
「ヨル、先輩……」
突然、少し我に返った真昼の脳裏へ、ヨルの姿が浮かび上がった。
確かに今、自分を取り巻く状況は最悪だ。逃げ出したいし、消えてしまいたい。
でも、それは"もう2度とヨル先輩とは逢えない"という状況を意味している。
出会い方は少々無理やりだったし、たくさん迷惑はかけた。
でも憧れの先輩は、ちょっと怒りながらも、それでも真昼に優しく接してくれた。
先輩が自分へ好ましい感情を向けてくれているのも肌で感じていた。
何よりも、先輩と過ごす時間はとても明るくて、楽しくして、尊いものだ。
それに最近は、ヨル先輩の相方の、アサ先輩も自分に好意的に接してくれているよう感じる。
もしも、自分たちを"家族"と例えるならば、ヨル先輩はお父さんで、アサ先輩はお母さん、と例えるならば自分はーー
「……こ、子供が、親より先に逝っちゃ……だ、めっ……」
真昼は体の痺れに苦心しながらも、僅かに手を動かし始める。
「ーーっ!?」
そして今まさにジャージのファスナーを下げ終え、ことを始めようとしていた"怪異"を腰の上から突き飛ばした。
「やっぱだめ! 無理っ!」
起き上がった真昼は灰色の世界で、怪異へ向けて強くそう言い放つ。
「たしかに今のあたしの状況はクソ。ほんと嫌! 逃げ出したい! でも、逃げるんだったらここじゃない!」
「……」
「あたしは逃げるんだったらヨル先輩を選ぶ! もう遠慮とか、隠し事とかしなくて、先輩に素直に助けてってお願いする! きっと先輩力になってくれるし!」
「…………」
「なによりも! あたし、先輩のこと好き! 好き好きだーい好き! ちょっと、時々アサ先輩との関係には焼けちゃう時はあるけど、でも、そこをひっくるめても先輩のことが好きっ! だから、戻りたい! 元のところにっ!!」
「……なに言ってるの、真昼ちゃん……。もう、なにもかも遅いんだよ……?」
しかし怪異から帰ってきたのは、冷ややかな回答。
気づけば灰色だった風景が、暗闇のように変化をしている。
だが、真昼はかつてアサ先輩に忠告されたよう、心を強く持つ。
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