【第37話】共犯者たちの、甘い作戦会議

 あの、甘くも、気まずい朝食の時間が終わった後。

 私とリアンは、どちらからともなく、工房である「店」へと、足を運んでいた。

 もはや、そこは、私たちの、秘密の作戦司令室となっていた。

 だが、今日の空気は、昨日までとは、全く違う。

 お互いを、意識してしまって、どうにも、ぎこちない。

 私が、薬草の棚から、資料を取り出そうとすれば、同じ棚に用があったリアンと、手が触れそうになり、二人して、慌てて手を引っ込める。

 そんな、まるで、初めて恋を知った、子供のようなやり取りを、私たちは、何度か、繰り返していた。


「……こほん」

 リアンが、一つ、咳払いをした。その耳が、まだ、ほんのりと赤い。

「……北の、遠征隊から、君が依頼していた、サンプルが、昨夜、届いている」

 彼は、努めて、王としての、冷静な声を取り繕いながら、私に、一つの、厳重に封をされた箱を、示してくれた。

「これが……!」

 私は、その箱に、駆け寄った。

 中に入っていたのは、瘴気に汚染された、現地の土と、そして、特殊なガラス容器に封じ込められた、瘴気そのものだった。

「……ありがとう、リアン。これがあれば、対策が立てられるわ」

 仕事のことになると、私の頭からは、気まずさが、すっと消えていく。私は、早速、それらのサンプルを、分析用のガラス器具に移し始めた。

 そんな私の姿を、リアンは、どこか、安堵したような、そして、愛おしそうな目で、見つめていた。


「……やはり、君は、こうしている時が、一番、輝いているな」

 不意に、彼が、そう、呟いた。

「え……?」

「香薬師としての、君の姿だ。……誇り高く、そして、誰よりも、美しい」

 その、あまりにも、率直な言葉に、鎮まっていたはずの、私の頬の熱が、再び、ぶり返してくる。

「……お世辞は、いいから。あなたも、手伝って」

 私は、照れ隠しに、少しだけ、ぶっきらぼうな口調で、彼に言った。

「私一人では、分析に時間がかかりすぎるわ。あなたが、横で、私の言う通りに、記録を取ってちょうだい」

「……分かった」

 リアンは、私の、王に対するものとは思えない、その命令口調に、少しだけ、驚いたようだったが、すぐに、本当に、嬉しそうに、微笑んだ。

 そして、ペンと羊皮紙を手に、私の隣の椅子に、腰を下ろす。


 私たちの、初めての「共同作業」が、始まった。


「まず、この土。……見た目は、普通の土と、変わらないわね。けど、この、僅かに、鼻をつく、金属のような匂い……」

 私は、土を、乳鉢で、細かくすり潰していく。

「リアン、書き留めて。主成分は、鉄分と、硫黄。そして、おそらく、未知の、揮発性の高い、鉱物が、ごく微量、含まれている」

「分かった」

 次に、私は、瘴気が封じ込められた、ガラス容器の栓を、慎重に、少しだけ、緩めた。

 ツン、と、した、刺激臭。

 先日、私の記憶を、呼び覚ました、あの匂いだ。

 私は、すぐに、栓を閉め直す。

「……間違いないわ。この瘴気の正体は、火山性のガス。地中の、希少な鉱物が、地熱によって気化したものよ。……だから、普通の薬草では、効果が薄かったのね」

「では、どうするんだ?」

「……中和よ。この毒性を、無力化する、別の成分を、ぶつけるの」

 私は、工房の棚を、見渡した。

「酸性には、アルカリ性を。……この場合は、硫黄の成分が強いから、アルカリ性の性質を持つ、植物が必要ね。……例えば、この、〝灰の木〟の樹皮。あるいは、湖の底に沈んでいる、〝月長石〟の粉末も、有効かもしれない」

 私は、次々と、頭に浮かぶ、解毒の処方を、口にしていく。

 リアンは、私の言葉を、一言も、聞き漏らすまい、というように、驚異的な集中力で、羊皮紙に、書き留めていく。

 その横顔は、真剣で、そして、私の知識への、絶対的な信頼に、満ちていた。

 その視線を感じるだけで、私の思考は、さらに、冴えわたっていく。

 私たちは、言葉を交わさずとも、互いの思考を、読み取っているかのようだった。

 王と、香薬師。

 それぞれの、専門分野で、互いを、高め合っていく。

 それは、私が、今まで経験したことのない、ひどく、刺激的で、そして、幸福な時間だった。


 数時間後、私たちは、ついに、瘴気を完全に無力化するための、香薬の、完璧な処方を、突き止めた。

「……できたわ。これよ、リアン」

 私が、完成した処方箋を、彼に見せると、彼は、その紙を、まるで、勝利の報告書でも受け取るかのように、恭しく、受け取った。

「……素晴らしい。さすがだ、ルシエル」

「すぐに、これを、大量に生産して、北の遠征隊に、届けて。そうすれば、もう、瘴気に苦しむ兵士は、いなくなるはず」

「ああ。すぐに、手配しよう」

 彼は、そう言うと、立ち上がった。

 そして、私の肩に、そっと、手を置く。

「……ありがとう。君は、また、この国を、救ってくれた」

「……私は、私の、仕事をしただけよ」

「いいや。君は、私の、誇りだ」

 彼は、そう言うと、私の額に、そっと、唇を、寄せた。

 それは、キス、というよりも、祝福や、労いのような、ひどく、神聖な、口づけだった。

 私の心臓が、また、大きく、鳴った。


「……だが、問題が、一つ、残っているな」

 彼が、体を離すと、その表情は、再び、王の、厳しいものに、戻っていた。

「君自身の、問題だ」

「え……?」

「君の記憶。……そして、竜翼侯爵家。奴らを、このまま、野放しにしておくわけにはいかない」

 彼の言葉に、私も、表情を引き締めた。

 そうだ。私たちの戦いは、まだ、終わってはいない。

 本当の敵は、まだ、そこにいるのだから。

「……どうするの、リアン?」

「……証拠が、ない。奴らが、十年前の焼き討ちに関わった、という、決定的な証拠が」

 彼の声には、悔しさが滲んでいた。

「君の記憶だけでは、あの老獪な侯爵を、追い詰めることは、できないだろう。奴は、必ず、蜥蜴(とかげ)の尻尾切りのように、実行犯の騎士たちを、切り捨てて、逃げる」

「そんな……」

「だから、新たな証拠を、掴む必要がある。……そして、そのためには、やはり、君の、更なる力が必要だ」

 彼の金色の瞳が、まっすぐに、私を見つめる。

 その瞳が、何を、私に求めているのか。

 私は、もう、分かっていた。

 それは、私の、過去との、本当の意味での、対峙。

 そして、彼との、未来を懸けた、次なる「共闘」の、始まりだった。

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