第23話

 いつもの河川敷。いつものレモン味。俺と七瀬さんは、特に何を話すでもなく座っていた。


 今日は熱帯夜らしく、座っているだけなのに汗が滲む。こんな日にまで律儀に河川敷に集合して汗をかきながら飲んでいる理由。七瀬さんがそうすることに心当たりがなさすぎるのが最近の悩みでもある。


 それよりも何よりも暑い。七瀬さんもハンディファンを俺に向けてくれるが、飛んでくるのは熱風だけ。


「暑いね……」


「ん。暑い。熱帯夜だってさ。リップスライム? ってか、昼間の猛暑はもうしょうがないけど、熱帯夜はどうかしたいや」


「おっ、七瀬さんの発言で気温が1度くらい下がった気がする」


「でしょ? つまんないことを言い続ければ熱帯夜も涼しくなるよ」


「暑いとこでつまんないことを言い続けるくらいならエアコンの効いたとこで無言で座ってる方がいいよ……」


「や、誘い方がうまいじゃん」


 七瀬さんがにやりと笑って俺にハンディファンを向ける。


「へっ、変な意味じゃないよ!?」


「や、けど実はさ、明日からしばらく仕事が忙しくなるから来られなくて。ここの風景を目に焼き付けときたいんだ」


「そうなんだ……どのくらい?」


「ん……一ヶ月とちょっとかな」


「そっか……」


「だから、次会う時は涼しくなってるよ。ね?」


 七瀬さんは地球に語りかけるように地面を優しく撫でた。


「それは無理かもしれんのう」


 俺は地球役でシワシワのおじいさんのような声を出す。


「ふふっ……なにそれ? 地球?」


「うん。地球」


「うんちきゅうね」


「こら」


「ふはっ……ま、そういうわけで、しばらくはお別れ」


「うん、わかった。そしたら、次ここに来る日が分からなくなるから連絡先か……先に決めておく?」


「や、そうだよね。一人でいつ来るか待たせるのは悪いよね。んー……あ、ど、どうかな……」


 七瀬さんは連絡先を交換しようとスマートフォンを開いたところで固まった。


「あ……べ、別に連絡先は交換しなくても! 日付だけ、ぼんやり決まってれば大丈夫!」


 気を遣ってそう言うと七瀬さんは首を横に振り、慌ててスマートフォンで何か操作をした。


 そして、すぐにQRコードを見せてきた。


「や、これで読み取れば大丈夫」


「い……いいの?」


「ん。いいの。プロフィールに機密情報が乗っちゃってたから消しといた」


「それは俺に限らず見せちゃダメじゃん!?」


「そ。危なかった」


 それが何を指しているのかはわからないけれど、QRコードを読み取ると『七瀬』と表示された。


 相変わらず名前なのか苗字なのかはわからないまま。


「七瀬さんって……七瀬さんなんだね」


「ん。そうだよ。七瀬は七瀬」


 七瀬さんは真意を悟らせないように、無表情な目で、口元だけニッと笑った。


 そして、スマートフォンでカメラを向けて俺のことを撮影してきた。


「何……?」


「最悪の場合、この写真を向かいにおいて一人で部屋で飲んでるから」


「遺影みたいな扱いしないでくれる!?」


 七瀬さんはまたにやりと笑い「いえい」と言いながらブイサインをした。


「まーたそうやって地球の気温を下げる……」


「ま、陽介はしばらく丁寧な暮らしをしててよ」


「丁寧な暮らしねぇ……たまに思うんだけどさ」


 俺は、ぬるくなった缶チューハイを一口飲んでから、ぽつりと切り出した。


「よく言うじゃん。『丁寧な暮らし』って」


「ん。言うね」


 七瀬さんは、キャップを目深にかぶったまま、静かに相槌を打つ。


「あれって、なんなんだろうね。『丁寧な暮らし』と『雑な暮らし』の境界線って、どこにあるんだろうって。俺、たぶん、相当雑な方に分類されてると思うんだけどさ」


 俺がそう言って自分の服装に目を落とすと、七瀬さんはふふっ、と小さく笑った。


「境界線ねぇ……SNSにアップできるかできないか、じゃない?」


 その少し皮肉めいた物言いは、いつもの彼女らしかった。


「SNSかあ……」


「だって、そうでしょ。朝、鳥の声で目覚めて、まず白湯を飲んで、自分で焼いたパンを食べるのが『丁寧な暮らし』。対して、アラームと格闘して、コンビニのパンを齧りながら家を飛び出すのが『雑な暮らし』」


「……後者は、ほぼほぼ俺の平日だね!?」


「でも、暮らしって本来丁寧にやるものじゃなくて、必死にやるものじゃないかな。生きていくために、なんとか回していくもの。それを『丁寧』っていう綺麗な言葉でパッケージングして、理想みたいに言うの、ちょっと違和感ある」


「だよねぇ……この一ヶ月は多分、雑に暮らしてるよ……むしろここに来てるから飲みすぎずに丁寧な暮らしができているまであるし」


「次に会った時にでっぷりと太ってたらやだなぁ。気をつけてよ?」


「七瀬さんこそ。げっそり痩せて来ないでよ」


「ん。善処する」


 二人で小さな約束を交わし、缶チューハイで乾杯をする。ゴクリとレモンの7パーセントを飲んだ七瀬さんが「私も気になってるフレーズがある」と言い出した。


「何?」


「『暑さを吹き飛ばす新曲〜!』みたいなやつの、暑さを吹き飛ばす。あれさ……吹き飛ばないよね、暑さ」


「あぁ……確かに。そういうのに限ってやたらとテンション高めだしね」


「ん、そういうこと。素直に『アドレナリンでも出して暑さに耐えるための新曲〜!』って言えばいいのにさ」


「身も蓋もないね!?」


「ふふっ……けどなんかそういう言葉で誤魔化すのって――」


 七瀬さんはそこで急に言葉を切った。そして、少しだけ黙り込み、俺の方を向いた。


「ね、陽介」


「ど……どうしたの?」


「約束を追加したい」


「でっぷりと太らない以外に?」


 七瀬さんは無言で頷く。


「いっ、いいけど……何?」


「彼女……作らないで欲しい」


 その言葉に引っかかる。


 彼女を作る。


 それはつまり……


「七瀬さん……」


「ん……何?」


「俺さぁ……彼女を『作る』って表現にも引っかかっててさ」


「ふはっ……確かに。人間なのにね。作るって何ってなるよね。恋人が作れるなら作ってるわーいってね」


「そうそう! それってさ――」


 しばしの別れの前。いつもより話は弾み、夜中までどうでもいいこと、次に会ったら忘れていそうなことを話続けていた。


―――――


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