エターナル・フライト-制服学校編。

志乃原七海

第1話:午前5時のコックピット


小説『エターナル・フライト』第一話を、女性作者の実体験を描いたエッセイ風に、そして「がんばって生きてます!よ!」というメッセージを込めて書きます。


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### **【描き下ろしエッセイ】午前5時のコックピットで、私は今日も離陸する**


私の朝は、午前5時のコックピットから始まる。


スマホのアラームが鳴り響く数秒前、身体が先にそれを察知して、そっと手を伸ばす。隣のベビーベッドで眠る、生後10ヶ月の娘を起こさないように。この静寂こそ、私だけの聖域であり、これから始まる長いフライトの、束の間の凪なのだ。


すー、すー、と聞こえる小さな寝息。

この子が、私のフライトの最優先事項。この温かい重さが、私を空へと押し上げる唯一のエンジン。私は「ひかり」と名付けられたこの滑走路から飛び立つために、音もなくベッドを抜け出す。今日のフライトも、絶対に遅延は許されない。


薄暗いキッチンに立てば、頭の中の計器が一斉に起動する。お湯を沸かし、私のお弁当と朝ごはん、それからひかりの離乳食。昨日の夜のお仕事で浴びたアルコールの匂いが、まだ微かに身体の奥に残っている。正直、頭はガンガンするし身体は鉛みたいに重い。でも、ここで失速するわけにはいかない。一連の「プレフライト・チェック」に、迷いや無駄は一切ない。たぶん、熟練のパイロットってこんな感じなんだと思う。自分で言うのもなんだけど。


「ふぇ…」

ほら来た。タイミングばっちり。計ったような彼女のぐずり声に、手早くミルクを準備する。ごくごく飲む小さな喉を見つめていると、さっきまでの疲れがすーっと溶けていくから不思議だ。飲み終わったら、慣れた手つきで背中の抱っこ紐という名の補助シートにイン。ウィーン、と掃除機のスイッチを入れれば、このノイズは背中の小さな乗客にとって、心地よいエンジンの胎動音に早変わり。すぐにまた、すやすやと寝息が聞こえてくる。この重みを感じながら、洗濯機を回し、ゴミをまとめ、部屋を片付ける。一つ一つのタスクが、私を離陸へと導く大切なシーケンスなのだ。


クローゼットの奥から、真新しい制服を引っ張り出す。紺色のブレザーに、チェックのスカート。

これは、ただの制服じゃない。一度は社会という航路を外れた私が、もう一度手に入れた飛行許可証。役所や高校に何度も足を運んで、「夜に働くのは、この子と私が飛ぶための燃料費なんです」って、一体何回、頭を下げたっけ。この翼を纏うたび、私はぎゅっと拳を握りしめる。絶対に、墜落なんかしない。


鏡に映る自分は、我ながら面白い。寝不足で刻まれたクマとは裏腹に、丸い輪郭と大きな瞳のせいで、実年齢よりずいぶん幼く見える。この童顔、夜の空港(ラウンジ)ではお客さんの警戒心を解く武器になるけど、昼の管制塔(スクール)では、いらない乱気流を呼び寄せる原因になることも、もう知っている。


午前7時。準備完了。

「こちらスカイ・あかり。離陸準備、オールグリーン」

なんて、自分だけに聞こえる声で呟いて、重い玄関のドアを開ける。早朝の冷たい空気が、ぴしゃりと頬を叩いて、気合を入れ直してくれた。


最初のミッションは、地上走行用のパーソナル・シャトル、つまり子供乗せ電動アシスト自転車での移動だ。駅前の市立保育園という第一チェックポイントまで、猛スピードでペダルを漕ぐ。

「先生、おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」

娘を預ける時の私は、どこにでもいる普通の母親。でも、制服を着たその姿は、他の保護者たちの視線という名のレーダーに、やっぱり異質な機影として映るんだろうな。「あの人、制服…?」みたいなヒソヒソ声が、たまに聞こえてくる。好奇、憶測、そしてほんの少しの軽蔑。大丈夫。そんなノイズは、自動でカットする機能、とっくに搭載済みだから。


娘とバイバイして、再びシャトルにまたがり、最終目的地へ。

高校の校門をくぐり、チャイムが鳴り響く。

それは、私にとっての「離陸許可」を知らせるシグナルだ。


教室のドアを開ける。

瞬間、全ての音が消えて、全ての視線が槍みたいに突き刺さる。嵐の前の静けさ、ってやつだ。

「え、あの子が転校生? 年上って聞いたけど…」

「つーか、若返ってね? 中学生みたいじゃん(笑)」


囁き声が、乱気流みたいに教室を揺らす。

でも、もう、そんなことで機体が揺らぐ私じゃない。覚悟の自動操縦(オートパイロット)は、とっくの昔に設定完了している。私はまっすぐ自分の席に向かい、鞄を置いて、静かに教科書を開いた。


『前例のないフライトプランだね。でも、君の管制塔は他人じゃない。君自身なんだよ』

ふと、校長先生の言葉が頭をよぎる。


そう、これはただ学校に戻ってきた、っていう話じゃない。

社会の航路図には載っていないルートを、この手で切り拓いていく、たった一機の、孤高のフライト。

20歳のシングルマザーで、現役の女子高生。

そんな私の、たった数分の、でも、とても大切な始まりの物語。


隣の席の子が、私の教科書を、ちょっと戸惑いながらも興味深そうに覗き込んでいる。大丈夫。きっと、少しずつなら話せるはずだ。


社会の航路図にないルートかもしれない。急な天候の変化も、未確認の飛行物体との遭遇もあるだろう。でも、私はもう迷子じゃない。私が飛ぶこの空が、いつか誰かのための、新しい航路になるかもしれないから。


だから今日も、私は飛ぶ。

胸を張って、がんばって生きてます!よ!って、空に向かって叫びたい気分で。

見ててね、ひかり。そして、もしこれを読んでくれているあなたも、同じ空の下で、一緒に。

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